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書くことがないと嘆く前に

私たちは、何を生き急いでいるのでしょうか?

朝は早起き。
仕事には時間厳守。
なるべく仕事のパフォーマンスは良好に。
帰ってきたら食事、掃除、洗濯
自分の世界の読書、note、散歩は忘れず
睡眠は大事だから、夜は静かにねむりたい

ざっと理想的な私の1日を書いてみました。

身もふたもない言い方ですが
一人の人間にはまずこれは無理です。
不可能です。
皆さんも”変えたい習慣”にがんじがらめには
なっていないでしょいうか?

無理と分かっていても
そんな生活に憧れてしまう心理は何故でしょう?それは
人間は「完璧主義」だからです。
犬や猫に完璧という概念はありません。

noteを書くとき、または毎日更新するときに
一番と悩むことがネタです。
書くこと、書きたいことです。

しかし、前述したように
毎日、ネタになるような日々を
送っている人はどのくらいいるのでしょう?
そんな生活は普通の人には無理です。

幕末の維新志士、長州の吉田松陰の弟子である
高杉晋作は20年といく年の辞世の句として

おもしろき こともなき世を おもしろく


と言ってこの世をさりました。

初めこの句を知ったとき
無知なな私はガッカリしてしまいました。

何故なら当時は日本も好景気で
学生とはいえ好きなことは
人並みにできる刺激が溢れていた時代です。

「そんなに面白くない時代だったんだ。明治維新は」
とおバカな発想しかできない子供でした。

話をもとに戻すと
どうしたら「面白くもない日常からネタ(面白く)を生み出すか?」ということです。

このネタを生み出す方法は
八百万の方法が、書籍、インターネット、noteの記事等、あらゆるところで述べられています。

それにはやはり高杉のように
面白くないことも面白く感じられる
オープンな精神が必要です。

高杉晋作は奇兵隊など奇抜な発想で
長州藩を救った人物です。
心のオープンさは並のものではなかったでしょう。

私の書くこと(ネタにもからむかもしれません)にこころをオープンにさせる秘訣は二つあります。

・自分語りから始める。
・書くためのメモはなるべく参考にしない。
です。
ストレートにいえば書きたいことを
書きながら見つけていきます。
よくパソコンの前でフリーズしながらでも
書き続ける人に近いです。

しかし、それには
膨大なインプットがあります。
いや、今までにアウトプットする場所がなかったのです。これまでの読んだ本などの蓄積に自信があるからです。

高杉もまた維新志士として、松陰先生の生徒として膨大な読書量があったと言われています。

昔はつまらなかったので読んだ本の内容が
今の私のnoteの書きたいことです。

当時のつまらなかった読書生活と今の情報発信の時代の点と点が一直線に結ばれたと思っています。

だから

今つまらなくて辛い人に伝えたいことは

「生きていて無駄なことはない」

「かならず将来、点がつながることはある」


ということです。


さて、noteのネタの話から
生きることまでいろいろ述べました。
若い方々には笑われてしまうでしょうか?

ここまで読んでくださりありがとうございます。
また、次の記事であえたら・・・。

おわり


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