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あと1年と言われましても〜メモワール(6)〜


桜が咲き始めた。

去年の今頃を思い出す。

夫が緊急入院し、頭蓋骨に穴を開けて病理診断し、結果『悪性脳腫瘍 末期』。手のほどこしようも無く、できることは『症状を押さえ込む』手段だけ。それが効いたとしても、しばらくの間だけで、薬は気休めだという。

「この腫瘍はとてもアグレッシブで……」とか説明されて、なんだか「大学病院って感じの説明だな」と感じた記憶がある。

コロナ禍で見舞いもできず、病院の中の病室に近い通路で、夫が出てくるのをひたすら出待ちしていた。入院直後、車椅子で通り過ぎる夫は、私のことをぼーっと見ているだけで反応は薄かった。

自宅から病院まで電車など2度ほど乗り継いで1時間かかる。

病院から電車の駅までの歩道は桜並木になっている。

満開の桜の中を泣きじゃくりながら通って、「来年の桜は一緒に見れないのかな」とか考えていた。

でも今は手をつないで、桜並木を一緒に通院している。

この時の気持ちを夫に話すと「申し訳ない!ごめんね、悲しい思いをさせて!もう大丈夫だからね」と言ってくれた。

でもこの時、私は「来年はここに来ないし、この桜ももう見ることはない」と思っていた。

私の心を見透かしたように「ここの桜じゃなくても、別の場所でまた桜を見ようよ。来年も再来年もずっとね」と言ってくれた。


約束の2ヶ月が経った。

夫は何曲か作曲したが、結局売れはしなかった。

私も聞かせてもらったが、インストゥルメンタルで「悪くはない」と言うのが正直な感想。
「すごく良い」じゃないと売れないと思うし注目もされない。

私はセンス無しだけど、今流行りの音楽ではない感じがした。聞く人が聞けば良いのかもしれないが、その人へ届くには時間がかかるだろう。




そして夫とかなり話し合った結果、『みきの家』へ引っ越すことになった。

夫は『自分が死んだあと』のことまで考えて、消去法で仕方なくみきを選んだ。

「みきから酷いこと言われたのに、一緒に住むなんて嫌よね……でももう選択肢が無いから……」と私が落ち込んでいると

「俺に嫌なこと言ったのはもういいけど、今までゆまちゃんに呪いをかけ続けたことに関して、俺は絶対にみきさんを許さない。でもその気持ちを抱えたままでも俺はみきさんと普通にやっていけると思うよ、表面上はね。だから俺のことは気にしなくてもいいけど、ゆまちゃんのほうがこれから気持ち的に大丈夫じゃないよね……」と慰めてくれた。

「俺が早く音楽で稼げるようにがんばって、お金貯めるよ!そしたらまた2人きりで暮らそう!それまでお互い我慢するしかないけど……なんかあったら俺に愚痴って。聞くことしかできないかもしれないけどね……」と優しく手を握ってくれた。

「……そうだね……私にはゆうちゃんがいるもんね、みきのことはできるだけ受け流して2人でがんばろう!」と私は元気を出したフリをした。

たぶんもう2度と2人で暮らすことはできない。お金を貯めるなんて……たぶん間に合わない。

私は絶望の中、引越しの準備を進めていった。




みきの家は隣の県にある。海と山に囲まれた地方の小都市で、山間部に家が建っているため、すごい坂道が続く。

みきが気に入って、ここに独断で家を買った。

実母がいるのだから、この家が実家となるのだろうが、私は住んだことがない。土地勘はまったく無いし、この市や町のことも全然知らない。


引越しは5月末の予定となった。

その前に2人で挨拶しにみきの家まで行った。特急列車で3時間くらいかかる。

久しぶりにこの家に来た。父が亡くなった時に葬儀で来た以来だから、5年くらい前かな。

他人の家の匂いがする。すごく嫌な匂い。家が古いせいかカビ臭い、たぶん床下からだろう。壁は砂壁。畳もダニがいそうな感じがする。

挨拶した時のみきはすごくご機嫌で感じ良かった。

歳を重ねて丸くなったのか、一緒に住めるのが嬉しいのか、歓迎してくれていた。

家は2階建て。1階を私たちに譲ってくれるという。2階にみきが住んで、干渉はしないと約束してくれた。家賃無し、食費も手伝える時は出してくれるそうだ。何かあったら夫の面倒を見てくれるという。

「お父さんの介護してたんだから、私に任せなさい!ゆまは心置きなく働いても良いわよ!」と満面の笑み。

一緒に住むから冷蔵庫や洗濯機や家具、大きな物は捨てて来なさい、と言うが……何と言うか……みきは不潔な感じが平気な人で……冷蔵庫も洗濯機も20年近く前のものだし……はっきり言って汚い!

でも私たちは居候のようなものだ。逆らえない。しょうがないから処分して来ると約束した。

主夫である夫が「洗濯物どこに干す?」と今後の生活について悩み始めた。今住んでいる賃貸ではベランダに干していたが、ここでは『庭』に干すことになる。木もあるから虫も多いし、物干しの場所が無い。

みきは部屋干ししているという。だから近づくといつも生乾き臭がする。ホコリだらけの床を裸足で歩く。でも部屋が散らかっていないので、遠くから見るときれいに整っているように見える。

「部屋干しかー、しょうがないね、除湿機を買おうか……」と夫。

「これは、こっちにきたらしばらく大掃除だな……」と私は大きくため息をついた。

帰りの電車の中で、私たちは声を合わせて「引っ越したくない!今の賃貸マンション最高!」と言い、我が家のすばらしさ、都会のありがたさを痛感した。



さて。

私たちはこれからみきの家に住む。

どうする?お互いの呼び方。『なむちゃん』『どぶちゃん』という訳にはいかない。

きっと「なにそれ?」とみきからツッコミが入るだろう。恥ずかしい。

私からの提案。

「今日から私のことは『ゆまちゃん』って呼んで。私はなむちゃんのこと『ゆうちゃん』って呼ぶことにするから」

「え?今日から?」

「そうよ、何なら今からでもそう呼んで。はい!私は誰ですか?」

「……ゆまちゃん」

「そうよ、ゆうちゃん!早く慣れてね。私もゆうちゃんって呼ぶの照れるけど、しょうがないもんね」



という訳で、今日から本編でも
『なむちゃん』→→『ゆうちゃん』
『どぶちゃん』→→『ゆまちゃん』
へ変更になります。

よろしくお願いします。


(7)へ続きます。
今回も読んでくださってありがとうございます。

もうお気づきの人もいると思いますが、今回のほのぼの系のお話は前振りです。

実際、これがフラグになっていたと思います。

嵐の予兆……遠くに黒々とした不穏な雲が見え始めた、そんな感じです。

本日はこの辺で。また近いうちに書きますね。




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