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どこが「チャラい」かわからない近藤康太郎先生の特別講座を受講して

2024年5月18日、近藤康太郎先生の『宇宙一チャラい仕事論』刊行記念 特別講座を受講した。場所は目黒のCCCメディアハウス内。
生の近藤先生にお会いするのは2回目。
前回の町田で開催された講演会に参加したとき以来である。

あのときは『三行で撃つ』を読んで講演会に臨んだ。今回は『宇宙一チャラい仕事論』出版後。
本を読んでも頭をガツンと殴られたような気がしたが、生の近藤先生の言葉は、もっと重みをもって自分に迫ってきた。

先生の「チャラい」というのは見せかけである。この文字を真に受けて本を読むと痛い目に遭う。
「仕事」と「遊び」に「勉強」、全てを全力でやれと。
この「仕事」に関しても、猟師に農家、記者、著者などの肩書きを持ちながら、音楽も聴きにコンサートに行き、映画やお芝居も観て、本も読んで……。
どれか一つでも欠けたらいけないという。
やはり、近藤先生はご自分でも言うように、狂っているのだろう。
だから、凡人には到達しえない境地に達しているのだ。

しかし、ここで近藤先生は特別だからできるんだと、突き放して考えるのも凡人のゆえなのだろう。
近藤先生は、「書く」ために、朝1時間必ず時間を作ってものを書いている。ライターなら当たり前と。
言い訳をするな。子育てが忙しい?なら子どもが起きる1時間前に起きましょう。夜は忙しい?なら朝1時間早く起きましょう、と。

猟師は明け方が勝負だから、午前1時に起きて書く時期もあるという。いったい何時に寝ているのだろう。
才能がある人でも、努力は人一倍、いや人の何倍もしている。
凡人の自分がなまぬるい湯につかりきっている現実を突きつけられると、その場から逃げ出したくなる。

近藤先生の言葉は私には劇薬だ。
厳しすぎて耐えられない。
仕事だけでなく、人生への向き合い方を厳しく問うてくる。

しかし、サングラスで優しさを隠している近藤先生。
人情に厚い人だから周りに人が集まるのだろう。
近藤先生の行動には優しさが見え隠れする。
「しょうがないから〇〇してやったけど」と、ついつい情にほだされてやってしまったエピソードを伺うと、それがよくわかる。

命がけの仕事、命がけの講義。魂を削って講義をしてくださって、ありがとうございました。

劇薬だけど熱い心に接したくて、私は今日も町田から近藤先生のトークイベントに行く!



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