見出し画像

祈りへ・・・

誰にでも
どうしようもない状況に
陥ることがあります。
人間は神様ではないので
それ自体、その人が悪いわけでなく
周囲が悪いわけでもなく
「しょうがない」と思うしかありません。

そんな時は
心にモヤモヤした気持ちが
留まってしまうのもまた
「しょうがない」です。

今朝、何気なく
書道家の武田双雲さんの
「ポジティブの教科書」を読んでいました。

そこに素敵な言葉があったので
シェアしたいと思います。
それは

心配を祈りにかえる

(同書)p132

これはなかなか至言だと思います☆
(えらそう、、、😅)

「祈り」とはネガティブな気持ちでは出来ない
「行為」です。
例え「しょうがない状況」でも
「祈る」ことが出来たら
気持ちがやさぐれることもないでしょう。
心にゆとりのある「証拠」にも
なります。


宗教改革で一生懸命働いた
ドイツの改革者ルターも
仕事の量が半端がなかったといいます。

何せ、当時「聖書」は庶民は文字がわからずに読めませんでした。

民衆はただ教会の言うことを信じるしかなかったのです。

そんな中ルターは聖書の「ドイツ語」への翻訳を敢行します。

当時のドイツ語は地域で方言が違い、一言語として統一されていませんでした。

そのドイツ語(庶民の言語)を統一しながら
ルターはみんなのために翻訳という貢献をしたのです。

そこから
現在のドイツ語が
できました。
今のドイツ語は
ルターやゲーテが作ったものと
いわれています。

話はそれてしまいましたが
ルターの言葉に
「私は忙しい。故に祈りの時間(静かな時間)が必要だ」
と述べています。
忙しいゆえの
ルターなりの静かな時間だったのでしょう。


禅の言葉に
「市中の山居」という言葉もあります。
例え毎日が都会のように忙しくても

「山の中にいるように静かな
心持ちでいよう」
という意味です。

人は環境に慣れてしまう生き物です。
なかなかそのような心境には慣れません。

「祈る」という行為は
「謙虚になれる行為です。

だからこそ「一陽来復」

暗闇の中で問題への光が見えてくるのではないでしょうか?

双雲さんの著書のメッセージとともとに
感じたことを述べてみました。

どんなことにでも
当てはまることではありませんが
少しでも心に常備しておけると良い
言葉だと私は感じます。

それでは また
おわり

itm_12345さん
素敵なイラストありがとう
ございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?