統合失調症の障害と歩む暮らしは退屈しない

 僕は統合失調症です。かつては精神分裂病と言われていた病気です。僕自身は分裂病に特別なイメージは無いのですが、世間的には強烈なイメージ(スティグマ・烙印)があるそうですね。僕の統合失調症は幻視を経験したタイプで日本人には珍しいタイプなのだそうです。そこで、今回は僕の経験した幻視幻覚を中心に書き綴っていこうと思います。

【幼少期】
 僕の一番古い幻視体験は小学校に上がる前の「夜中にオバケの夢を見て泣き出した」経験です。小さな子供にはよくある話ですが、50代になった今でもオバケの姿や階段に空いた異世界への穴を覚えています。後日、夜中に寝ぼけて家族を巻き込んで「家の周りをオバケに取り囲まれた」と騒いだこともありました。そのことは、しばらく忘れていました。しかし、統合失調症を発症した頃に自分を見つめなおす時期があり突然思い出した経緯がありますが、ひょっとしたら後から捏造された記憶の可能性は否定できません。

【発症期】
 僕が統合失調症を発症した頃はちょうど会社を退職し大学へ社会人編入をしていました。会社に勤めていた頃には残業を約100時間という月が続いていました。残業代を一切払わない様な、世にいうブラック企業というような会社ではなく割り増しされた残業代や休日出勤の給与をちゃんと貰っていたので忙しくて人が集まらない「3K労働の会社」といったところでしょう。
 肉体労働の現場の仕事がメインだった会社だったので、PCの処理といった仕事に社長は重用してくれたのですが、周りからは理解のない言葉を投げつけられ続けたので、転職を決意して今でいうところのリスキリングを行うために大学に社会人編入をしていました。
 大学に編入した頃(2000年)、僕の他に社会人編入をした霊感のある友人と仲良くなったことで、精神世界に興味を持つようになっていたのかもしれません。今を思えば、100時間の残業から解放されてから数か月が経った頃。幻聴をトリガーにして妄想が膨らみ統合失調症が発症し始めました。僕は陽性反応が出始めた頃、霊感が芽生えたと思っていたのです。霊感の強い友人は幽霊や悪霊の存在は分かるものの神様や仏様の存在は見えない様でした。僕は幽霊や悪霊の存在は分からなかったのですが、主に仏様達やその配下の家来の存在と幻聴で話をしていたので、友人からは精神病の幻聴だと判断されました。当時は仏様に叱られることも多かった為、神経が衰弱して行ったので市立病院の精神科を受診することになりました。

【入院・1回目】
 これが幻聴なのか気のせいなのか分からないのですが、運転している車の中や当時住んでいたアパートの部屋、実家の家などでオカルト的な話ですがラップ現象をよく聞いていました。僕の心の声に呼応するようにラップ音が普通に聞こえたのです。精神科に初診で医師の前でラップ音や幻聴と医師の話が頭の中で錯綜し混乱してしまい感情的になったこともあり緊急入院することになりました。最初に投与されたのはセレネースという薬を注射されました。3週間ほどの入院期間中は幻覚や幻聴よりも精神薬の副作用に悩まされた記憶があります。病院では何もすることがありません。多めの病院食を残さずに食べる使命感に駆られて完食し、間食も自由だったのですぐに15キロ太って肥満になり、数年かけた努力が水の泡に帰して精神的なダメージを負いました。

【通院・大学生活(社会人編入)】
 退院後は今までにない落ち着きのない気持ち、常態化した焦燥感が僕を悩ませました。いま、落ち着いた状態から思い返すとこれは精神薬の副作用ではないだろうか、幻覚や幻聴よりも精神薬の副作用に悩まされたのではないだろうかと思うのです。
 統合失調症(当時は精神分裂病)の病名の告知も医師からは逸らかされて、自分が何の病気なのか、何の薬を飲んでいるかも知りませんでした。一人生活を続ける中で、精神薬の副作用を副作用と知らずに、悩み直感で精神薬の服薬を避けるようになり幻聴と妄想の生活に戻っていきました。

【入院・2回目】
 最も印象的な幻視体験は精神科へ2回目の入院前後に体験します。2001年のクリスマスに実家で家族を交えて食事の後に就寝後、深夜12時過ぎに目が覚めてトイレに起きました。トイレから出ると廊下に雪がチラチラ降っているのが見えます。「北海道の真冬に家の中にまで雪が吹き込む程、窓を開けて寝ていたら凍えてしまう。こんな季節に誰が開けて寝たんだろう?」雪がチラついていた所で床を確認しましたが雪や溶けた水もありません。それほど冷たくも無いのです。
 廊下で雪が降っていると思いましたが、居間の方から吹き込んでいる様なのです。「庭に向いた居間の大きな窓が空いているかもしれない」そう思って窓を調べましたが、ちゃんと閉まっていてカギも掛かっています。
 よく見るとチラチラと降っているのは雪ではなく金色の蝶の鱗粉みたいな光の粉が降っているように見えます。どうしても触ることができないのです。不思議に思いながら振り向くと、仏間へ繋がる襖の隙間から居間にチラチラと金の粉が吹き込んでいます。
 僕のボキャブラリや文才が貧弱で『吹き込む』と表現できてないですが、『線香花火の最後に出ている光のシャワーがダイヤモンドダストのような感じ』で伝わりますか?
 部屋の内側から吹き込んでいる様で、僕は状況が理解できません。襖をあけて仏間に入り、仏壇を見ると仏壇の金箔を貼った部分や金泥を塗った部分から『金色の鱗粉』が『チラチラ』というか『ひらひら』『きらきら』『ぽろぽろ』とこぼれ落ちているのです。どんどんこぼれているのが止まりません。
 当時のその仏壇は修繕をしたばかりで綺麗になっていました。その時に僕が懸念したのが「修繕で、直したはずの部分の金箔や金の塗装に不手際があり、剥がれてきてボロボロになってしまっているのでは?夜が明けたらすぐに父親に言って、修繕の手直しを発注してもらわないと、法事に間に合わなくなる。」
 僕は焦りました。畳の上にこぼれた金を手のひらにくっつけて、拾おうとしましたが手には何もつきませんし、異物感もありません。僕はさらに動揺します。仏壇の金色の部分が心配になって、しっかり確認をしましたが、ちゃんと綺麗に修繕されています。落ち着いてくると、不思議なことに気が付きます。
 部屋の明かり仏壇の灯りも点けていないのに金色の部分が柔らかい光を反射しているのです。「光源はどこだ?」光源が私の後ろにあれば私の影でこんなに綺麗に光りません。仏壇の中を観察し始める僕。
 中に『本尊:阿弥陀如来』『脇侍左:蓮如上人』『脇侍右:親鸞上人』の掛け軸が三幅下がっているのをまじまじと見ていると、掛け軸の日本画がまるでアニメーションの様に画の中の人物が動いているのです。動くといっても高名な僧侶ですから品格の在る振舞いでくつろいでいるように見えます。
 「動いてるー。最近の仏壇は液晶パネルを組み込んでいるの?えーっ、親父がオプションでこんなの仏壇に付けたのか?」僕は戸惑いが収まりません。向かって右側の掛け軸を見ていると中の人がジェスチャーで左を指します。
 「左?左の人を見るのか?」左に眼を向けると、左の人物は右を指し示します。また右を見ると左を指します。「どぅ、ゆぅ、ことぉ?(どういう事?)」ついに真ん中の本尊である、阿弥陀如来みずから手招きをしています。
 まるで、「こっち、こっち」と言っているようです。そうです、僕なら、さっさと真ん中の本尊の主役に目を向けろ!ふつう真ん中から見るだろ!真ん中を飛ばすんじゃない!と、しびれを切らして怒鳴ると思いますが、仏の道を極めた方々は、流石に心が広い(笑)。
 真ん中の本尊である阿弥陀如来を見た後、すぐにその場を去ろうとすると、阿弥陀如来は再び慌てて手招きをします。「あ、ごめん、まだ用事が終わってなかったんだ。」阿弥陀如来がその場でゆっくりと右に回ると香炉が出てきて古いお寺の様な香りが漂ってきます。
 香炉がひと回りすると、今度は宝の入った綺麗な壺が出てきて、中から金銀財宝がザクザクと湧き出してきて仏壇からこぼれて、宝物が畳の上に散らばり「金貨だ、銀貨だ、プラチナのチェーンだ、ルビーだ、エメラルドだ、サファイヤだ、真珠だ、サンゴだ、あんな大粒のダイヤモンドなら1個で数億はするぞ!」「あ、このまま片付けないで寝たら翌朝、母親に怒られそう」と、余計な心配までしてしまいました。
 宝の壺がひと回りすると丸い台がせりあがってきます。回り始めると台に座った白い象が長い鼻と片足を上げて芸をしているように見えました。白い象は写実的ではなく、昔の日本の絵師が見たこともない象を、話を聞いただけで書いたような『夢をかなえるゾウ』の表紙の様なヘタウマ絵画的な描写でした。
 当時、後で気になって、ネットで調べたんですが、インドに『ガネーシャ』という象の頭を持つ神様がいるのを初めて知りました。白い象がひと回りすると、また阿弥陀如来が出てきて元の仏壇に戻りました。
 畳の上に散らばった財宝も消えています。たった今、目の前に起きた、超絶スペクタクルに呆然とした僕は、そのままずーっと、阿弥陀如来を見つめていましたら、今度は手で私を優しく払うようにしました、「もう、遅いから寝なさい。」と言われているように感じて、「あ、いいのね?もう、寝るのね?」時計を見ると午前2時か3時(丑三つ時)を過ぎていたように思います。そこから先の記憶がありません。次に気が付いたら真っ白い世界の中にいて、だんだん周りの景色が見えるようになって来たら、地元の精神病院に入院していて隔離病棟の食堂の食卓について座っていました。テレビの音がしたので見ると、ちょうど『紅白歌合戦』で北島三郎が『祭り』を歌っているところでした。「大晦日がもうすぐ終わるのか?あれ、西暦何年の年越しだ?」
 前に一度、精神病院に入院したことがあるから「以前とは違う病院の精神科病棟に入院してしまっている」と、気が付いたんです。それから数年後、福祉施設のスタッフさんが、若い頃から透けている人(幽霊)が見える能力がある方でして、不思議な話は頭から否定的には捕らえない方なので、この話をしてみました。そうしたら、こう言われました。「ワシが普段見るのはそういうのではないけど、〇〇ちゃん(僕)。それ、ホンマもんを見たのとちゃうか?(大阪弁)」クリスマスの一件の後一時的な記憶喪失になりますが、違法な薬物やアルコールの大量飲酒もしていないので、医学的な知見のある方からは不思議に思われますが、御仏に愛されたと解釈すれば辻褄が合うと思います。

 年が明けてから病院での入院生活でもしばらく幻視が続きます。病室の壁は白くてそこにプロジェクションマッピングがされたかのように水墨画の観音菩薩が滝行をする姿が動画で見えました。観音菩薩の滝行が終わると古代中国の鎧兜の姿をした武将が馬に乗り駆け上がっていく姿も見えました。おそらくは毘沙門天の姿だったのではないかと思います。天井の角には洗面器ぐらいの大きさの南京虫がワイヤーフレームのCGの様な姿が見えました。部屋から廊下に出ると廊下の壁一面に緑色のCGの1980年代のラインアートで曼荼羅が整然と並んでいました。曼荼羅一つの円の大きさは30cmぐらいでした。曼荼羅に触ると指の周りがすっと消えて見えました。看護師に曼荼羅が見えると伝えると注射を打って少し寝ましょう言われてしまいました。

【現在】
 あれから20年以上の時が流れ、現在では幻視を見ることはありません。自宅のラップ現象も無くなりました。おでこに体感幻覚が残るものの主な症状は消えて就職もしています。統合失調症による症状の話ですが、出来るだけ真摯に記憶に忠実に記載したつもりです。
 
 現在の会社で数年前に、このような事がありました。僕がとある女性従業員に馴れ馴れしく話しかけるので止めて欲しいとフィードバックを受けたのです。しかし、僕は全く身に覚えがありませんでした。僕はその女性の方には話しかけることも近づくこともしていないのですが、その後一切関わることはしないと約束をしました。そこで、数か月経過した後で新しい上司に別の現場の管理者がいないときに限って所属部署のメンバーにハラスメント疑惑のフィードバックが隣の部署の女性の管理者から再びされたので、逆ハラスメントをされているのではないかと疑念を伝えたところ、僕に以前フィードバックをした元上司すらも全く出来事を覚えていなく、もめ事も嫌なので僕の妄想であったということに着地させました。だとすると、僕はどこのパラレルワールドを通ってこの世界に存在しているんだろうか?というオカルト的な話になるんですよ。

 また、最近の幻覚妄想は、おでこの体感幻覚が第三の眼(サードアイ)が自分の体にあるという妄想が湧きあがります。理屈では体感幻覚であると理解している部分と、オカルト的な超能力を持っているかもしれないという感覚が混在しています。最近は通勤の行き帰りに駅近くのお寺で不動明王の仏像に手を合わせて「南無不動明王」と7回唱えてから会社に通勤しています。
 とある金曜日におでこの体感幻覚が気になりすぎて一晩中寝られないことがありました。会社ではポンコツ状態で、グダグダになりながらに思うのは「おそらく、大事故か世界的な大事件、または大戦争が起きる前兆に違いない!と思ってしまうのです。でも、それは統合失調症の妄想に違いない。絶対に大事件なんて起きるはずがない、これは精神障害なんだ!と強く心に言い聞かせました。ところがですよ、週が明けて、なんとトランプさんが大統領選の演説をしているときに暗殺未遂にあったっていうニュースが入って来るじゃないですか?わたし言いましたよね?妄想だって、なのに気持ちがグラついてブレてしまいます。僕は未来の異変を感じて不動明王に何とかしてもらっていたのだろうか?トランプさんが生き残ったことで、今後の世界情勢にとって吉と出るか凶と出るか本当にわからないんだ。こんな事があったのは、ロシアがウクライナに侵攻するひと月前に夜な夜な手を合わせてYouTubeのお寺のお経を聴きながら拝んでいた時以来です。
 その時期、ウクライナは2・3日で戦争に負けると言われていましたが、何とかこらえろと約50日間連日連夜、深夜3時まで祈ってましたら、力尽きて寝込んでしまいました。。。

 また、当時のことを思い出したら書き連ねます。
つたない文章ですが、最後まで読んで頂き有難う御座いました。

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