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あたりまえとありがとうと困難と幸せ

「ありがとう」の語源は、
仏教に由来するといわれます。


お釈迦様が説かれた
「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬え」に
「ありがとう」の語源があります。

それは、お釈迦様が、阿難というお弟子になされた、こんなたとえ話です。

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「そなたは人間に生まれたことをどう思っているか」

「大変喜んでおります」

「では、どれくらい喜んでいるか」

「どれくらいと申しましても……」

「では、人間に生まれることはどれほど有難いか、たとえをもって教えよう」

そう仰られ、お話しされたのが
"盲亀浮木の譬え"です。

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「果てしなくひろがる大海原を思い浮かべるがよい。
その底深くに、
目の見えない一匹の亀(盲亀)がいる。
その亀は100年に一度、海面に顔を出す。
一方、海面には一本の丸太棒が浮いている(浮木)。
その丸太の真ん中に拳くらいの大きさの穴が空いている。
丸太は波のまにまに
風のまにまに波間をただよっているのだ。
阿難よ、この眼の見えない亀が、
浮かび上がったとき浮木の穴に、ひょいと頭を入れることがあるだろうか」

「さようなことはとても考えられません」

「絶対にないと言いきれるか」

「確かにないとはいいきれませんが、
無いと言ってもよいくらい難しいことです」

「ところが阿難よ、人間に生を受けることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなのだよ」

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この亀は目が見えないので、丸太の穴どころか丸太自体を目指すこともできないですよね。
だけど、その可能性は絶対に無いとは言えません。

「有り難い」とは
「有ることが難しい」


人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、お釈迦様は教え、諭(さと)されているのです。
これが「ありがとう」の語源だそうです。

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「ありがとう」の反対語は何か。
答えの1つが「あたりまえ」です。


「有り難い」の逆だから
「あたりまえ」。

夫なんだからそれくらいしてくれてあたりまえ。
親なんだから子どもを養ってあたりまえ。
子どもなんだから親のいうことを聞いてあたりまえ。

「あたりまえ」という心から
「ありがとう」の感謝は生まれません。

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また、こうも考えられます。

有難い
ありがとうは
有ることが難しい。
難がある
という事と捉えるなら

その反対語は
難が無い=無難。

難なく生きるのは幸せでしょうか?


苦難
困難
災難。

それらが訪れたら。

「ラッキー。また私は大きくなれる」

人は、
幸せや充実、満足を求めます。
その目標に向かって続けていくと、
必ずどこかで壁が来る時があります。

苦しみや、困難や、災いが降りかかりますが
自分の目標を決める事。
決め続けることで形になって行きます。

"わたしには◯◯と言う大きな目標があります"
と、言えるように。

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苦難、困難、災いが訪れた時
足を使って"逃げる"のか?
手を使って"挑む"のか?

"逃"げるという漢字と
"挑"むと言う漢字はよく似ています。


「兆」という漢字は
「きざし」と読みます。

物事が、まだはっきりとしたかたちとなってあらわれるまえの、予兆や兆候のことだと思います。

そこにつく部首で意味が全く違うものになります。

私の人生の大半は
人との関わりで出来ている。
ひとりでは成し得ません。

だけど、その人生を形作るには
自分に主体がないとブレまくり
流されるだけのものになってしまいます。

自分の目標を決め、
吐き続けること。
すると、自分のプラスの事の方が大きくなっていきます。

"吐"き続け、
プラスマイナスでマイナスが取り去られれば。

"叶"う
になります。

苦難、困難、災難が訪れた時は
"辛い"ですが、
吐く、からマイナスを取り
叶う、になり
取ったマイナスを"辛い"
につければ。

"幸せ"になります。

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生きる目的を考え続け
決め続ける。


ずっとずっとやる。
行動を伴う。

そうする事が、幸せに繋がります。

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さて❣️
今日もわたしにとっても
皆さんにとっても良き1日となりますように❣️
愛を込めて。