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結局私を癒してくれるのはサイゼリヤだけなのだ。

あの日サイゼリヤは突然現れた

 あれは小学生高学年のころだっただろうか、知らぬうちに、私の地元にそれは現れた。
郊外によくあるその道路は、両脇に街路樹と、チェーン店のファミレス、古本屋、古びた個人経営のステーキハウス、カラオケ、オートバックスなどが立ち並ぶ、日本のいたるところで目にする道路だった。

 毎年恒例のピアノの発表会(おそらく秋ごろだったろう)を小さな会館で終えた我が家は、父の運転する車で地元まで戻ってきた。遅めの昼食先を探していたその一家の車は、できたてほやほやのサイゼリヤに停まった。

 どのくらいの「人生初の体験」を覚えているだろうか?
 人生初ディズニーランド。これは幼すぎて覚えていない。人生初ロイヤルホスト、人生初ガスト、人生初すかいら~く、エトセトラ。私はそれらを覚えていない。ただサイゼリヤの人生初だけは鮮明に覚えているのだ。

 私たち家族はハンバーグランチを頼んだ。一家に衝撃が走ったのはお会計の時だった。母親が嬉しそうに悲鳴を上げた。「4人でこんなに食べて2000円以下なんて!普通のファミレスの半額じゃない!」と。実際の母親はこんな女口調ではないが、おおむねこのようなことを言った。当時家計事情や物価など知らないから、「ほ~ん、このお店は安いんだ。驚くほど安いんだ。でもおいしかったけどなあ」と思ったのを覚えている。帰りの車の中でも母親はサイゼリヤをほめたたえた。これが私のサイゼリヤ体験であった。

 私の住んでいた地域ではサイゼはそこしかなかった。周りの人々もまだサイゼとはなんぞ?という状態で、サイゼ=おいしいのに衝撃的な安さのイタリアンレストランというイメージが定着していない人々にサイゼは衝撃を与えた。もし私がミレニアル世代であれば、初のサイゼ体験は「数ある激安ファミレスの中の1つ。初めて行ったのはあれガストだっけ、サイゼだっけ?」くらいのものになっていただろう。

サイゼとの蜜月

 中学にあがると、サイゼはぐっと身近になる。プリクラを撮った帰り道、サイゼでプリクラを切り分けたり、今日の写りについてそれについてやんややんや感想を言い合ったりした。

 高校生になり、欲望に比例せず増えないおこずかいのやりくりを強いられる年齢となると、サイゼは強い味方となった。ドリンクバーどころか水一つで何時間も恋バナに花を咲かせた。当時サイゼはまだ輪切りのレモンが置いてあったので、一緒に頼んだ299円のペペロンチーノを食べ終わった後も、水に輪切りレモンを入れまくってレモンウォーターというおしゃれな飲み物を作り出し、それを片手に恋バナしまくった。

 大学生になるとサイゼとは一時距離を置くこととなる。カフェや居酒屋に入り浸ることが増えファミレスはもう卒業という顔をしていた。
 再び私がサイゼの恩恵を受けたのは、社会人になってからだった。会社のランチに手作り弁当を持っていくようなまめな人間ではないので、なるべく安くおいしいランチをとなると選択肢はほっともっとかサイゼとなるのだ。平日の500円ランチは私の癒しであり、忙しい毎日の相棒となった。

 転職をして、サイゼのない町にオフィスを構える会社に就職してしまったときはサイゼが恋しくてたまらず、ジョナサンの全然おいしくないのにサイゼの倍額はするランチを涙を呑んで食した。一方で転居をきっかけに最寄り駅に大きめのサイゼが見つかり、今この文章もサイゼで書いている。

結局サイゼに帰ってくる

 私は近所の個人経営の店を開拓しようとプチ冒険をしていて、今日はいつも目の前を通るものの入りにくいビストロでロコモコランチをいただいてきたところだ。
 サラダにははちみつの甘みを感じるドレッシングがかかっておりメインは期待したものの、1000円のロコモコ丼は正直あまりおいしくなかった。おとなしくパスタやカレーにすればよかった。しかし失敗も含めて冒険なので気にしない。ずっと店の前で「この店気になるけどおいしいのかな」と思い続けるより、「ここ思ったよりいまいちだったんだよね。でもサラダはおいしかった。あれどうやってドレッシング作ってるんだろう」と思えるほうがいい。
 そうして軽いがっかりを体験した私は、自然とサイゼに向かい、今こうしてサイゼのソファに着席している運びだ。

 今は4人で食事することなんてなくなってしまった私の家族が、あの秋の日に食卓を囲んだ場所も
 今は誰一人連絡を取らなくなってしまったのに、当時は「うちら一生友達」とプリクラに落書きした少女たちがはしゃいだ場所も
 自分が一体社会のなんの役に立つんだろうと思いながらも腹を満たしてくれ必ず席を用意してくれていた場所も
 結局すべてサイゼリヤだった。
 ほかにそんな店は、私にはない。

 誰かにとっては吉牛や、すき家かもしれないし、マスターがいい味出してる近所のバーや喫茶店なのかもしれない場所が
私にとってはサイゼだった。

これからのサイゼとの付き合いかた

 そして今、私には子どもがいる。この子にとっての初サイゼはいつになるだろうかと考える。
 この子は私と違う時代を生きている。郊外に初めて現れた黒船的存在だったサイゼではなく、どの町にも当たり前にありふれたインフラ的サイゼという認識を持つのだろうか。
 あの日の我が家のように、家族で行ってみたら新しい発見があるかもしれないし、またいつものように1人で訪れてみてもいいかもしれない。

終わり

莢子

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