2014年4月モロッコ サハラ砂漠 ラクダ①

悠久のサハラ砂漠
 
モロッコの面積は、日本の約1.2倍で西サハラを含むと約1.9倍もある。
地域ごとの自然や風景は、日本よりもダイナミックに分かれている。
海岸地域は豊かな陽光の美しい白壁の街並みがあり、モロッコの中央部には壁のようにアトラス山脈がそびえ、西側は肥沃な農耕地帯と「メディナ」の街が広がり、東は「カスバ」と呼ばれる城塞が続き、オアシスの街とサハラ砂漠の荒涼とした大地が広がっている。

今回の旅の決定打は、そのサハラ砂漠だった。
無限にも思われる砂漠をいちどは見、感じたかった。
フェズの町を後にして、大型バスでアトラス山脈を越えて砂漠に向かった。
アトラス山脈は国の中央に鎮座し、それを越えないと行けなかった。
2月は冬で雪が降る。
丁度1週間前に雪が降り、途中のリゾート地となっている場所には、雪があった。
そこにはアフリカのイメージは全くなく、スキー場もありヨーロッパの高地リゾートそのものであった。王族の遊び場になっていた。
一日中バスの中という長旅だった。
このツアーの夕食は、毎食、ホテルでのバイキングビッフェだった。
毎晩同じようなメニューで、食べる量はドンドン減っていった。
明日の早朝4:30時には、サハラ砂漠の日の出を見るために出発の予定だった。
夕方頃より体調が、優れなかった。
疲れたり冷えたりすると膀胱炎を発症するのだが、徴候が現れていた。
早めにベッドに入ったが、尿意を頻繁に感じ、1時間おきにトイレに行っていた。
妹がホッカイロを持参していたので、それを貼って、温めていた。
朝になり、常に尿意を感じながらの出発となった。
まだ暗闇だった。
5台の車に分乗し、闇の中を走った。
出発前の説明で、それぞれの車は自分の好きな道を走るが、心配ないと聞かされていた。
その意味がよく理解できなかったが、砂漠に着き理解できた。
街を過ぎると、日の出を見るポイントまで、道はなかった。
石と瓦礫の中を好き勝手に走るだけであった。
方向は月の位置でわかるとのことであったが、素人では無理であろう。
空には満月の月が悠然と輝いていた。
だが周りを見てもなにもなく、他の車のヘッドライトが見えると、ホッとしたものだ。
ホテルから小1時間でポイントに到着した。
そこには大勢の人が、集まっていた。
ヘッドライトの光が届く部分だけ、ぼんやりしていた。
その中に、らくだがいた。
そして現地ベンベル人の姿があった。
頭にターバンを巻き、長い外衣ですっぽりと全身をおおっていた。
まるで他の世界に来たようだった。
砂だけの世界が広がっていた。
どこを見ても、灰色だった。
ここかららくだに乗り、さらに日の出のビューポイントまで行くのだ。
らくだはオプションだ。
わたしたちは、行きと帰り2人でシェアして乗る予定をしていた。
わたしは行きを希望していた。
らくだが4頭、縦に座って並んでいる姿が、あちこちにあった。
姉が一番前のらくだに、乗った。
わたしの番になり、座っているらくだに、腰を下ろした。
らくだ飼いの合図で、らくだのうしろ足が立った。すると体は前にのめるように斜めになった。
まるで急斜面にいるような感じで・・・少し怖かった。
前足も立つと今度は、逆方向にからだは斜めになった。それからしばらく体が揺れた。
その背中は広く、安定感があったが、やはり高かった。乗馬したとき、その高さに驚いたものだ。
馬が動くたびにからだは左右前後に揺れ、手綱を握る手に力が入った。
以前、馬に乗った時だった。
鞭でお尻を叩かないと進まないと言われていたのだが、叩く動作がどうも苦手で、弱くにしか叩けず、馬にバカにされっ放しだった。
強く手綱を引き、鞭を使って意思を伝えないとバカにされて、言うことを聞かない。と説明を受けていた。
だが、どうしても鞭で強く叩けず、足で腹を蹴るのもできず、私の馬は思うどおり進んでくれなかった。
挙句の果てには、横にある草を食べ、気ままにしていた。
見かねた係りの人が、手綱を持って一周してくれたものだ。
少し早めに歩くと揺れが大きく、お尻も痛くなり、心地よさには程遠かった。
 
だが、らくだは違った。
広い背中から暖かさが伝わってきた。広いせいか、揺れも心地よかった。
長いまつげの愛らしいイメージがあったからかも知れない。
まだ暗闇のなか進んで行った。
小さな丘を上ったり、下ったりしながら進んで行った。
ぼんやりとした光の中で、砂だけの世界に進んで行った。
 


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