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映画感想文 キリエのうた



昨年、この映画を公開中に劇場で鑑賞した。
3時間弱ある長編であるが、退屈感は全くなかった。とにかく胸が締め付けられて、鑑賞してから2ヶ月近く経とうとしているのに、いまだにキリエの「憐れみの讃歌」を聴いては泣けてしまう。

アイナ・ジ・エンド以外考えられない

アイナ・ジ・エンドの存在ありきで映画が作られたのではないかと思うほど、適役だったと思う。
歌う以外は声が出せないキリエにとって、歌とはなんだろう。
自分と世界を繋ぐ、唯一の手段か。
溺れそうなほどの感情を表現する手がかりか。
大切なひとたちへの、愛の表現か。
そこにどんな意味を持たせようとも、アイナ・ジ・エンドの声がこちらの胸に突き刺さる。
あの歌声の振動で胸が震えたまま、全編走り抜けた感覚だった。
ボーカリストとしてのアイナ・ジ・エンドの才能はここで述べるまでもないが、女優としての彼女もとても印象的だった。
歌うキリエの力強さと対照的に、歌っていない時の彼女は控えめで優しい、ふわふわした雰囲気に満ちている。近しい人たちに寄せる親愛の気持ちが、柔らかい表情や仕草で、自然に表現されていた。
歌えて演じられる表現者は他にもいるのかもしれない。しかし、キリエの壮絶な過去と、それを背負いながら歌い続ける力強さ。これを体現できるアイナ・ジ・エンドの歌声は、唯一無二のものだと思うのだ。

あなたがここにいるから

あの日について、私はいまだに言葉を向けることができない。
私の生まれ故郷は宮城県、石巻市だ。
この映画の舞台の一つでもあり、ロケ地でもある。見慣れた景色がスクリーンに映し出され、あの土地の空気感が懐かしく甦る。
3月の昼下がりのまだ冷たい空気、空の色。
観ていて、平気ではなかった。
苦しかった。
そしてその苦しさも、まだ言葉で表すことができない。

13年いう年月だけがしっかりと過ぎていく。
けれども、故郷があまりにも無惨に瓦礫の山と化して、失われた全ての景色が、心から消えることなどない。

そんな自分の気持ちと、登場人物の心情が少しずつ重なり、消えない過去と現在地、そして生き続けなければならない未来について、嫌でも感傷的にとらえてしまったが。

世界はどこにもないよ
だけど  いまここを歩くんだ
希望とか見当たらない
だけど  あなたがここにいるから

あなたがここにいる。
それだけで明日を、未来を、紡いでいく勇気がもらえる。そんな「あなた」が思い浮かぶことが、どれほど尊いことかを痛感する。 

なぜだろうか。
この映画を見てから、深くしまい込んだあらゆる感情もろとも、ちゃんと抱きしめて生きようと思えたのは。

生き続けることの途方もないツラさを、程度の差こそあれ、誰しも抱えていて。
キリエの歌声は、そんな、観ている人の深くしまい込んでいる感情の溜まりに響くのだろう。

何度も見返したくなる気楽さは無いけれども、この映画を観たあとの感動は、忘れることはないと思う。

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