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④ ―2 サーメ人の首都カラショーク(ノルウェー最北部)

サーリセリカからは、来た道を2時間半かけて戻った。
バスのドライバーは同じ人でビックリした。
これまで長距離バスのドライバーは、旅行者に親切だった。
だが、このドライバーは不機嫌そうで何かを聞くと怒られそうだった。
その様子・働き振りをみていると、その理由が少しわかったような気がした。
当初、バス停でないところにも停車したので不思議だった。
一番前に座っていたわたしには、ドライバーの様子が逐一わかった。
新聞の束を、指定されている場所に運ぶのもその一つだった。
あるところでは、荷物の運搬のために止まったりもしていた。
そしていつも小走りで、その作業をおこなっていたのだ。
交通便がほとんどないこの地域では、バスも毎日は走らない。
このルートはバスの運転だけではなく、その他の仕事もしないとダメのようだ。
 
 
途中、私たちは休憩した店での雑談として、ドライバーの仕事を話題にした。
後部席に座っていた友人たちは、ドライバーの様子を知らなかった。
彼女たちは、「その仕事は正規の仕事ではなく、彼の副業ではないだろうか?」
と勝手なことを話したものだ。
国旗を超えて、ノルウェーに入った。
カラショークの現在の紋章は、燃え上がる三つの炎で、
サーメ人にとっての火の重要性を表していた。
炎は火をもたらし、厳しい冬の支えになるが、一方でテントや松林を焼く脅威でもある。
3つという数字は、この地に住むサーメ人、ノルウェー人、クヴェン人を表していた。
 
ここはサーメ議会やサーメ放送局、サーメ人による協会がいくつもあった。
住民の8割がサーメ語を話し、サーメ人とノルウェー人が平等に暮らしている。
 
ここでの宿泊先はロッジだった。バス停から離れていたが、
電話すれば、迎えに来てくれるので、待っていた。
やがて、中年の女性が迎えにきた。
バス停は、この地域のチェーン店として多くあるホテル前だった。
車で5分も行かない内に到着した。
大きな川を渡ったのだが、その川岸にロッジはあった。
チェックインするために、ロッジの一つに入った。
若い女性が受付をしていた。
ここは家族経営で、家族が仕事を分担しておこなっていた。
先客がいたので、その後ろで待っていた。
受付している女性の顔周辺に、虫(蚊?)がたかっていた。
でも彼女は払うわけでもなく、そのまま仕事をしていた。
その光景を見て、ギョッとした。
この旅行の初めの頃に、アビスコのユースホステルに泊まった。
友人たちは2段ベッドだったが、わたしはソファーだった。
朝、起きると背中や腰や腕にかゆみがあった。
どうもノミかダニにやられたみたいだった。
 
3泊だったので、毎晩そのソファーに寝るのが恐怖になっていた。
それから虫アレルギー的な心理状態となり、蚊やダニには敏感になってしまった。
友人たちもトレッキング中に虫に刺されており、3人で絶句してしまった。
しかし予約金も払ってしまってるので、今日は我慢し、
もし、今晩の様子で無理であったら、明日はホテルにしょうと話した。
ロッジを見つけて、部屋に入るとそこは清潔で、サウナまであった。
玄関の扉を開けるときには、細心の注意を払って虫が入り込まないようにしていた。
1匹でも、見つけると3人で必死でその蚊を追ったものだ。
 
町の名はフィンランド語の「入り江の川」に由来すると言わており、昔から山岳サーメ人の集落となっていた。
気温差の激しい土地で、史上最低気温は-51.4度、最高気温は32.4度を記録している。
川岸のこの場所で、昼のこの暑さでは虫は当然だったが、全くその準備はなかった。
寒さ対策にのみ神経を使っていた。
隣のロッジに、家族づれがやってきた。
荷物の整理が終わると、外に椅子を出して日光浴を始めた。
その周りには虫がうじゃうじゃいた。
でも一向に平気そうだった。
受付の女性も平気だった。
この地域では、もう免疫があり刺されないのだろうか?と不思議だった。
 
翌日はサーメ博物館に行った。
ここも小さな村で、徒歩圏内だった。
サーメ博物館ではサーメ人の生活の様子や、住居、文化などがあった。


屋外では、以前の村を復元されており、当時の様子をリアルに体験できた。
大昔は地球上のどこでも同じような生活みたいだったようで、アイヌの部落によく似ていた。
 
館内では、サーメ人の歴史や生活の様子を映像化されていた。
それを見ると、感動が走った。
厳しい大自然のなかで、自然と共存しながら生活をしてきた様子が、
生き生きと映し出されていた。
わたしは、ネイティブ・インディアンが大好きだった。
自然の恵みを感謝で受け止め、多くを求めず、必要なだけの恵みで生きていく。
それが現在のわたしのモットーである。
その気持ちそのままが、映像のなかに現れていた。
感動して、DVDを買ったのだが、日本では映らなかった。
人間が生きる強さと・美しさがそこにはあった。
 

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