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BARその2

それは秋の終わりだった。
昼間は晴れていたが、夜は急に冷え込んだ。
柏木は体を小さく丸め風を避け、
時々,コートに深く手を突っ込み、
温かさを求めた。
時計の針は深夜11時を指していた。
吐く息は白い。
柏木は都会の片隅にあるバーの扉を開いた。
扉の向こうに広がるのは、
温もりと落ち着きを感じさせる空間だ。
ほのかに暗く、
心地よい灯りがテーブルを照らしている。
バーカウンターには、
さまざまなボトルが整然と並び、
その背後には経験豊かな
バーテンダーが静かに客の注文を待っている。
柏木はカウンターの端に座り、
穏やかな声でビールを注文し、
ふっと肩の力を抜き、
ゆったりとした姿勢で座り直した。
ビールを飲み終えると、
いつも同じウィスキーを注文した。
熟成されたシングルモルトだ。
もちろんそのウィスキーが
用意されていればということだが、
そのウィスキーは例外なく用意されていた。
彼がそのウィスキーをとても気に入っているので、
店側が彼のために
取って置いてくれているのだ。
柏木はそのことを知らない。
店側はそのことを知っている。
バーとはそんな場所だ。
バーテンダーは、
慎重に棚を眺め、
ボトルを手に取り、
ゆっくりと蓋を捻り開け、
グラスに注ぎ始める。
ウィスキーがグラスの底に落ちる音が、
静かなバー内に響き渡る。
柏木はグラスを手に取り、
一口飲み、吟味し、深く頷いた。
バーテンダーは微笑み、
柏木の反応を静かに見守った。
柏木は静かな男だ。
大声で話さない。
酔って不快な言動をすることがない。
携帯電話をいじりながら飲まない。
店を出る際に挨拶を忘れない。
だから店側も柏木に対して特別な対応をしているのだろう。
柏木は一口ウィスキーを飲み、過去を振り返った。
いつものように、図書館の一番隅の席に身を寄せていた。
彼の目の前には開かれた本があったが、
心は遠く離れた場所にあった。
クラスメイトたちの笑い声が、
図書館の静寂を突き破り、彼の耳に届く。
彼らが近づく足音に、心は高鳴り、
胸の中は小さな嵐のように乱れた。
彼らが彼の隣を通り過ぎていくと、
安堵の息を吐き出したが、
その胸にはぽっかりとした空虚感が残った。
彼は勇気を出して一歩踏み出そうとするが、
心の中の声がいつも彼を引き留めた。
夕暮れ時、ひとり帰路につく彼の足取りは重く、
心は複雑な感情で満ちていた。
自分の影とともに、
彼は静かに家路を急いだ。

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