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初めてのひとり映画、今はない映画館


2000年。
初めてひとりで映画鑑賞をしたのは、高校3年生の夏だった。
夏が始まる少し前だったような気もする。
16:00くらいだった。
空調があまり効かない映画館だった。

そんな、夕方の生ぬるい空気の中で。
「石巻東宝映画劇場」にて、ソフィア・コッポラ監督の「バージンスーサイズ」を観た。

なぜその映画だったのか。
それは単に、おしゃれな映画を観るおしゃれな子に憧れていたからだ。

生まれ育った街が、好きになれず、こんな何もないところから出て行きたい、なんて思っていた。高校卒業後は都会へ行きたくて、進路もそれに合わせて決めていた。

どこか埃っぽい匂いのする映画館。16:00台のバージンスーサイズの観客は、私と中年男性のふたりだけだった。
1999年にJR石巻駅前のデパートに、7スクリーンのシネコンができた。そのために、東宝劇場の客足はかなり減っていたのだろう。
私としては、シネコンに行かずにこちらでバージンスーサイズを観ている自分がかっこいいと思っていた。

10代の少女は背伸びをするものだし、憧れを胸に迷走をする。そのために不可解な行動をして、他人を傷つけ、結局自分も傷付く。厄介なことに、その行動が自分でも理解できなかったりする。

スクリーンの中で、淡いやわらかなトーンで美しい少女たちが映し出される。
70年代を感じさせるこの映画の全てが、おしゃれにみえて胸がときめく。

ときめく。
しかし、どうしようもなく胸が苦しくなって、涙が溢れてきた。



映画がはじまる1時間前、彼氏とお別れをした。
中学の頃から、4年お付き合いしていた、初めての彼氏だった。
他に好きな人ができた、とウソをついた。

今振り返れば、淡くソフトフォーカスな映像も、Airなどの音楽だって、ちゃんと観ておきたかったのに。
涙でぼやけて、彼の悲しそうな顔ばかりが思い出されて、記憶の中のバージンスーサイズはきれいな欠片がバラバラにあるだけだ。


好きだったのか、恋に恋していただけだったのか、彼との気持ちの温度差についていけなくなった。
それをどんな言葉で伝えたらいいのかもわからない私は、ウソをついた。

美しい少女たちが自死を選ぶ、その精神世界は不可解で、そして謎のまま映画は終わる。
私は同じように、自分の精神世界がわからなくて、わからなすぎて、泣きながらすこし笑った。

なぜ泣いているのか、わからなかった。
ただひとつ、自分が彼を深く傷つけてしまった、ということだけはわかっていた。

石巻東宝劇場は、それから数ヶ月後に閉館した。
バージンスーサイズを観た日が、最初で最後になってしまった。

私は東京に進学し、あの街に帰ることはなく生きている。
彼とも、それ以来会うことはなかった。
レンタルDVDを探している時に、バージンスーサイズのジャケットを見かけると、切ない気持ちになった。

初めてのひとり映画は、思い出すと胸が苦しくなる。あの頃よりはまだ、自分の感情にあらゆる名前を付けて、他人に伝えられるようになった気はする。
けれど、いまだに胸が苦しくなるのは、不器用な別れの告げ方をした自分に、後悔しているからなんだろう。

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