いよわさんの「ディアーマイウィッチクラフト」という曲について
こんにちわ葦原です。
ゆめみるうろこ、リレイアウターのリミックス、ポケミクと、今年に入ってからいよわ供給が多くて嬉しいですね。
先日、いよわさんも参加しているコンピアルバム「まわるほしよにうかぶゆめ」が各種配信サイトで配信を開始しました。
なので私も聴きました。(アルバム買えよカス)
個人的にはmanikaさんのエヴォークという曲のリミックスが凄く良かったです。あとパジャミィリミックスも最高でした。
「まわるほしよにうかぶゆめ」、、、
アルバムジャケットにはとんがり帽子を被った少女が大きく描かれています。
アクセサリーや色合いは「まわるほしよ」の印象を意識したものになっていますが、とんがり帽子を被った少女、というモチーフはやはり魔法使いなのでしょう。
収録されているオリ曲「ヨルの全て」「粗大ごみの日」にも「魔法」というワードが共通して出てきます。
今回のアルバムでは「夜」「祈り」「魔法」などの概念が重要な意味を持っているように思いました。
なので、今回は魔法つながりで、「ディアーマイウィッチクラフト」について感想等を書こうと思います。
今回も感想と歌詞解釈を中心とした記事にしますが、いくつか考察めいたことも言うと思います。
これは私の個人的な、浅薄な意見だということを先に断っておきます。
曲の捉え方に正解はないので、あくまで一例として、この記事が解釈や考察の一助になればいいなと思います。
まずは歌詞全文を貼ります。
続いて動画です。
ディアーマイウィッチクラフト
不安定で儚いかわいい曲ですよね。
記事構成は過去記事に習って歌詞を区切りながら解釈を書いていこうと思います。
登場人物は二人(三人)です。
まずはまほちゃん、、、ですが、まほちゃんは二人出てくるので、それぞれ別の呼称で区別しておきます。
リボンちゃん
髪飾りがリボンだからです。
☆ちゃん
髪飾りが星型だからです。
友達
まほちゃんの一番の親友です。
物語の主人公はリボンちゃんです。
そのためこの曲は基本的にリボンちゃん主観で進みます。
「ママに言わなかったカミサマからのおくり物」
これは魔法のステッキのことですね。
おくり物、とあるので少なくともリボンちゃんが作ったわけではなさそうです。
最初はクリスマスプレゼントかとも思ったんですが、クリスマスのプレゼントを親に内緒にするのは少し不自然な気もします。普通親の方から訊いてくるはずですから。さらに「説明書の一つも渡してくれなかったけど」とあることから、既製品ではなさそうなので、親からのプレゼントの線は薄いかなと思いました。
なのでこのステッキは、「親やリボンちゃん以外の誰か」からのおくり物、とここの時点では解釈しておきます。
そしてリボンちゃんはこれを「たからもの」にした。
ところどころ歌詞が平仮名になっているのが幼さを感じられて凄く良いですよね。
動画について
今回は白背景スタートです。
最初に顔を上げて何かを見つけたように目を見開く描写があります。
このMVはオレンジ基調で構成されていて、リボンちゃんは瞳と頬がオレンジ色になっています。
その後オレンジ一色の画面が入り、ステッキを受け取ろうとしているリボンちゃんと共に、タイトル・クレジットが現れます。
基本的にはオレンジ一色の画面を間に挟みながら場面転換するという展開が続きます。(面倒なので今後はこのオレンジ一色の画面のことを「暗転」と呼称します。)
また、最初の暗転以降は、画面がオレンジの枠で縁取られるようになります。これはラストの夢オチ以降も同じです。
「魔法」に出会う前と後で、まほちゃんの世界に決定的な変化があったということなのでしょう。
リボンちゃんは、ねこ柄のマグカップを壊していしまいました。
今度は期待感ではなく、後ろめたさからママに告白できなかったようです。
本来壊れたものはもとにはもどらないです。
いよわ楽曲では、時間が不可逆である、という表現が度々登場します。
無垢なる切符は片道分しか無いですし、時計の針は逆には進みません。
それが翻って、本来不可逆であるはずのものが元通りになるというのは、いよわ楽曲において大きな、そして多くの場合不吉な意味合いを持つように思います。
この曲やラストジャーニーとかもその類ですね。
今回は、リボンちゃんが、もどりはしないはずの壊れたマグカップを手にした時、部屋が光って、魔法が現れます。
動画では、間奏でマグカップが落下して破損する様子を描いて、幾つかの暗転を挟みながら、リボンちゃんがマグカップを手に涙ぐむ姿が描かれます。
この描写から、「ぼやけたいつもの部屋」は涙でぼやけた自室のことを表していると分かります。
マグカップ割ったくらいで半泣きになっちゃうのかわいいですね〜。
この時点でのリボンちゃんは、夕焼け色の奇跡に胸を躍らせる純粋な希望一色に見えますが、一方で、半ば強迫観念めいたものによって、「魔法」に駆られているようにも見えます。
魔法じゃなきゃ説明できない、というのは「魔法が使えたんだ、魔法に決まっている」と自分に言い聞かせているのかもしれません。
「あの日あの時失ったものが戻ってくるのなら」という仮定条件も、魔法を使うことに対して言い訳をしているようにも聞こえます。
期待感と裏腹に、この時点ですでに「魔法」のもつ危険性を薄く感じ取っているように見えました。そう思うと、「こどうをおさえて」も複数の感情がないまぜになった結果なのかもしれませんね。
ステッキがもたらしたのは、魔法なのかキセキなのか、はたまた呪いなのか。
いずれにせよ、夕焼けというのは美しいですが、長続きはしないものです。
ステッキとマグカップを手に駆け出したリボンちゃんは、「あの日あの時失ったもの」を次々と魔法で元通りにしていきます。
くまの人形。
飼っていた猫。(マグカップといい、猫好きなんでしょうか。)
小さなきっかけから絶交しちゃったいちばんの親友。
無生物、生物、人間。
どんどん倫理的にまずい対象を元通りにしていきます。
「マグカップ」は「自分の犯した失敗」、「ぼろぼろになった人形」は「思い出や時間」、「飼って”いた”猫」は「生き物の死」、「一番の親友」は「人間関係の軋轢」、をそれぞれ表しているように思えます。
この曲を聴きながらまず疑問に思ったのは、この「魔法」は、それら(失敗、経年、死、軋轢)を修復しているのか、それとも、無かったことにしているのか、というものです。
私は聴いた当初は、後者だと思っていました。また、後者であることが「魔法」の持つ危険性なのだと考えていました。
過ちを無かったことにしてしまうという危険性です。
しかし、よく読んでみると、少なくともリボンちゃん自身は、過程はあまり気にしていないようで、ひたすらに「元通りになる」という結果に言及しています。
過程を意図的に無視しているのか、考えが及んでいないだけなのかは判断しかねますが、少なくともこの曲の中で「元通りになる」までの過程はあまり重要な要素ではないのではないでしょうか。
その過程を隠すための「魔法」というワードなのかも知れません。
「満たされた」というのは、「あの日あの時失ったもの」の喪失から解放されて幸せな状態にある、という現在を指しているように思います。
しかし、「もう悲しまなくてもいいのね」というのは、「あの日あの時失ったもの」の喪失感から解放されたがゆえに、ではなく、今後起こりうる喪失を取り返すことができるようになったから、だと思いました。
魔法そのものによる変化ではなくて、「魔法を持っている自分」を想定したうえでの心情です。
今まで失ってきたものを次々に取り戻していくリボンちゃん。幸福や充足感も色濃くなっていきますが、突然背後から、「同じ声」が囁きかけてきます。
声の主は☆ちゃん。
「何回使った?」
これについては後で書きます。
動画について
ここで初めて親友ちゃんが登場します。
かわいいですね。
しかし、「満たされた」〜「同じ声がささやいた」までの間は、可愛い映像とは対称的に、凄く不穏なピアノが鳴ります。
階段を転げ落ちるような不安を掻き立てられる音、それが4回。
それぞれがマグカップ〜親友までの魔法の使用を表しているのでしょう。
てかこの曲もかなりピアノ発狂してますね。
「何回使った?」
からはリボンちゃんと☆ちゃんが代わる代わる反転の構図で現れます。
リボンちゃんは酷く動揺してしています。
☆ちゃんは続けざまにリボンちゃんに対して倫理を問います。
魔法でいつでも直せるものを大切に思い続けられるのか、魔法で作り直した友情は本物と言えるのか。
この魔法の危険性は、魔法を使った本人の価値観が変化していしまうことだと思います。
壊れた大切なものを直す手段を手に入れたことで、大切なものを大切に思う心が壊れていく。
何かを失った時の喪失感は、それが心に占めていた質量の裏返しです。
「もう悲しまなくてもいい」ということは、その反対の感情も無くなってしまうということなのではないでしょうか。
MVでは、親友ちゃんの手が離れていくシーンが一瞬写った後、杖・マグカップ(=魔法の象徴)を失った状態のリボンちゃんが描かれます。
こどうをおさえて飛び出した、のときと同じ構図で、杖とマグカップがない状態になっています。
信じていた魔法の痕跡が失われていきます。
それだけではありません。
もう気づいている人も多いと思いますが、一千光年とも構図が符合しています。
魔法で直した友情はホンモノなの? のシーンでは、全身が背景色と同様のオレンジ色になった親友ちゃんと、杖が現れます。
この表現はラストにもう一度だけ出てきます。
☆ちゃんの質問に対するリボンちゃんの最初の答えは「逃避」でした。
「夢中で」は「夢の中で」と、とることができます。
本来自分の思い通り、すなわち、壊れたものさえ元通りになるはずの夢の中であるのに、☆ちゃんに問いただされたことで悪夢に変わり、逃げ出さなくてはいけなくなってしまった。
ステッキも直ったマグカップも存在しない、魔法は使えない、という事実を認めるのが怖かったのでしょう。
「許されたはずのこどうをおさえた」とあります。
「許されたはずの」ということは、「許されなかった鼓動」があるということです。
もちろん今現在のリボンちゃんもそうですが、「許され”た”はずの」とあるので、過去にリボンちゃんにとっての、「許されなかった鼓動」に当たる存在があったと推測することが出来ます。
ここからは妄想ぎみの考察になるのですが、この「許されなかった鼓動」というのが、☆ちゃんのことなのではないでしょうか。
鼓動、すなわち「生きること」が許されなかった☆ちゃんと違って、リボンちゃんには「こどうが許されたはず」だったのに、、、という。
☆ちゃん、もしかして死んでるんじゃないでしょうか?
MVを見ていきます。
構図は同じですが、リボンちゃんの視線は後ろに向いています。
先程とは違い、何かから逃げている様子です。
また、背景も変化しています。
車と電柱がある、おそらく屋外の風景です。
そして縦に二本、白抜きの部分があります。
同じレイヤーで画像を複数枚重ねたりすると、選択範囲のミスでこのような事が起こったりもするのですが、ミスにしてはあまりに大きすぎますし、このシーンだけ雰囲気が異なるので、おそらく白抜きも意図的なものだと思います。
この白抜きと背景に関しては、正直、わかりませんでした。すいません。
誰か教えて。
電柱繋がりなら、ももいろの鍵の電車内のフラッシュバックがあります。
ももちゃんは、度々「窓の外にある(いる)何か」を見つめる描写がありましたし、この電車の窓枠が白抜き、としても良いんですが、少しこじつけがすぎます。
車つながりならもちろんオーバー!がありますが、車種がぜんぜん違う。
オーバー!の車はオープンカーです。
とにかく、このシーンはそれまでの白背景とは違った少し異質なシーンです。背景色もグレーが基調です。
リボンちゃん(白背景)と☆ちゃん(黒背景)が交錯している、あるいは☆ちゃんがリボンちゃんの世界を侵食しているため、混色のグレーになっているんでしょうか。
また、一瞬だけですが、リボンちゃんが☆ちゃんに入れ替わるシーンがあります。
、、、口がないですね。
逃避しきれなかったのでしょう。
魔法を手にしたことで歪んだ価値観を、「かんちがい」と認めたことで、魔法は失われてしまいました。
悲しい書き方ですが、幼いまほちゃんにとって、これは倫理観の獲得という成長でもあります。
いよわ曲では、知覚や成長が肯定的に描かれないこともままあります。
それこそ今まで記事で書いたアプリコットなどが代表だと思います。
やはり、いよわさん本人の思想や感情のひとつとしてそういうものがあるのではないかと思います。
動画では、一度暗転が入って画面転換。
俯いたリボンちゃんが息を荒げる様子が映ります。
また、間に一瞬だけ引きの絵が入ります。
まほちゃんは、ステッキを身体の前に持っています。
もはやそれはただの棒切れですが。
一番と違い、ここでの「魔法が使えたの」は、「使えたけれど、今はもう使えない」というニュアンスを含んでいます。
「魔法じゃなきゃ説明できないことが起こったの」も、「これは魔法に決まっている」ではなく、「魔法は確かに在ったんだ」というニュアンスが近いと思います。
魔法は失われ、たからものはただの棒切れになってしまったけれど、夕焼け色のキセキはたしかにあった。
本当よ。
MVでは、座り込むリボンちゃんの後ろ姿と、その前に立つ☆ちゃんが映ります。ちょうど☆ちゃんの目が映らないような画角です。
リボンちゃんのみに注目してみると、このシーンは、先程の引きの絵を背中側から見た絵ととれます。
とすると、リボンちゃんが持っているステッキが☆ちゃんということになりますね。
星を象ったステッキですし。
最高の歌詞ですよねここ。
壊れたものを全部元通りにすることは救いにはならない。
魔法で大切なものを元通りにしても、大切と思える価値観が壊れてしまう。
失ったものは失ったままそれを抱えて生きていかなくちゃならないのです。
最後の涙は、☆ちゃんのものでしょう。
MVでは、へたりこんだリボンちゃんに☆ちゃんが顔を寄せて、「魔法は必要だった?」と問います。
ステッキが☆ちゃんであるかのような演出もありましたし、☆ちゃんがステッキであるという解釈はできそうですね。
そしてリボンちゃんにハグをして、最後の台詞を言い遺し、夢は終わります。
この三枚あまりにも良すぎませんか!?
直前の☆ちゃんの表情とのギャップが効いててめちゃくちゃかわいい。
歌詞と良い表情と良い、この儚さとかわいさが最高。
気を取り直して。
後奏では、夢から醒めたまほちゃんが窓の外を見る描写が挟まれます。
続いて画角が変わって、テーブルを挟んでまほちゃんのベッドが映ります。
テーブルの上には星型の髪飾り、☆ちゃんのものです。
髪飾りはかなりボロボロになっています。経年劣化でしょうか。
また、髪飾りアップになる前に、これもまた一瞬だけですが、全身オレンジ色の人影が現れます。
服装や状況から、おそらく☆ちゃんなのではないでしょうか。
前述した通り、この全身が背景色と同じオレンジになる表現は、親友ちゃんと、魔法のステッキに使われています。
やっぱり☆ちゃんとステッキが同一という可能性はかなり高いと思います。ステッキと☆ちゃんが同時に描かれている場面もないですし。
そうだとすれば、☆ちゃんが「必要だった?」と、魔法を与えた立場かのように振る舞うのも納得がいきます。
しかし、ステッキは夢の中の話ですが、髪飾りが実在していることから、☆ちゃんも実在していると思われます。
しかも、おそらく死んでいる。
なので、☆ちゃんの「何回 使った?」という問いの答えは5回だと私は思いました。
マグカップ、人形、猫、親友、そして、☆ちゃんで5回です。
死んでしまった☆ちゃんを、魔法のステッキとして蘇らせたそのものが、魔法の一つだったのだと思います。
☆ちゃんは、リボンちゃんの姉や妹なのか、はたまた過去の自分や実現しなかった可能性の自分なのか、わかりませんが、星型の髪飾りを付けていて、死んでしまったため、リボンちゃんにとって「あの日あの時失ったもの」にあたる存在だったのではないでしょうか。
ラスト。
髪飾りを見たまほちゃんが涙を浮かべ、☆ちゃんが振り返るカットが入って終了です。
なんて良い演出なんだ。
良かった。最高だ。
以上です。
夕焼け色の奇跡。
儚くてかわいらしい曲でした。
夢オチってのがまたいいですよね。
どうでもいいんですが、私は最近18になりました。
私に限らず、同年代の人なら、成人、あるいは教育課程の上での節目として、自身の人生を振り返ることがあると思います。
成長の節目でもあるので、本当は喜ばしいことなのですが。
私は自分の生きてきた18年間を振り返ったときに、あんまりにも取り零したものが多すぎて凄く憂鬱な気分になります。
人生の分岐点はその殆どで間違いを選んだ気がしますし、もう回収できないイベントもたくさんありました。私と同年代、あるいは私より若いにもかかわらず、私よりずっと先を歩いていて、ずっと速い速度で生きている人たちがいます。
人生の節目に立って、今まで積み重ねてきた喪失や失敗が、ある一定の単位として確定してしまったような気分になります。
多分、これからの人生の節目でも、相変わらず同じような気持ちになるのでしょう。
嘆いても仕方ないことは重々承知なのですが、それでも強い喪失感を覚えます。
しかし、私の世界にも魔法はありません。
失くしたものは元通りにはならないですし、元通りにすることが救いにはならないです。なので、難しいことですが失くしたものは失くしたものとして、そのまま抱えて歩いていきたいなと思いました。
とても難しいことですが。
素敵な大人になりたいですね。
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