「モノ」を大切にする
結論は
「モノを大切にしたいなら
モノが壊れるまで(最後まで)
使うこと」です。
私はnoteが書けなかった時
「精神世界」を独り彷徨(さまよ)っていました。
「なぜ、noteに書けないのか?」よりも
noteに使用しているMacBookに
これ以上はまってしまうことに
ためらいがありました。
物理的にモノを大切にすること
(使用する)を忘れて
躊躇(ためら)いの気持ちを
自分の心で何とかしようと
心の中で、悪戦苦闘していたのです。
それは無意識の領域です。
無意識はコントロールは
難しいと思います。
躊躇いの気持ちと
パソコンを使わない
罪悪感の二つの領域で
心が引っ張られていました。
無意識の中なので
ものすごく辛かったです。
「精神世界」といいますが
結局、私はキーボードを打つことが
いつの間にか好きになっていました。
その心の変化も気付かぬうちの
無意識の領域です。
モノなどを大切にしまっておくことは
それはそれで大切です。
しかし、使わないでいると
それに伴って使わない「罪悪感」が出てきます。
ですから、
もし今心がざわつく方や
安心できないようになっているのなら
身の回りのモノを見回してみてください。
もしかしたらしまって置くだけのモノも
あるかもしれません。
「無用の美」(使わなくても役に立っているもの)もあるのは確かです。
しかし、私たちは現実「物質」の世界に生きています。
これが、また割り切れないところで
「精神世界」と「物質」の間で
齟齬(そご)が生まれると
心(多分に無意識の領域)に
葛藤が生まれてしまいます。
どんなに自分を律してみても
私たちは人間です。
「欲」がつきまといます。
私にとってその対象は
「MacBook」でした。
もしかしたらMacに
「劣等感」に近い気持ちを
抑圧していたのかもしれません。
それに反比例にして
「文章を書くこと」(noteを書くこと)が
好きになってきます。
その自信に蓋をしていたのが
抑圧された「劣等感」だったかもしれません。
何事も「執着」は行きすぎることは
害になりやすいです。
しかし、現実に「モノ」に「こだわる」ことは
心から大切にするためには
必要な気持ちだと思いました。
言わずもがな
私たちは「精神世界」だけでは
この世界を生きていくことは困難です。
「ガツガツ」することまでは
お勧めできませんが、
もし、何かスランプになりましたら
モノを大切にしていないか?
「大切に保管して罪悪感が生まれていないか?」を
自分に問いかけることも
今回のスランプを通して
気づけたことは成果だと思いました。
今回は「モノを大切にする」ことについて
自分の経験を通して
アーカイブ(noteにまとめてみる)してみました。
皆さんの参考になれる部分があったら
幸いです😊
では また
おわり