黄色い表紙

 本の表紙というのは大切です。建物でいえばファサード、人でいえば顔といったところでしょうか。装丁というのは実に奥深い世界で、それだけで一冊の本ができてしまいますが、その本の装丁はどうしましょう。
 さて、本という存在。これはとてもシンプルですが、人間の発明品の中でも非常に優れたものだと思います。小学生くらいまでは、所詮紙を束ねたもの、くらいの認識しかしていなかったのですが、実際はそれのみで独立する芸術品です。
 文庫本でも良いものはもちろん良いですが、やはり単行本、それも総体として肌触りの良いものがお気に入りです。漱石全集とか鴎外全集とかの高級なものは、見ても触れても飽きない装丁で、お金があれば全部揃えたいと常日頃思っています。
 古本屋市場をチラと拝見するに、やはり美しい本というものは万人を魅了するらしく、非常な高価で流通する場合もあるようです。今一番欲しいものは武満徹著作集です。(新潮社、絶版、高い。図書館で読んだが、かなり良い。再版希望。谷川俊太郎氏の書棚にありと発見済み。)
 引っ越しをするときなどに、本は実に重いなあと思います。その度に不要な本を整理せねばと思うのですが、これがなかなかできません。「どこでもドア」があって、その先に自分だけの図書館のようなものを作れて、いつでも確実な手触りのある本にアクセスできる、そんな世界が訪れたらとても幸福だと思います。あるいは、立花隆さんの猫ビルみたいに、本をジャンジャン置いておける自分だけの空間を手にできたら・・・
 電子書籍も別に嫌いではありません。特に電車の中などでは人目につかずに好きなように読めるし、気に入った文章にマークして読み返す機能は紙の本よりも便利だったりします。つまらない会議(医者界隈ではカンファレンスなる集団的時間浪費現象が常です)の最中の良友としてお世話になっています。
 しかし、僕はやはり、本の手触りを求めてしまうのです。理想的な本のイメージ。それは、どこからでも入っていけて、どこをとっても美しく、そして実際に手で触れていて心地よい本。中国のインペリアルイエローですか、あれに近い黄色の表紙で、できれば少し糸が織り込んであって、頑丈な表紙。紙は、岩波現代文庫のそれのような、ややツルツルとしているけれどもめくりやすい感じ、注釈は長すぎず、かといって短すぎず、特に外国語に関する注が的確で、注そのものから新たな世界が展開しうるような、そんな本が最高です。(無論、辞書はまた別です。あれはむしろペラペラで鈍器として友人を殴れるくらいの手軽な軽さを持っているのが望ましい。良い辞書は、例文も見飽きないので、高校生の頃はつまらない英語の授業の間はずっと英英辞典をめくっていました。僕のお気に入りは「新スタンダード仏和辞典」です。)
 このように理想的な本を夢想している間、僕は実に幸福な気分に満たされますが、これは陶酔あるいは酩酊に近い感覚だと気づきました。結局、本というものは美しく、かつ恐ろしい存在で、「本気」を出せば、人間そのものをひっくり返すだけの力を持つのです。あな恐ろしや。
 美しい本に出会うためにはやっぱりたくさんの本と出会う必要がありそうです。しかし、加藤周一さんが「読書術」で述べられておりましたが、選ぶということは捨てるということである。読む本を選ぶということは、とりもなおさず、読まない本を捨てるということであり、何を読まないか決断するに等しい。
 このように考えていきますと、良い本との邂逅は人生の重要事項でありましょう。そして、そのためには良い書店と懇ろになっておらねばならない・・・
 酒好きがバーでお気に入りのワインやウイスキーを見つけていくように、良い本と巡り合わせてくれる、そんな書店といつか出会いたいと心から願っています。

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