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【エッセイ】蛙鳴雀躁 No.30

 とんでもない失敗をしました。ほとんどの方が興味のない拙い小説(No.1~9)を、「南ユダ王国の滅亡」と改題し、ひとまとめにして下段に押しやろうとしたところ、トップにきてしまいました。他の方のように、マガジンにしようと試みたのですが、ご老公の手に余ったようです。整理がつくどころか、現在下段にある元原稿のNo.1を消すと、まとめたほうのNo.1も消えるというサイアクの事態に。

「1が、消えてしもたで」と、のんびりと言われたとき、一瞬、めまいがしました。現代小説は比較的、早く書けるのですが、旧約聖書をもとにした紀元前のイスラエルとメソポタミアを書くためには膨大な資料と時間がかかります。多くの方にとって、関心のない時代と地域の話ですので資料が集めにくい、というより翻訳されていない場合が多々あります。英語に堪能なら、話は違ったと思うのですが、学校教育をほとんど受けていないので余計です。

 新約聖書の時代になると、日本にもクリスチャンの方が一定数いらっしゃるので、資料の入手に困ることは少ないのですが、メソポタミアのシュメルからはじまるヒッタイト、アッシリア、バビロニア、ペルシアの資料は集めるのに苦労します。外出するのが苦手なので余計です。一度、神戸でもっとも大きいとされる大倉山の図書館に出かけたのですが、求める資料となる本はほとんどありませんでした。

 人様の目には駄作であることは十二分に承知しているのですが、
かけてきた年数を思い返すと、悪代官は髪の毛が逆立つほど怒り狂うわけです。一気に気力を喪失し、早くに寝てしまいました。
 九人いるわが子の一人がいなくなった心境でした。
 そもそも、横書きの書式に慣れていないため、当初、ツメツメだった小説を、ノートのAI様のお力をかりて、投降したところ、段落をとっている箇所がバラバラになり、もとにもどすために無駄な時間を浪費した経緯があります。

「読む人なんて、ほとんどおらんねんから、ええやないか」と言われても、そうやすやすと思いきれないわけです。こういうのを、老害とでもいうのでしょうか。過去に執着するあまりに執念に近い感情になっているのです。しかし、よくよく考えてみれば、読む人などほとんどいないのですから、ナニがあっても嘆くほどのことはないわけです。  

 先日、「北イスラエル王国の滅亡」を投降してわかったことがありました。SF作家の技量のない状態で、現代と過去を結びつけて書くよりも、過去は過去として書くほうが、自分にとって書きやすいということがなんとなくわかりました。だからといって、スラスラ書けるわけではありませんが……。

 朝一で、パソコンをのぞくと、私の嘆きと落胆を哀れに思ったのか、わけのわからん状態でNo.1が復元されていました。
 これまでに、原題「1995.1.17」をお読みくださった方がいらっしゃれば、同じ小説ですので、お詫びいたします。本来なら、底に沈めておく小説が頭にきてしまい、私個人と致しましてはまことに遺憾に思っております。AI様のおかげでバラバラになった箇所も全部、直っているわけではありませんし、段落もきちんととれておりませんし、ご老公が添削済のものを投降してくれたのかどうかももはやわかりません。
 愛着はあっても、祟りのような小説です。とにかく無駄に長いので、見直しても見直して見直したりない。どこかに誤りがある。
 これが限界であることは、たしかなようです。


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