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小さなことでも困っていることには声をあげよう

声をあげるといっても、デモをしたり署名をしたりということではない。
困っていることを口に出すことだ。

先日とても感激したことがあったので記しておこう。

今私は母との旅の準備を進めている。
母とは別居しているので、帰省したときにしか体の状態を見ることができない。会うとしても、生活をともにしていないので気づかないことが多い。

80も超えるとさすがに体が衰えていくのが早くなる。
この前びっくりしたのは、半年会わないうちに急に腰が曲がってしまったことだ。1年前も母と2人で旅行に行ったのだが、そのときは壁を頼りに伝い歩きするぐらいだった。膝が痛いと言いながら。

夏に帰省すると、500mぐらいの近所の店も歩けないので車で行くとのこと。
膝も痛いし、背中も痛いので腰を曲げたほう歩きやすいとか。
老いが加速している。

今度の旅行がもしかして最後かもしれないと思ってしまう。

飛行機で行くのだが、飛行場の中も歩くのが大変だろう。
そう思った私は、早速航空会社に車いすと飛行機の席のことで問い合わせをした。

羽田空港の車いすの手配をお願いしたら、旅の到着空港、さらに帰路の便の車いすまで一度で配慮してもらえた。

このことにもびっくり。
飛行機もなるべく歩かないで済むような席を予約してくれた。

車いすが必要な人は、次はこれが困るだろうという流れができているみたいだ。

どうしてこの流れができたか考えてみる。
かつて大勢の人が空港に車いすのことで問い合わせがあったのだろう。そして、次のお困りごとも大体同じ。この声が積み重なって、サービスが改善されていったに違いない。

私は結構人の顔色を見て、自分が我慢してしまうことも多い。
それで一人で悶々として困ったり、自分を責めたり。

しかし、自分の困っている声を出すのは、サービス改善の面でもよいのではないか。
困っているのは自分一人ではないかもしれない。積み重なって皆の生きやすさに繋げていけたら。

誰にでも老いはやってきて、いつ誰が病気になってもおかしくない。
健康な人だけでなく、誰もが住みやすい街になれたらと思う。





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