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泥の中で呼吸する方法

東京での暮らしにほとほと疲れた私は、3連休の初日(土曜)の夜中にふと思い立ち、長野に向かうことにした。

高速バスの予約サイトにアクセスし、東京から長野までの、一番安い便をとった。3000円だった。死んだ焼鳥と、氷が2個しか入ってない炭酸の抜けたカスのハイボールを出す居酒屋の割り勘代ぐらいで長野にいけるんだと知って、人生の豊かさが増した気がした。

併せて、前々から行きたかった長野にある健康ランドの宿泊予約をとった。これは7000円だった。

高速バスは、池袋駅から朝早く出発する便だったので、その日は酒もそこそこに寝た。私は、遠足の前の日だろうが、旅行の前の日だろうが、受験の前日だろうが容赦なく寝れるタイプである。
翌朝起きたのはバスの出発時間の2時間前で、最寄り駅から池袋までの移動時間を考えると、結構余裕のある時間に起きれた。

結局ダラダラしちゃって、タイムリミットの10分前にふたば幼稚園にしんのすけを送り届けるみさえくらいセカセカしながら身支度をすませ、池袋までの電車に飛び乗った。
だめな急ぎ方をしたとき特有の異様な発汗量にメガネを曇らせながら、私は池袋駅まで揺られた。

移動の電車内で長野について少し調べると、どうやら山が有名らしいということがわかった。長野の山をまとめたYAMAP(ヤマップ)というサイトがあって、そこにいろいろな山の情報が乗っていた。ヤマップというサイト名、適度に浮かれてていいな...と思った。
あと、食べ物は蕎麦と馬肉が有名だということもわかった。長野の信州そば、みたいな字面はたしかに生きてきて何度か目撃したことがある。
馬肉はよくわからないが、有名なら食べよ〜と思った。ヘルシーだし。
それ以外には、避暑地で有名な軽井沢は長野に所在していることを知った。
(昨今の異常気象を鑑みると、避暑地なんてものは、もう日本のどこにもないのかもしれないと思ったけど、避暑地というのは、夏場において付近の土地と比較して相対的に気温が低い地理的な好条件化にあって避暑地なわけで、そう考えると、軽井沢が40度でも、東京が50度だったらそれは避暑地といえるのか?と思った。)

あんまり何もないのかも、と思いつつ、何でもありすぎる東京に疲れた自分にとって、長野は最適な旅行先だと思った。
実際、観光地というよりは、軽井沢にも代表されるように、休む、だとか、生活する、ために最適な土地なのだろう。

池袋駅に到着しバス乗り場のある東口に向かう。駅の案内掲示板を見る。池袋駅は普段あまり来ないから。
東口(西)とかいう理解のために脳に強い負荷をかけてくる出口案内が書かれている。一瞬で矛盾を突きつけてくるこの瞬発力と破壊力。
しかし池袋駅構内の人並みの動きは激しく『はっ?東?西?おぇ〜〜』とか考えてる間に東でも西でもない、どこここという場所に連れ去られる、それが池袋、またの名を駅袋と呼ばれる魔窟なのだ。
それを代表するこの東口(西)の出口案内は、上京してきた田舎者の心をへし折るのに十分な殺傷能力を備えていると言える。

人並みと矛盾した出口案内に翻弄されながら、私は池袋駅の高速バス乗り場に到着した。まだバスは来ていなかった

そう、まだバスは来ていなかったのである。




私はスマホを取り出し、高速バスの予約メールを開いた。そこには10:10と書かれていた。時計の時刻は9:55。

これまでの経験から、高速バスの予約メールに書いてある時間は『集合時間』であり、実際の『出発時間』ではないと私は決めつけていた。
(出発時間だけ書いてあると、ギリギリに来る人が結構いて、バスがスケジュールどおりに出発できないことを避けるためだと勝手に予想している)
まだバスの発車まで余裕があると判断した私は、池袋駅東口の喫煙所へ向かった。東武百貨店の外壁に埋め込まれた広告ビジョンをボーっと見つめながら、肺いっぱいに煙草の煙を吸い込んだ。これから私はバスに乗る、2時間は煙草を吸えない。

ヤニの補充完了。バスの『集合時間』も喫煙所から移動してオン・タイム。我ながら見事なスケジューリングである。

私は颯爽とバス乗り場に戻った。

最初にバス乗り場に到着したときにはいなかった、黒いジャンパーに身を包んだバスの誘導係と思われる男性がバス停付近に立っていた。
一瞬、嫌な予感がした。そして、その誘導係の男性はひと仕事を終えた雰囲気を醸し出している。(ひと仕事終えた人にしか出せないあの感じ)
彼の視線の行く先に恐る恐る目を向けると、真っ白な車体の高速バスが池袋駅前の明治通りに合流するべく、ゆったりと左折をしている最中だった。
そのバスの行先表示には『長野』と書かれていた。









エッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ














順調に左折を終え、私の視界から姿を消していく長野行きのバス。自分が乗るはずだったバスを見ている愚かな男が私だ。
車内のカーテンが開いていて、かろうじてバス車内の様子が伺えた。人はまばらで、車内は閑散としているようだ。私が座るはずだった席は、もちろん空席になっている。
何も状況は変わらないと分かっていながら、少しだけバスの方向に向かって小走りした。
まるで別れを告げて去っていく恋人の背を追う悲しきボーイ·オア·ガールのように。


タバコ吸ってたら、こんなんなっちゃった…タハハ…(ヤニカスのちいかわ、ヤニかわ)


煙草を吸う代わりに、私は高速バスを逃したのだ。なんというヤニカスムーブだろうか。バス代の2600円がすっ飛んだ瞬間である。
さっき吸った煙草に、2600円の付加価値がついた瞬間であった。
パチンコで6万円タコ負けした日を、6万980円のラーメンを食った1日にすり替えるのと同じメンタルモデルである。

池袋の喧騒の最中、行き場を失い立ち尽くすことしかできなかった。文字通り行き場を失った。池袋に用事なんてない。俺は長野に用事がある。
諦めて家に帰って昼酒をかっ喰らって寝るのも一つの選択肢だったが、そうすると宿代の7000円もすっ飛ぶ。
そうなると、この日は1本10000円の煙草を吸ったカス贅沢日として人生に刻まれる。それは流石に許容できなかった。

私は腹をくくった。貧乏旅のため高速バスを予約したものの、もはや状況は一変している。

『特急に乗ろう』

東京から長野への行き先を調べていたときに、特急列車が発着していることは把握していた。バスより移動運賃はかかってしまうが、もう構わない。漢になった瞬間である。
そこからの切り替えは我ながら迅速だった。えきねっとで特急券の予約をすませ、(えきねっとのIDとパスワード、一生覚えられない)、特急が発着する新宿行きの丸ノ内線に飛び乗る。

新宿につくと私は、何も失敗してませんよ〜あぁ、順調順調!今日も空は青いなぁ〜みたいな顔をしながら、ホームを移動して長野行きの特急列車に乗車した。通路を挟んだ隣の席には、小さい子供を連れた家族連れが座っていた。

子供のポケモンの話に耳を傾けながら(最新のポケモンの話のようで、出てくるポケモンの名前が一個もわからなかった。これがポケモン·ジェネレーションギャップ(ポケギャ)かと思ったけど、そもそもポケモンはピカチュウとリザードンとポッチャマくらいしか知らないので、ポケギャというよりわたしのポケモンリテラシーが低いだけだった)、とりあえず当初の目的である長野に向かっている状況に胸を撫で下ろした。

急いで特急の予約をしていたから、変な間違いなどしていないだろうね?と思い、えきねっとのアプリを開いて予約内容を念の為確認した。

席、時刻、到着駅。すべて想定通り。オール·クリア。完璧超人である。最高のリカバリーだ。


クレカの決済額は、2000円。











2000円???????














そんな安いことある?????










隣から聞こえてくるポケモンの話はオリジナルルールのじゃんけんの話に切り替わっていた。じゃんけんのルールを再定義するって、なんか子供の時やりがちよな、と思いながら、私は特急運賃の支払内容を確認した。

よくよく確認すると、私がえきねっとで買ったのは特急券だけのようで、乗車には別途、乗車券が必要とのことだった。
乗車券の値段が4000円くらいなので、トータルの電車賃は6000円である。この値段は腑に落ちる。






乗車券、買ってなくない??????????????



なんで乗れてんの???????!!










バスを乗り過ごした時点からジェット・コースターの如く揺れ動いていた感情は遂にレールから外れ、私の心労は極限に達した。
ピーンっていう変な音が耳から鳴った。たぶん脳みそのストレス耐性を司る部品的ななんかが弾けたんだと思う。
たすけて〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!と叫びたくなった。多分この時浴びた急激なストレスで加齢がひときわ進んだと思う。目尻のシワの分岐が3本から4本に増えたと思う。

八王子から途中乗車し、隣の席に乗ってきたイケメン大学生(真っ黒コーデ)は、乗車券買ってます顔で車窓を眺めている。クソ、こいつはイケメンだし、かつ乗車券も持っている。俺は…俺は…

藁にも縋る思いで『特急 乗車券ない やばい どうする』とアホのグーグルをしたところ、いまいちピンとくる情報がヒットしない。なんか、普通にsuicaにお金入っていれば大丈夫そうではあるが、非常に確信がない。

だがしかしまぁ、現ナマがあれば大丈夫っショ!!と思い、財布の残金を確認した。


バカみたいな量の小銭を内蔵し肉まんぐらい膨らんだ財布に、お札は一枚も入っていなかった。















詰んだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!明確に!!!!!!!!_!!!!!!!!!今!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ここで












『いやクレカで払えばい〜じゃ〜ん』とお気楽KINGな言葉が飛んできそうだが、残念ながら私の手持ちのクレカは一枚は磁気不良で使えず、もう一枚は限度額摺切りいっぱいという壊滅的な状況である。どうすんのこれ???小銭もパンパンに入っているがたぶん全部ひっくり返しても4000円もない。

隣の子供のテンションはヒート・アップし、向かい合わせた席に座った父親の太ももに執拗にカカト落としを食らわせながら、狂ったように笑っている。今の俺を嘲笑っているようにも感じられた。被害者意識が高い。

車窓は、気づけば山間部の景色に切り替わっていた。野畑の所々には泥が混じった雪が積もっている。水分を失い、硬い質感を得た雪、これでかき氷しようとは到底思えない、生気がない感じの雪だ。

天気はやや曇りであったものの、山の稜線ははっきりと確認することができた。山の輪郭を目でなぞりながら、長野に来たのだ、と思った。今見ている山は、ヤマップで確認したうちのどれだろう?(後々考えると、乗車時間的にそこはまだ山梨だったので長野の山じゃなかった。ずっと慌ててる)



現金もない、クレカも使えない。もうどうすることもできない。私は死を悟り、静かに目を閉じた。















『.…おい』













えっ????????????














『おい、そこのアホ』










アホって言うな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!頑張って生きているんだから!!!!!!!!!!!!!!!









『良いから聞きなさい』









『あんた、自動チャージのSuica使っとるやろ』






はい







『それで乗車券代の足りない分は自動チャージされて改札通れるやで』















神のなんJ民!!!!!!!!!!!!!!!!!!???????????????













特急に乗車してから2時間と少し、私は長野に降り立った。


隣の子供は幾分テンションに落ち着きを取り戻し、静かになっていた。お父さんは渋い顔をしながら太ももをさすっていた気がするが、記憶は定かではない。

本当に自動チャージで通れるのか不安で、改札の前を3回くらい行き来した。駅員のお姉さんが怪訝な表情でこちらを見つめている。改札機にフェイントかましているようなもんである。そこに駆け引きもクソもない、ただ存在するのはsuicaのシステムで機械的に処理される金銭のトランザクションだけだ。自動チャージが発動しなかったら改札がディンゴーンって鳴って俺は長野の駅に幽閉される。クレカの限度額が回復するまでずっと。



覚悟を決めるしかない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

















もう、どうにでも、なれーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

























ピピッ

























ゲートは無事開いた。乗車券分の料金がsuicaから差し引かれ、元のsuica残高で足りない分は無事、自動チャージが発動し金額が補填されていた。



















ありがとう….......…カミサマ....................…










『いいんやで』




















カミサマ、急に誰??????????????????

















このあとは普通に長野観光して帰った。そばもたべた。馬肉も食べた。健康ランドも最高だった!!!!!!!!!!!!!!!!!!










長野でのひとしきりの観光を終え、家路に帰る途中、私は思った。
















神様も、なんJやるんだなぁ...................…って












おわり



















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