社会不適合者

私はこれまでの人生で、「社会不適合者」だと言われたことが、2回ある。

初めて言われたのは、中学生のとき。大人数で何かをするのが得意ではなかった私は、クラスで遊ぶ機会や何かの打ち上げなどがあっても、積極的に参加するタイプではなかった。そんなことを理由に、「○○ちゃん(私のあだ名)は社会不適合者だからね~www」と言われた。友達のその一言で、3~4人がいたその場に爆笑が起こった。私自身も、あまり聞き慣れない「社会不適合者」という響きが面白くて、笑った。また、自分がそう言われる理由が少しわかる気もした。

2回目は、大学に入って少ししてから。大学が行っている任意の健康診断に行くかどうかという話になり、私は行かないと言った。そしたら友達に、「健康診断に行かない人はシャフだから(笑)」と言われた。私は”シャフ”の意味が分からず、少し考えて、それが「社不」だということに気付いた。急にディスられて、思わず笑ってしまった。

2回とも、言われて特に嫌な気持ちにはならなかった。そもそもどちらも、その場のノリで、冗談のようなテンションで言われた感じでもあった。でも、2回目に言われてから、「そういえば前にも言われたことがあったな」と中学のときのことを思い出し、「社会不適合者」についてたまに考えるようになった。

人に向かって「社会不適合者だ」と言うのは、シンプルにひどいと思う。別にみんな、本気で相手を疎外したり傷付けたりしようと思って言っているわけではないと思う。その言葉がなんとなく面白くて、使っているだけだと思う。でも、実際に言われて考えてみたら、「私は何も言っていないのに向こうから『不適合』だと言ってくる社会になんて、参加してやるか」という気持ちになる。

一方で、「社会不適合者」という言葉を自虐的に使ったり、「自分は社会不適合者だ」と言って割と本気で落ち込んだりしている人もいる。以前、「自分は社会不適合者だから成人式とか行けない…」と言っている友人がいた。私にはもともと成人式に行くなんて選択肢はなく、それが社会不適合なことだとも思っていなかった。でも、そう言っている人を見て、「お前も社会不適合者だ。何なら、自分で気付いていないほうが重症だぞ」と言われているような気分になった。

社会とは、国や地域、または世界全体など、そこで生きる全員によって作られるものだと思う。その中で周りの人とどれだけ関わるかは、人それぞれだ。他者との関わりが多ければよいというわけではないし、人付き合いが薄いことが悪いとも限らない。人付き合いが薄くたって、仮に全く無くたって、そこで生きている限り、その人はその社会の一員のはずだ。社会に含まれていない人なんていないはずだ。

それなのに、「社会不適合」だと言うと、まるで自分以外の人たちで形成された”社会”というものが先に存在していて、そこにそれぞれが上手く適合していかなければならないみたいだ。「そっちが順応しなければ、社会に参加することはできないぞ」と言われているように感じる。

「社会不適合者」という言葉が、誰よりも、社会不適合だ。


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