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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.28

 視聴回数が5回という最低を記録をしたその日に、最強ならぬ〝大凶小説〟を投稿するという厄日のように昨夜でした。
 現在、紛争中のパレスチナとイスラエルをドキュメンタリータッチで描いた作品ならともかく、紀元前724年の北イスラエル王国が舞台の作り話に、興味のあるヒトがいるはずがないとわかっているのですが……。

 オタクを絵に書いたような私はメソポタミアとイスラエルの歴史に胸躍らせることが止められません。若い頃、編集者サンから、自分の目で見たり聞いたりしたことしか書いてはいけないと言われたにもかかわらず、なんとか、ほんの少しでも興味をもっていただきたいと、「1995.1.17永遠の待機中にリミットなし」とタイトルをつけて、震災の日に、女の子二人とワンコとニャンコが紀元前のイスラエルにタイムスリップする駄作を書き、投稿させていただきました。
 紀元前587年、南ユダ王国が滅亡し、のちに預言者となる美少年ダニエルが、ネブカドネザル王の側近となる物語です。

 今回の物語は、同胞でありながら南ユダ王国と敵対していた北イスラエル王国の滅亡の物語です。私たちが、ユダヤ人と呼ぶのは、南ユダ王国の人びとから由来している名称です。
 北イスラエル王国は、砂漠が大半をしめる南ユダ王国とは、比較にならないほど豊かな国でした。この国が楯となって、弱小国の南ユダ王国を守っていたわけですが、南ユダ王国の祭司や預言者はそれを是認しません。やれ、馬の腱は切れだの、戦車はいらんなどなど、非武装中立をがなり立てるわけです。
 なぜか? 神がそう命じておられるからです。

 わけのわからんヤツらを無視すればいいわけですが、それができない大きな理由がありました。ユダ王国の王都エルサレムに、三種の神器の入った〝契約の箱〟があったためです。
 ここに神がおられると、みな、信じていたのです。
 そのうえ恍惚師と呼ばれる預言者やレビ人祭司が、南ユダからひっきりなしにやってきて辻説法するわけです。

 ヨダレをたらし、体を痙攣させて、「北王国は滅びる」と喚き散らしていました。鄙猥な印象を受けませんか? だから恍惚師と呼ばれていたわけですが、イスラエルの民は無視できずに、影響を受けました。

 もともと退屈な説明なのですが、ここからさらに退屈な話になるかと思いますが、マックス・ヴェーバー著「古代ユダヤ教」の下巻(岩波文庫)に載っている年表によりますと、北イスラエル王国は、紀元前721年に滅亡したことになっています。
 ところが、M.モリソン+S.F.ブラウン著「ユダヤ教」(青土社)の「王名と統治時代」を記載した表を見ますと、北イスラエル王国の最後の王ホセアの統治期間は、紀元前732~724年の八年間です。

 ということは、最後の3年は、北イスラエル王国に王は不在だったことになりませんかね? ホセア王はアッシリア帝国の捕虜になった可能性もありますが、敵前逃亡したと私は考えたのです。なぜなら、捕虜になっているなら、北イスラエル王国はアッシリアに抵抗しなかったと思うからです。北イスラエル王国は王が不在の状態で三年間、持ちこたえるのです。

 ここから高橋良典=編著「日本とユダヤ・謎の三千年史」(自由国民社)の話へと、飛躍することになります。紀元前660年に日本は建国されたとされています。
 北イスラエル王国に属する10部族が大陸を移動して九州にたどりついたという説が流布しています。これは、イザヤ書や外典、偽典などなら推察されていますが、ホセア王在位の最後の年、紀元前724年から日本建国の年とされる紀元前660年を差し引くと、64年間になり、年代が近いわけです。

 荒唐無稽な話ほど、真正オタク脳の私としてはワクワクします。

 トンデモ話では、ホセア王の孫が神武天皇だそうです。日本各地にイスラエルの痕跡が残されていることは事実です。鳥居が赤いのは、エジプトで疫病が流行したときに、魔よけとして、戸口を羊の血で赤く染めたことに由来していると言われています。こうした事例は数限りなくあります。
 
 で、真打ち登場です。

 主人公のテリトゥ少年は、世界で都市文明をはじめて築いたシュメル人の王族の末裔です。守り神の竜神は、シュメル人の発明です。正式の名前はティアマト。これって、ヤマトと近い音ですよね。ヤマトの意味は、神の民を意味します。「ヤ」が神を表わしているのです。
 シュメル人は黒頭人と呼ばれ、どこからきたのか、判然としない民族ですが、メソポタミア全体が、シュメル人の影響を色濃く受けています。
 テリトゥが、ホセア王にかわって、アッシリア軍と戦い、勝利はせずとも、兵士の信頼を得ていくもの物語を、後編では書きたいと意気込んでいます。残念ながら、まだ一行も書いておりませんが。
 とにかく行き当たりばったりなんです。前編を書くのに四苦八苦しすぎました。いつ後半が書けるのか、よーわかりません。

 クリスチャンでもないのに、旧約聖書をもとにした作り話が、なぜか、書きたい。それも持ち上げる話ではなくて、盛り下げる話ばかり。心が暖まるどころか、クリスチャンにとっては、ムカつくエピソードの連続。冷え冷えとなる話です。

「おまえは、反ユダヤ主義者か」と言われそうなことばかりが、なぜか書きたい。理由は自分でもわからない。ただ、旧約聖書を読むと疑問がとめどなく溢れてくるわけです。同時に、これらを記したユダヤ人に尊敬の念を抱かずにいられません。ユダヤ人が千年単位で物事を考える習性があるのは、聖なる巻き物が存在したからです。 

 小説の画像ですが、「聖書ガイドブック」(いのちのことば社)からの無断転用です。メギドの要塞を再現した模型です。上記の画像は、イスラエルと当時のアッシリアの勢力図、及び、その後に派遣国となるメディアとバビロニアです。そして、ペルシア帝国、ギリシア、ローマ帝国へと変遷していきます。

 メギドは近未来に、世界最終戦争が行なわれると預言されている要衝の地です。
 アッシリアと北イスラエル王国が戦ったとき、最前線となったことは疑いようがない。
 この戦いについて旧約聖書に記載がないのは、多くの記述者が、南ユダ王国の出身者であったからです。
 南北に別れた国をなんとかもとにもどそうと努力した北イスラエル王国の王も、旧約聖書の記述ではボロクソです。

 なぜなら、すべての基準が唯一にして全能の神にあるからです。
 この基準というのが、あいまいなわけです。モーセがヘブライ人を率いて約束の地にむかったとき、異なる信仰の者たちを殺害しますが、神はこれを是とします。先頃、パレスチナ人がユダヤ人を襲ったときも残虐行為を働きましたが、この事態を、彼らの神は容認していると思われます。
 一信教の恐ろしいところは、白か黒かの善悪二言論しかない点です。
 シュメル人の作った都市は30ばかりありましたが、都市それぞれに神サンがいました。多神教だったわけです。

 結局、北イスラエル王国は、直接的にはアッシリア軍との戦いに敗れ、宗教においては南ユダ王国の圧力に負けて滅びます。彼らが日本にたどりつき、永住しようと決意したとき、人の心をがんじがらめにする神サンを捨てたことは想像に難くありません。なぜなら、王と仰ぐ人間が一神教の信者ではなかった故ではないでしょうか。

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