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高価な服を買うことはなりたい自分になる一つの方法

本日10万円する服を買った。

私は普段はファッションにお金をかける方ではない。
コロナ禍で外出をしなくなり、且つ在宅勤務だったので、ここ2年ぐらいは下着以外買った記憶がないぐらい、服には興味がほぼ無い。

そんな私が突然10万もする服を買った。

買ったのはレザーのアウターで、更に一応ハイブランドと呼ばれているところのもの。
10万と書いたが、セールで10万なので定価は15万の代物である。

なぜファッションに無頓着な私がいきなりこんな高価なものを買ったのか。

きっかけは何を隠そう推しが着ていたからである。

「推しとお揃い!」という感覚も多少はあるが、かといって推しが着ている他の服を欲しいと思ったことはない。
今回は推しが着用している写真を見た瞬間に「これめっちゃイイ!」と思ったのである。
自分の感覚に合ったのである。

とはいえ、推しの収入と私の収入は雲泥の差があるので、しがないサラリーマンの私が簡単に買える代物ではない。

セールで40%オフになっても元値が高いからオフってもやっぱり高い。

数日考えた。
その服を買うメリットとデメリット。

ネットで"高価な服を買う"というぼんやりした検索もした。
(こんなあやふやな検索でもそれなりにヒットするものがあることに驚いた)

色々調べて考えた。

そして結果『買う』という結論に至った。

「その服を買うことによって自分に何がもたらされるか、自分にとってどういう価値があるか」
「そのもたらされるものに値する金額であるか」

がポイントであった。

金額だけみれば確かに高い。そこまで出さなくても似たようなものは探せばあるだろう。

でも、その服を着ることで自分は何かがんばれる気がした。

それは推しが着ているものだから。
それは直感で「これめっちゃステキ!」と一目惚れしたものだから。
それは自分がなりたい人物像に似合う服だから。
それは着続けるにはカッコいい人物であり続けなくてはいけないから。

高価なものだから何年も着続けたい。
何年も着続けるには、それが似合う自分で居続けなくてはいけない。
それを着続ける限り自分はがんばり続けられる。

これならばこの金額を出すだけの価値がある、と思えた。

それでもまだ迷いが残っていた。
でもやっぱり高いよね。。この服あと何年着られるのだろう。。

その迷いを払拭したのは"年齢"だった。

私はもう若くはない。年齢があがるにつれ、
どうしても似合わなくなるものが出てくる。
そういうものに遭遇すると「若い時にもっと色々おしゃれしていればよかった…」とシュンとしてしまう。

若い時は人目を気にして「自分にはこんな服は似合わないよね…」と誰にも何にも言われていないのに、安全策を取り、流行りのものも買わず、誰にでも似合うような毒にも薬にもならないような無難な服を着ていた。

でも本当はもっとおしゃれをしたかったのだと思う。

そんな若かりし頃への後悔の気持ちがあり、でも今となっては、年齢的にもう似合わないものは似合わないし、着れないものは着れないという現実をつきつけらた今、

「着られる時に着たいものを着ておこう!」

と思った。

それは昔自分ができなかったことを今やり直しているとも言える。
あの時着たかったものは今着ることは難しいけど、"人目を気にせずに着たいものを着る"という自分は今からでもなれる。

「何歳になっても人はやり直せる」

昨年後半から自分に言い聞かせてきた言葉である。妙齢になってきた自分が変わるために大事な考えである。

そんな想いも込めて、自分へのエールも込めてこの服を買おう!と思ったらもう迷いはなくなった。値段はほとんど気にならなくなった。

値段を気にせずなんでも変える財力があることはそれはそれで羨ましい。
しかし、ひとつのものを買うのに、あれこれ考え、価値を見い出せたことは、自分にとっては良い経験になったと思う。

そして何よりその服がとても愛おしい。
今家の中で希望のキラキラオーラを放っている(ように私には見える)。

出会わせてくれてありがとう、推しよ。
今日まで売れないで残っていてくれてありがとう。縁があったんだよ君(←購入した服)とは。

新年始めにとても良い買い物ができた。
今年はがんばろう。なりたい自分になるために。



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