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張子の虎

学校というものに行き始めた頃
そこが苦手でたまりませんでした
本当はそれが本当の私だったんだって今でも思います
私という人間はバランスの悪い人で
学校というものに行き始めた頃
人間には全く興味が持てず、ただ、本が好きだった
片っ端から本を読んでいました
それが良くも悪くも自分だったんだって思います
絵も好きだった
時間が許す限り1人で本を読んで
そして頭に浮かぶものを絵に描いて楽しんでいる子供でした
始まりが親だったのか自分だったのか覚えていないんです
でも、自分は、そんな原初の自分を矯正し始めました
歯の矯正でもするように、自分を少しずつ、一般的なみなさんに
理解されるような人間へと矯正していった
運動はできなかったけど、勉強はできたので
せっせと勉強しては、テストでいい点を取り
人の真似をして会話をして、引き攣った笑顔で笑うようになった
人間の真似がずいぶん上手くなりました
それで、せっせと勉強をしては、引き攣った笑顔で笑い、
私としては、親に認められるような何かになってました

それは張子の虎だった
堂々としているようでその実、中身は空っぽな張子の虎

大学を卒業して社会に出ようとした時に
自分が本当になりたいもの、したい生き方と
親をはじめ周りの人間を満足させるために演じてきた生き方が
北と南とでもいうように全く違う方向へ向かって引っ張り合ってしまったんです
人間に興味も持てないし、むしろ怖いのに
人のたくさんいる中に入っていって、張子の虎でい続けるのは限界だったんです

声にならない叫びを聞き取れる人がその時、1人もいなかった
私の周りに1人もいなかった

そんな時だったっけ?ゴッホの晩年の絵を見たのです。
精神病棟で絵を描き続けたゴッホ
私はあの時、そんなゴッホみたいに私も世間から忘れ去られた
隔絶されたどこかで何も考えずに絵を描きたい

あの時、そう思ったことを覚えている

自分のことを誰も知らないような
そんな遠いところへ行ってしまいたい
みんなに忘れ去られたい

どこまでも落ちてゆきたい
深い深い海の底へ落ちて、そして、眠りたい

本当になりたかった自分を見失ってしまい
それでもまだ生きているんだな
そんな感覚は尾を引きました
尾を引いたのだけれど、青い時代を過ぎて
そして、自分のその純粋な季節が色褪せて見えるようになった頃
やっと自由になった

今思えば、確かに私の親には
娘にこんなふうに生きてほしいという希望はありましたけど
是が非でもそうしろと、それ以外は許さないと言ったような
そんなものはなかった

自分は自分の生き方を強く貫けなかったのです
それは親のせいなのでしょうか?
そうでは、なかったのかなとぼんやりと考えるようになったのです
こういうことをしたいとか、こんなふうに生きていきたいとか、
私は画家になりたかった、あるいは小説家か漫画家になりたかったんですよ

なれなかったらどうしよう?
それが怖くてたまらなくて、親に対してだって周りの誰に対してだって
強く示せなかったのかなぁ。

夢を現実にしようと思って一歩踏み出して、そして、自分に才能がないという現実を見てしまったらどうしよう、どうしようかなぁ。

本当にずいぶん回り道をしてしまったけど、やっと昔に戻って置いてきぼりにしてきてしまった幼い自分を捕まえられた気がします

本来ならば、本来のままの自分で、揺るがずに生きてゆけるのが幸せなのかもしれないけど、そんな人一体何人いるのでしょう?数えるほどしかいないんじゃないかしら?だから、本当は、ただ黙々と絵を描いて生きていくようなそんな人になりたかったのだけど、手に入らなかった自分も、その代わりに手に入った今の自分も、それはそれでいいじゃないですか。

私はきっと最初から、こんなふうに生きる運命だったんだよー
今の自分から過去の自分に向かって呼びかけてみる
あの時と、あの時と、あの時の、色々な場面にいるさまざまな過去の私が同時に笑って空気が震えた気がした

過去は変えられない
時々人は過去を何度も思い出しながらそこに解釈をつけるのですが
過去に起きたことに悲劇のストーリーがあるのではなくて
過去に起きたことを悲劇のストーリーとして解釈している現在の自分がいるだけ
大事なのは過去は変えられないということではなくて
未来は変えられるのだということと
自分の未来を変えられるのは
他の誰でもなく自分しかいないということです

やりたいことや描いた夢があっても
夢のために何か行動をする前から
何度も何度も失敗をする物語を想像していたのは自分
親が反対したから夢に飛び込めなかったのではなくて
絶対に失敗すると自分で自分に言い聞かせていたから
体がすくんで何もできなかったんです

まだ生きている
死に向かうような病も抱えてないな

人生80年以上と言われる現代で、私の年齢でこんなことを言っては
もっと先輩の方にどやされるかもしれない

まだ生きている、病気でもない
そのことが今、嬉しい
2024.04.10

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