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高校野球と人権【読書感想】#理不尽な世界の人間達(その7)<所感>#団塊ジュニアの役割

「団塊ジュニア」〈自己決定が出来ない世代〉

私は1973年生まれの団塊ジュニア世代である。
偶然にも著者の2名とも1973年生まれである。
私も小学校から大学まで野球をやっていたので著書の内容や著者の気持ちが我が身の様に理解できた。当たり前だが団塊ジュニアは団塊世代の子供世代である。

我々の親世代である団塊世代は常に時代の主役である。戦後日本の生い立ちがそのまま団塊世代にリンクしている。世の中は団塊世代中心に回っているのだ。

我々団塊ジュニア世代は、団塊世代の所有物として生まれた感がある。
それはマイホームやマイカーと同様、新しい時代のスタイルの一部として団塊世代の付属品の様だった。
そして団塊世代の言われるままに受験戦争に巻き込まれ氷河期時代の就職難を経験して気がつけば50歳を超えていた。

著書でも「保護の対象」という用語を多用している。
団塊ジュニアは50歳を超えても団塊世代の「保護の対象」から抜け出せず、居心地の良ささえも感じている。

高校野球もその延長にあると感じている。
著者がそうだった様に私も親の意思に逆らうことが出来なかった。
高校野球に至る経緯は、著書の「おわりに」に書かれている通りである。
これは団塊ジュニア野球少年のロールモデルである。

私の高校は地元の進学校だった。
入学前の野球部は旧態依然としたスパルタ式であったが、行きすぎた指導方針が問題となり監督が退任、後釜に野球経験無しの新任数学教師があてがわれた。
その様な特殊事情により、私の現役時代は実質的な監督は主将であった。
私が主将となった年度は地区大会で12年ぶりの決勝進出を果たしたこともあり、大嫌いだった野球が初めて好きになった。
今考えると自主性を重んじた野球を30年以上前に体験したことは貴重な経験であった。

著者の様なトラウマが無かった私は亜細亜大学進学後も野球を続けた。
公立の弱小野球部だったので超強豪の硬式野球部には入る事が出来ず〈入るつもりも無かったが)、準硬式野球部に入部した。
当時の硬式野球部には侍ジャパン監督の井端監督がおり、隣のグランドで行われている練習は噂に違わぬものだった。

準硬式野球部には軽い気持ちで入部したがレベルの高さに驚いた。
今治西高校(愛媛)のエースや浜田高校(島根)の主将、著者の母校である薬園台高校(千葉)の投手や一代前の千葉代表である成田高校(千葉)の選手もいた。
準硬式野球部も高校時代と同様、主将を中心とした運営だったので理不尽を感じることは少なかった。
全国の名だたる強豪校出身の選手から聞く話は、北海道の片田舎から出てきた私にとって刺激的であった。

その中に強豪校監督の絶対王政による選手統制の話もあった。
その反動からか理不尽な仕打ちにあった選手達による運営は先進的であり、その甲斐あって東都リーグ一部昇格が果たせた。
片田舎の無名校野球部出身の私が神宮球場でプレー出来た事は今でも私の支えとなっている。
なので私にとって理不尽な野球部統制は対岸の火事のような話であった。

具体例として挙げたあだち充先生の『H2』は30年前の作品である。
しかしその時点でも城山監督は批判の対象として描かれている。

あれから30年超、時は流れて人権の重要さについて真剣に語られる時代となった。会社でもハラスメントに対する問題は最重要課題である。
スパルタ指導を受けた団塊ジュニア世代の野球エリート達も監督となり、50歳を超えて重鎮の粋に達している。
私の息子も高校生になった。
地元では強豪の部類に入る野球部に入部するも、そこで見た風景に気を失う程の衝撃を受けた。

「30年前と何も変わっていない」

20世紀の負の遺産は未だ当たり前に存在しているのだ。
団塊ジュニア世代は理不尽な指導を受けた側では無いのか?
なのにどうして理不尽と感じたことを繰り返すのか?
「やられたから、自分もやる」という感覚なのか?
それとも当時から本当に良いと感じていたのか?
「?」だらけの衝撃だが、目の前で行われいてるパワハラ指導は監督の人間性を疑うレベルである。

確かに私生活を犠牲にして野球に長年費やしていることには敬意を表する。
その反面、私は長年監督を続ける指導者に対して不思議に思う事もある。
「その情熱はどこから?なぜこんな長期間に亘り没頭できるのか?」

しかし息子の高校野球を観察することで、この疑問に一つの答えを見出した。
そして、この疑問が生じる職業がもう一つあることにも気付いた。
それは政治家である。

「一度、権力の味を覚えると止められ無い」

それが真実では無いか?
自己決定が出来ない団塊ジュニア世代がまず初めに自己決定すべき事。
それは権力による選手統制を断ち切る事である。

女子バスケ界の恩塚亨監督
高校ラグビー界の谷崎重幸監督。
高校バレー界の小川良樹監督。
高校野球界でも仙台育英の須江監督、慶應高校の森林監督、大阪学院大高校の辻監督 など
著書では権力による選手統制を断ち切った真の名将を数多く紹介されている。

多くの問題を提起して我々に考える機会を与えてくれた『高校野球と人権』は非常に秀逸な著書である。

<おわり>

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