#2.5 隣の席は濡れている

それは、昼下がりの土曜日
買い物を終えた僕は
座りたいがためにあえて各駅停車の準急に乗車しました。

乗車時は空いていた座席も停車ごとに埋まっていきます。
僕の右隣りが埋まり、そして左隣りも

「えっ、なんか濡れてる」

一度腰を下ろした女性でしたが
直ぐに立ち上がり、他の車両へと去っていきました。

顔を上げ、座席に目をやった僕でしたが
見た目には何も変わらぬいつもの座席だったので、スマホへまた目線を戻しました。

しかし
座席を求めて来るのがその女性一人だけということはなく
濡れているらしいその座席に人はまたやってきます。
「ここ濡れているんだけどな…」と思いながらも
声にすることはなくスマホを眺めていました。

すると、左側から
「ここ濡れているので、やめておいた方が良いですよ」

僕は声に反応し、ふと顔を上げると
声の主であろうその女性と目が会いました。
その目には何かを決意した真っすぐさがありました。

それを見て
「めんどくさそうだな」そう感じました。

隣席に来た人にその都度
席が濡れていることを説明しなくちゃいけないのか…

帰宅時間を遅らせてまで手にした席なのに、
手放してしまいたくなりました。

でも
次々とやって来る乗客を彼女一人に捌かせるのは申し訳ない
いや、情けないと感じました。

そして
僕も”濡れている席の隣に座った人間”として
共に戦うことを決めたのです。

空席を真ん中として
左側から来た乗客は彼女が、右側から来た乗客は僕が担当します。

「ここは濡れています!」
「ここは濡れています!」

二人を救出したところで
彼女の守備範囲であるはずの、自分の左側から人の気配が
そして、隣席に今にも腰を下ろそうと
僕の意識は完全に右に向いていたために反応が遅れました。

僕が座っていたのは車両の端、優先座席側だったこともあり
彼女の守備範囲と僕の守備範囲とでは仕事量に差があったのかもしれません。
護れなかった人を思いながら、ゆっくりと振り返りました。

すると
座っていたのは、なんと彼女だったのです。

お尻にはレジ袋が敷かれていました。
なるほど、その手があったのか…

「もう大丈夫です!巻き込んでしまってスミマセン」と微笑む彼女
小さいけれど確かに聞こえた
周囲の人の「おぉ~」

最寄り駅に着くまで「ここ濡れてます!」を言い続けようと
覚悟を決めた自分がバカみたいでした。

おわり


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