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結局こうやって何か待ってる

サビ前の音に意識を奪われた。クリープハイプを知ったのは、アネッサのcmだった。きっと、Mステ最中のcmだっただろう。翌日からお気に入りのプレイリストに入れて何度も聴いた。ただ、大学生の夏の恋のように僕の気持ちはすぐ冷めた。その甲高い声も。今では、すっかり僕を支える歌詞も。中学生の僕には刺さらなかった。気づいた時には、『憂、燦々』の文字はプレイリストのどこにも無かった。

2019年、夏。大学受験に失敗して、浪人生になっていた。思い描いていた大阪での大学生生活は叶わず、相変わらず地元で 実家から予備校に通っていた。
後が無いから焦っていた。
予備校は友達が少ない所に。LINEも消したし、好きだった彼女には別れを告げられた。浪人が2人を離れ離れにした。そう思い込むしか無かった。でも、彼女への愛は枯れたようで枯れていなかった。先に愛の枯れた方の負けだと意地を張っていた。家の外で誰かと会話する機会は無かった。毎日がモノクロだった。単調だった。「死ねば楽になるのに。」なんて思うこともあった。自殺。そんなことを、本気で思ってたわけじゃないけど、本気で思ってないわけでもなかった。
1日だけ、予備校を休んだ日がある。ただ、その日何をしたかなんて、何の記憶も無い。家から2km離れた最寄りの駅から歩いて帰った記憶だけはある。その時、何故か、クリープハイプの"大丈夫"がAirPodsから流れていた。浪人生になってから音楽はただ、右から左へ流れるモノになってしまっていたが、あの時だけは、耳から流れた音楽が体に留まる感覚があった。小さな川に架かる橋の上で、"大丈夫"を聴きながら泣いたことを今でも覚えている。あの時、頬を流れた涙を僕は死ぬまで忘れ無いと思う。何故、"大丈夫"が流れたのかなんて知る由もないし、説明もできない。この表現はあまり好きでは無いけど、言葉で表現するなら、それは『運命』なのだと思う。好きなアーティストとの出会いを鮮明に覚えている人が、果たしてどれくらいいるのであろうか。僕は紛れもないあの時である。

だから、僕にとってクリープハイプの存在はかけがえのないものであり続けるし、人生のBGMはクリープハイプであり続ける。好きなアーティストは沢山いる。でも、辛い時に僕を助けてくれる曲は数少ない。僕の好きなアーティストは僕を助けて励まし勇気づけてくれるアーティスト。だからそれはクリープハイプ。


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