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詩とそれにまつわる話(チチとハハ)

「詩を書くことが好きです。」私の自己紹介は大体この一文から始まります。詩を書くことが好き。でも、詩ってあんまり思ったこと伝わらないよね。ダイレクトに伝えるのが怖かったり、タブーっぽかったりすることを、私は詩にしているのかもしれません。
でも、私が伝えたい想いはあるはずだから、それが伝わらないのも嫌だなあ。そう思って、詩と、それにまつわる話を書いていきます。今は詩が書けない時期だから、そういう解釈を連ねることに専念して、前書いていた詩を掘り起こしていきます。やったことのない挑戦だけど、トライしてみます。し続けてみます。

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私のちちは消防士だから
母はユメも見ずに眠ったでしょう

怖いことが起きたら
それが夢ですと言えるように

小さなおさなごを2人抱えて
喜びのあさを何度迎えたでしょう

わたしはその時のきおくが全くない

てをにぎったその先に
帰らぬ人がいることを知ったのは
もっと大きくなってからのこと

生きていてほしい
と大きくねがう

ちっぽけな祈りをあなたが食べて
2人は夢の中に眠るでしょう

まるで小さなおさなごのように

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人は死んだらどうなるんだろう?始めてそう考えたのはいつの頃だろう。
小さい頃の私。お父さんやお母さんがいなくなって、会えなくなってしまうことを想像して、勝手に泣いていた記憶があります。悲しい、悲しい、こわい、寂しい。小さい頃ではなくて、今もたまに訪れる、ふとした悲しみはこの頃からかもしれません。
私のお父さんは消防士です。今は違うけれど、昔若い頃は、消火隊員として現場で火を消していることが多くありました。一週間のうちのどこかは夜勤で、朝帰ってくる日がありました。消防士の仕事って、人を助ける仕事でもあるけど、人を看取ることもあるのだと思います。私が幾つの頃か分からないけど、消火活動中に仲間が亡くなる話をされて、すごくかわいそうに思ったことを覚えています。その人はどんな気持ちで、火の中にいたんだろう。どんな気持ちで、仲間が自分を置いて去っていくところを見ていたのだろう。
もしお父さんが消火中に死んでしまっていたら。その恐怖に一番怯えていたのは、子供を抱えて帰りを待つお母さんだったのだと、今では思います。お父さんが違う部署に移った時に、「怖いから消火隊から離れてよかった」と言っていたことを覚えています。
生きていてほしい、と願う気持ちは、時に強大な力を発揮する。かもしれない。けど、側から見ていたら、その行動はとってもちっぽけに感じる。
愛しさの篭った祈りは、多分こんぺいとうみたいに小ちゃくて可愛くて、そうしてキラキラと輝いているのだろう。


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