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寝るよ、もう寝るんだよ、東出昌大を妬みながらね・・・。

 数日前から、東出昌大さんの動画を見ている。
ほら、どこかの地方で猟師さんをしながら生きてるって言う・・・。

 今日見た動画は、雪山を片道1時間半も鹿を撃つ為に歩いている動画だった。
結果的に鹿は取れなかったのだけど。
でも私が見た感じ、落ち込んでいるわけでも悔しがっているわけでもなく、「まあ、そんな日もあるさ」という感じで飄々としていた。

 私から見たら、東出昌大さんの生活は、すごく優雅で豊かな生活だと思う。

 豊かというは、精神的な豊かさとか、哲学的なことを考える日々、温かい人との交流など、物質ではなく、簡単に数値化しづらい見えない豊かさということだ。

 悔しくて、羨ましい。そして人間である前に動物である存在として、至って当たり前な価値観に身を寄せているのだと思える。

 本来、1時間半筋肉使いまくって歩いたからと言って、得たかったものが得れないということは昔であれば頻繁にあったことだと思う。
収穫が無かったら無かったで、それを受け入れる。
有ったら喜んで、今日は運が良かったと思えて、収穫を食す喜びは深いだろう。

 意味が無いかもしれない、得れないかもしれない。
それに時間を何時間も使えることは、昔の当たり前、現代人には稀に見る富を得ていると言える。

 現代って、「それに何の意味が?」「それって何の得が?」「それで、今日、何が成長したのか?」などと問うてこられるような日々を送っている人は沢山いると思う。

 東出さんの生き方は、その世界線をスッカリ切ったような生き方だ。
答えの無い問いを思いながら、日々目の前のことをこなしていく。
雪山を歩く。狩猟の成果が無くても、それを本人も他の人もジャッジしない。

 悔しい! 羨ましい! キーボードで文字を打ちながら、胃から胃酸が逆流しそうだ。


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