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陶冶する

「陶冶する」(とうやする)という言葉を
聞いたことはありますか?

何の本で覚えたか忘れましたが・・・

意味は人の元々持っている素質、能力を理想的な姿までに作っていくことです。(日本大百科全書(ニッポニカ)より)

語源があるのですが
同書によると(ネットですが)
「陶器や鋳物を作り上げる」ことから
引用されてきた言葉らしいです。

今で言えば
ガラスの風鈴などどうでしょうか?

今でもめっぽう少なくなりましたが、
風鈴は炉に入れて回します。
中の高温の中で「風鈴」として
固まって形作られるのです。

私のはこのようなイメージが湧いてきます。

人は一日でガラリと変われれば
それに越したことはありません。
ですが、そう簡単にはいきません。

その日常を
単なる暇つぶしに思うか?
それとも自分を作り上げる
自分を陶冶してゆく時間にするか?

それとも
ゆっくり休養に当てるか?
思いっきり仲間と楽しむことか?
いろいろ思い浮かびますが
その人それぞれですね。

それに答えはないと思います。
人の価値観はそれぞれですから。

ただ、ただ言わせていただければ
長い人生、無為に過ごすのは
誰でも嫌でしょう。

「風の歌を聴け」(村上春樹著、講談社文庫)でも
主人公の仲間である「鼠」が
「いろんなことを考えながら50年生きることは、何も考えずに5000年生きるよりずっと疲れる」
というようなセリフがあります。(p18)

5000年生きる人はいませんが
あれこれ考えながら生きるということは
つまりは大変です。

それくらい「陶冶しながら生きる」ということは大変、面倒臭いことだと思うのです。

実業家の稲盛和夫さん(今、氏の著書を読んでいます。引用多用をお許しください)も
一日一日を大切に生きること。
先は見えなくてもその先に必ず成功があると
著者に励ましておられます。

しかし、何事にも「邪魔」が入ることを
防ぐことはできません。

数学者でもあるバーランドラッセルは
「邪魔にあったら一階下へゆけ」と言っています。

例えば夜にnoteを書いていて
どうしてもネタが思い浮かぶ気持ちになれない。
嫌なことがあったからが原因なら
「嫌なこと」が邪魔なことです。

そうしたらとりあえず保存して
明日考え直してみます。

それがラッセルのいう「一階下へゆけ」なのです。

つまりは作品を寝かせるということです。

日々嫌なことがあります。
しかし、それは他の人から見たら
大切なものかもしれません。
見方は十人十色なことだと
私は思います。

一日をどう過ごすかは
意外と考えることも大変です。
逆に良い意味でダラダラして過ごすのも
体の休養には役に立ちます。

毎日「陶冶しながら」生活するのは
大変ですが、なるべくそのように
過ごしてゆきたいです。

最後まで読んでくださり
ありがとうございます。

今日一日穏やかに過ごせますように・・・

おわり


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