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愛を注ぎ続けること

考えはまとまっていないのだけど
このまま篭り続けると自分が亡くなるような気がしたので
無理矢理にでも書くことにした。
自分のためだけに書く、そんな記事もたまにはいい、そういうことにした。

ここ最近の悩み、それが「私が愛を注げるもの」だ。
自分が好きなもの、好きな人、憧れる人、ワクワクするものに共通するものは何かに愛を注いでいること。どこかに愛を感じるものだ。
だから多分私の永遠の課題は愛なんだと思う。
ただ今の私には愛を注げるものがないし、注げた経験がない。
(こんなことを言ったら色んな人に悲しまれそうだけど..今はそれとは別のお話。)

私は専ら熱し易く冷め易いタイプだ。保温機能が備わっていない。
初めは大事に大事にしていても、長期的に大事にすることができない。
長くても半年くらいで扱いが疎かになる。
そんな事だから仕事も長くは続かないし、人間関係も長くは続かない。
自分には愛がないと思っていたけど、多分愛はあるけどコントロールが苦手なのだと考えを改めた。
ということは最初に注ぐエネルギーが高すぎるのではないか。
何かに注げるエネルギーの上限は決まっていて、その分配が下手なのか。
とも考えた。でもどうやらそうではないらしい。

結局のところ自分を愛せる者が別の対象に愛を注ぎ続けられるのだろう、という結論になった。というか毎回そうなるのに戻ってしまうのはこうして書き留めないからだろうな。

何かに永遠の愛を注ぐにはまずは自分で自分を愛すること。これができなければ憧れはいつまで経っても憧れであり続ける。
いつまで経っても自分は何にも愛を注げないと嘆き続けることになる。
そんな人生、ゾッとする。自分が不安に思い、嫌悪に陥るのはここなのだ。

パン学校でも何度も言われている、自分にとって楽しいを基準に考えること。
ただそのためには自分が何に楽しいと感じるのかを知らないといけない。
そんなことでここ最近、自分の楽しいを求めすぎて疲れてしまっていた。元も子もない。
ただ分かったのは「楽しい」は気分が上がることだけではないようだということ。
自分が楽であること、ただただ素直でいられる、漂っている瞬間を掴めば良い。当たり前のことなんだけど。
いろんなあれやこれやは気にしないで自分のために自分の時間と資源を使う、それでいい。でもこれがなんだかんだで一番難しいことだったりする。
どうしてもお金が、とか仕事が、とか理由をつけて拒んでしまう。
でも多分だけど31歳、もう言い訳をしてる歳ではないんだろう、ね。

自分が惜しみなく愛を注ぎ続けるために、まずは来週一週間、仕事の後に自分のしたいことをしよう。それを楽しみに仕事に行こう。
ご老体のワゴンR の走行距離なんか気にせずに、行きたいところに行こう。
車が壊れてもきっとなんとかなる。大丈夫。
休みたい時はしっかり休もう。携帯ばっかり見てゴロゴロするのも大事な時間。携帯見たくないんだよな〜って時はただゴロゴロしよう、大丈夫。
断りたい時はしっかり断ろう。人は思っているより優しい。大丈夫。
食べたいものを食べたいときに好きなだけ食べよう。養生とか考えなきゃいけないことはあるけど気にするのは「ごはんはどれくらい食べれる?」だけ。他を気にすると心が死ぬ。そんなもんでいい、大丈夫。

来週の今頃はどんな顔をしてるだろうか。




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