<長嶋茂雄語録>抜粋版

---------<長嶋茂雄語録>---------------
<大家族少年野球チーム"あかい"> 長嶋監督「なんだ、全員赤井君か?みんな、兄弟なんだね?」
"AKAI"というチーム名の入ったユニフォームの 少年野球チームに向かって)
<勝っている試合での投手への指示> 長嶋監督「おい、二岡、ここは打たなくていいぞ!」 (バッターボックスの上原に向かってどなった。 二岡は長嶋監督の前に座っていた・・・)
<マジック点灯の意味が分かるとき> マジック点灯について記者が感想を聞いた。 長嶋監督「まだまだこれからですよ、今の野球は、      家に帰って風呂にはいるまでは分かりません。」
<目立つくらいの疲労> 長嶋監督「最近の高橋は、"疲労の疲れ"が目立つね。      早く"状態"のいい"状態"に戻さないとダメだ。」
<とり弁当定食> アメリカのレストランで、"とり弁当定食"を頼んだ。 長嶋監督「I am the Chicken.
<絶対絶命のピンチ> 長嶋監督「もうここは、まな板の上のコイの上に乗るしかないだろ。」
<若手指導のコツ> 長嶋監督「若手には、耳からタコがでるくらい口うるさく言うしかない。」
<好きな四文字熟語> インタビューの最後に 「好きな四文字熟語を」と渡された色紙に 「長嶋茂雄」と書いた。
<名簿の職業欄> とある名簿の職業を書く欄に、

「長嶋茂雄」と書いた。
<豪快な昼ごはん> オープン戦、勝てば選手一人に100万円が入るときの言葉、 「よし、100万円獲りに行こうじゃないか。 100万円あれば昼飯が2~3回食べれるだろ」
<再び清原の調子> 清原の今年の調子を聞かれ、 「今年の清原君はシャープが鋭くなったな」
<エース3本柱> 「今年のピッチャーの3本柱は?」と聞かれ、 「桑田、斎藤、そして桑田」
<また会う日まで> 初対面の外国人には、こんにちわと言う意味で、いつも
See you again.」とニコニコ笑いながら握手を求める。
<還暦のあいさつ>
60歳のバースデーを迎えて、 「えぇー、今日初めての還暦を迎えまして・・・。」
<気に入ったスーツ>
アメリカに行った時、 長嶋は店にあったスーツがとても気に入って、 是非売ってくれと交渉した。 しかし答えはノー。 さらにしつこく交渉したが、だめだった。 その店はクリーニング屋だった。
<こうもり男リターンズ> 長嶋監督は、打者のことを 「バットマン」とよんでいた。
<奇襲作戦指示> 長嶋監督は、代打の川相にそっと耳打ちした。 「よし、ここは打つと見せかけてヒッティングだ。」

<長い充電期間> エッセイ集出版発表のときに、中身が濃いですねと聞かれ、 「僕は12年間漏電していましたから」
<変わったニックネーム> アメリカでタクシーを呼ぶときは、いつも、
Please call me Taxi.
(私をタクシーと呼んで下さい)
<将棋の玉(たま)> 股間にボールが当たりそうになった時、 「危なかったですよ、ギョクですよギョク。 当たっていたらギョクが粉々ですよ」
<インポータント>
「明日の試合は大事です。  ビッグな重要なインポータント、になりますね・・・」
<重病>
清原故障のとき、
「清原くんは、  やまいの重病が重くなったので、少し休ませてみました」
<目には目を> 「今度のヤクルト戦はやりますよ。  やはり、目には歯を、ですから・・・」
<やり場のない怒り> 投手陣が崩壊したときには、 「何ともふがいない、いわゆる  行き場のないやり場、を感じます・・・」
<狂牛病>
狂牛病さわぎについてのコメント、 「どこの馬の骨とも分からない牛の骨、ですか・・・」
<鯖(さば)>

「えぇー、鯖(さば)という字は魚偏にブルーでしたっけ。」
<英和辞典> 大学を卒業する時、友人が英和辞典を持っているのを見て 「へー、こんな便利なものがあったのかー」
<12時でした> 「昨日は遅かったんですよ。シャワー食べて、 うどん浴びたらもう12時でした」
<英語の授業> 立教大学時代の英語の先生が
I live in Tokyo.」の過去形は?
と質問したときに、「I live in Edo(江戸)」と答えた。
<初めてのハワイ> その夜、煌々と輝く満月を見て、 「う~ん、アメリカの月はビッグだね。 やっぱりスケールが違うね。アメリカは。
<ラジオ番組で> あるラジオ番組に出演した長嶋監督、いきなり 「こんばんは、長嶋しげるです」と自分の名前を間違えた。
<プライバシー> 亜希子夫人との婚約時代しつこくつきまとうマスコミ関係者に 「いいかげんにしてくれよ。僕にもデモクラシーがあるんだ」。
<インフルエンザ> 監督、カゼですかのマスコミの質問に対し、 「いわゆるインフレですか、インフレ」。
<ネバーギブアップ> ペナントレース終盤になり、優勝はほとんど無理 になったが、長嶋監督は、 「わが巨人軍は最後までネバーギブアップしないよ」
<神田うの>

神田うのが神宮球場にきたとき、松井が、
「監督、うのが来てるからヤクルトの先発は石井ですよ」
と言ったら長嶋監督が、
「そうか、宇野が投げるのか。あいつ球が速いからな」
<スキー・ジャンプ> 長野オリンピックで原田選手のジャンプをみて、 「原田くんすごかったな。  137キロもとんで・・・」
<マラソン解説>
マラソン解説をしていた長嶋監督、 長嶋 「すばらしい!実にペース配分を良く考えて走ってるね」 競技終了後のインタビューで、 選手 「何も考えないで夢中で走りました」 長嶋 「やっぱり、考えちゃダメだね」
<名前間違い>
長嶋監督は、 清水のことを、いつも淡口と呼んでいた。 広沢のことは、よく広岡と呼んでいた。
<なれそめ>
長嶋茂雄婚約発表の記者会見で、 「最初のデートは?」 「初めて会った次の日食事に誘いました」 「どこで?」 「え~、どこでしたかね...そうそう、新宿」 「亜希子さんは、どんな印象でした?」 「う~ん、いい根性してると思いました...」 このとき、知り合って1ヶ月目の婚約発表だった。
<大久保>
大久保が長嶋監督に、 「監督、少しスィングがおかしいので見てもらえますか」 (素振り) 監督「うーん、どれどれ」(バットを持ってしばらく素振り) 大久保にバットを返して「どうだった?オレのスウィング」

<3原則>
長嶋監督が大久保に、 「バッターの心構えは、まず集中力、次が細かい所をチェック、 これが基本の3原則だよ、大久保くん」
<キムタク>
キムタクと で共演した時、 「ええ、撮ってきましたよ。木村タクローくんと」
<ビートたけし> フライデーともめたビートたけしに
電話して、 「もしもし、どーも、ナガシマです」 たけし「エッ、ナガシマさんですか?」 「どうです、一緒にゴルフでもしませんか?」 当日、ゴルフ場のロビーで、 「ナガシマさん、今日はありがとうございます」 「ヤア、たけしちゃん、今日はゴルフですか?」
<定岡のユニフォーム> 巨人に入団したばかりの定岡投手に 長嶋監督が聞いた。 「きみは、洋服着たことあるのか?」
<プロ> 1982年1月29日、韓国で野球セミナー、 「単なるプロではダメ、プロフェッショナル、 いや、プロフェッサーになりなさい」
<ソウル五輪レポート>
1988年9月3日大牟田で講演、 「ソウル五輪を取材した、ほんの一端のさわりをお話します」 「みなさんも世界の国際に通じてください」

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