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悲観的かと思っていたけど、案外楽観的かも。相反する性格が同居している

自分に自信がないのは昔から。
けっこう暗い性格。
悲観的だよね……と、自分のことを思っていた。

けれど、私って悲観的なように見えて、案外楽観的かもと。
悲観的だと、先を見越してもっと計画を周到に練らないかな?
違うかな。

私の場合を振り返る。
若いとき、フリーターの夫にプロポーズされて、すぐに結婚OKと返事する。
悲観的だったら、先のことを考えてOK出さないと思う。

先を見通す力が弱い私。
何も考えずに勢いで結婚している。
昔は3高と結婚するのが望む条件と言われていた時代。
高収入・高身長・高学歴に当てはまる人を探せ、みたいな。
夫はどれにも当てはらまないのだが。

ただ、結婚しても何とかなると思えた。
2人で頑張って働けば。
いざとなったら、何でもやる覚悟はあった。
住むところだって、いざお金がなくなったらお風呂がないところでも良いと思ってた。これって楽観的では?

実家も裕福ではなかったし、ブランド品に興味がないし。
バブルで皆が浮かれているときに、私は地方で地味に生活していた。
あまり物に執着がない。
お金をかけるなら、物ではなく、思い出にお金をかけたいと思う。

お金をかけると言っても、高望みはしない。
旅行でも、贅沢は言わない。
青春18切符を使い、ユースホステルに泊まれるだけで、大満足な私だった。
今だって楽しめると思う。

すごく落ち込むことがあっても、大抵は美味しいものを食べて、たっぷり寝れば忘れられる。
けっこう単純に生きている。

今をたっぷり楽しもう。
悲観的なところと、楽観的なところ。
なぜ、私の性格はこんなに矛盾しているんだろう。

早くに人の死に接してきたからかもしれない。
小学生のとき、伯母の死に直面し驚いた。
先日訪ねたばかりの伯母。あんなに元気だったのになぜ?

次に、私が中1のときに父が亡くなった。
あのときの担任の先生の顔が忘れられない。
学校の休み時間に、真っ青な顔の先生に私は呼び出され、父の死を知らされた。
その顔を見た瞬間、何ごとかとおびえた。

先生が自宅まで送ってくれる車の中。
「〇〇(私の旧姓)、大丈夫か」
と先生は言って、カップアイスを食べさせてくれた。
私は、「なぜ、この場面でアイス?」と思ったけれど、先生が目一杯気遣ってくれたその優しさに、アイスを無理矢理口に押し込んだ。

突然すぎて涙が一滴も出てこなかったっけ。
前日の夜まで元気だったよね?

あのころに感じた、死は突然来るんだという無力さ。
不器用で、子どもとリラックスして喋れなかった父。
でも、眠っている子どもの寝床に来て、寒くないかとわざわざ布団を肩までかけ直してくれていた父。
しつけに厳しい父が怖かったけど、そんな父の愛情を感じていた私。
もっと甘えたいと思っていたのに、もう甘えられない。

母も、いつ死んでしまうかわからないと思ったら、夜眠るのが怖くなった。あのころ母が死んでしまう夢を何度も見た。

そのときから抱き続けてきた「人はいつ死ぬかわからない」という思い。
だけど、生きているならいろいろ挑戦したいし、今を楽しみたい。

50代からWebライターに挑戦するなんて、お気楽だからできること。

突然来る人の死が悲しく空しいという思いと、いつそのときが来るかわからないから今が大切という思い。
悲観的と楽観的、どちらも同居し続けている。

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