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元カレのこと

前回からかなり間空いてしまいたが、その後も彼とは仲良くしています。
今日は元カレとのことを書いてみます、もう完全に吹っ切れてはいますが、さらに昇華させるためにも。

初カレ


私は超遅咲き人間なので(自分で言うのもおかしいけれども)、初めて彼氏ができたのは23歳とかなり遅めでした。たらればの話してもどうにもならないんだけど、高校生までは勉強メインで生きていいとしても、大学生のうちに1度は付き合う経験をしておいた方が良かったなあ、と今となっては思います。遅い年齢で恋愛すると、1つ1つの恋愛がとても重くなってしまうので。そんなに焦らなくとも、いつか私も王子様に出会えるはず、と23歳くらいまでずっと恥ずかしながら幻想をいただいていました。実際は、そんな甘い話はないよね(容姿がずば抜けて良い方は除いて)。

その元カレも西洋人で、別れるまでに3年近くお付き合いしました。が、振り返ってみると基本的にその期間、私は全く幸せではありませんでした。でも、それまでにろくな恋愛経験が無いから、こういう嫌で辛い思いをするのが恋愛なんだ、周りのカップルが幸せそうに見えるのは、隣の芝生が青く見えてるだけなんだ、と自分に言い聞かせていました。が、全く違いました。誰と過ごすか、でこんなにも幸せ度が違うんだなあと、今彼と付き合ってからひしひしと感じています。

元カレは、親が買い与えたフランスはパリの超中心地(各国の大使館がある区で、治安もパリの中ではとても良いエリア)のアパルトマンに1人で住んでいました。そして、彼はフリーランス(よく言えばね。実際には単なるほぼニート、親のすねかじりなのだけれども。)でしたが、家賃があり得ないくらい高いパリで、超一等地にアパルトマンを所有していること、彼の親は本当にお金持ちなんだと思います(1度お会いしたことあるけど、見た目は全く派手な感じでは無かった)。彼も本気で働く必要が無いくらいに親の資産を分けてもらっていたのだと思います。彼氏が半ニートというその現実を認めたくなくて、仕事の話題はつい避けがちだったのですが・・。

連絡の頻度


当時、対面で会うのは大体2か月おきくらい。私は4か月に1回職場で10連休があるので、それを使って毎回ヨーロッパ旅行に行っていました。パリに行ったり、他の欧州を彼と旅行したりする感じです。彼もその間で、年に数回日本へ私に会いに来てくれていました。国際遠距離としては、回数的にはかなり会えていたほうかもしれません。でも、2か月は会えないわけだから、私としては最低限毎日メッセージをしたいわけです。もちろん四六時中チャットして欲しいわけでは決してありません。時差もあるし。でも、起きている時間帯で半日以上返信できないときは事前に一言教えて欲しいとかを伝えました。でも、何回言っても、別れるまでの間にそれが改善することは結局1度もありませんでした。

携帯の通知を見ても彼からメッセージが全く来ていないこと、私のメッセージの返信にほぼ必ず数時間かかること、これが本当にストレスで、期待する自分に疲れるから彼のチャットはいつもミュートにしてました。コミュニケーションって一番大事なのに、ここが折り合わないカップルは本当にダメですよね。何回伝えても直らず(彼も直す気が無いんだからそりゃそうだ)、私もそれに対してヒスりかけるという悪循環の繰り返し。根本的に噛み合ってなかったのに、それでも彼に固執していた私。

どこからが浮気?


みなさん、どこからが浮気だと考えますか?体の関係があったらそれはもう間違いなく浮気ですよね。
では、1人暮らしのアパルトマンに、彼女(私)に伝えずに、他の日本人女子を連れ込むことはどうでしょうか?本当に信じられないんですけど、これを彼は2回やったんです。それぞれ違う日本人女子と。それぞれと身体の関係はなかったのですが(書きませんが、それを信じられる理由は一応ある)。100歩譲って、やむを得ない事情ゆえに、私に事前に伝えておいた上で他の女の子を招き入れるならまだしも、隠されてたんです。じゃあどうやって私がそれに気づいたかって?笑 それは、女のリサーチ力の発揮によるものです。まあそんな大それたものでもなく、その招かれた女子が彼の部屋で撮った写真をご丁寧に彼をタグ付けしてインスタ投稿にあげてたので、容易に気付けました。問いただしたら、「その子が載る予定飛行機が遅延(だかキャンセルだか)で急遽長時間つぶさないといけなくなったから」「カフェは高いけど、家ならタダだから」とか言ってた気がしますが、あり得なさすぎますよね。誘われてほいほいついてくるその日本人女子もあり得ないと思うけど。男の家に行くってことは、身体の関係になってもまあいいかなって思いが少なからずあるってことですよね。彼女持ちとは露知らず近づいたのかな。

1回目に連れ込みに気づいたとき、「あなたのしてることはすごくおかしいからもう止めてね」と私が伝えるものの、1か月もしないうちにほぼ全く同じことが発生。また別の女の子を家に連れ込んでて、それをまた相手の女のインスタのタグ付けみて知るという。私が気づいていたのはこの2件ですが、もしかするとそれ以外にもまだまだ前科があるのかもしれない。善悪の判断というか、根本的な感性が彼と私でもうかけ離れていますよね。彼は自分の行動を悪いとはみじんも思ってなくて、むしろ「僕のことが信じられないのか」とか言ってきました。いやいや、そういう話じゃないし、信じたいのに行動が伴ってないから信じられなくてつらいんだってば。

ちなみに、元カレのこの一連の行動について西洋人の男友達数人に聞いてみたけど、私に事前の一報なしに他の女を家に招くなんて言語道断、とみんな言ってくれました。そりゃそうだ。

固執


こんなことされて、もはや彼とは何もかも噛み合ってないのになんで別れなかったのかって?それは、また1人になるのがとっても怖かったからです。大学時代に彼氏は出来ず(今改めて思うと努力も行動も全然足りなかった)、社会人2年目になってようやく出来て、地方住み女にとって西洋人の彼を作ることがどれほどに大変かを痛感していたので、別れたらまた1からのスタートになることが嫌でした。ちょうど交際2年半ころにコロナ禍に突入して、そのころ私が家族の不幸も経験して、先行きが一切見えなくなって、本当に絶望していました。半年間毎日泣いていました。

だから、最初から何にも上手くいってなかったのに、見たくないものを見ないようにして、さらに逃げ続けてせめて彼だけは、と彼に固執していました。苦しくてたまらなかったのに。彼といても全く幸せではなかったので、それが当然彼にも伝わったのでしょう、私も彼の幸せに貢献できていなかったでしょう。そうこうしているうちに、急に1週間彼と音信不通になり、その後やっと連絡が取れたときに振られて終わりました。というかこの振り方もひどいよね。そうは言ってもほぼ3年の関係だっただから、せめてちゃんとメッセージや電話で正直に話すべき。急に1週間連絡不通になったときの私の気持ちたるや。

別れてからのこと


前述のように、未知のコロナ禍、家族との別れ、元カレとの別れと、ほぼ時期を同じくして同時に辛いことが重なったので、かなり落ち込みました。間違いなく、それまでの26年間で一番しんどかったです。(今思うと、少し悲劇のヒロインぶってた面もあったかも、と思いますが。)

でも、そのタイミングで新たにできた西洋人の友達から気分転換に運動を勧められ、ハンモックヨガに挑戦してみたらドはまり。毎週末は元からずっとしていた茶道と、新たに初めたヨガで充実するようになり、そんな生活を続けるうちに少しずつ前を向けるようになりました。元カレと離れて、「自分」だけに集中して2年半くらい経ったところで今彼と出会えました。

アラサー女には長めのダウンタイムでしたが、成長のために必要な時間だったなと、今となっては思えます。元カレとの辛い経験のおかげで、今彼のありがたさを実感できているので、そういった意味では、元カレとの3年間のすべてが無駄だったわけではないと思います。