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⑥ フィヨルドの観光地 フロム

オスロからフロムまでは、鉄道を利用した。
オスロとベルゲンを結ぶユーロピアンルートE16 が、フロムを通っていた。
オスロから途中のミュルダル駅で下車し、
そこから始発となる、山岳フロム鉄道に乗った。
 


友人の一人が是非ともフロム鉄道に乗りたいとの希望で、スケジュールを組んだ。
フロム線はベルゲン線とソグネ・フィヨルド沿岸地域を結ぶために建設された。
多くの観光客が、フロム線の景観を目的として訪れる。
この鉄道は、世界有数の急勾配の鉄道で、
急勾配の山間部を走るために路線は曲がりくねり、20ものトンネルを通過し、途中のヴァトナハルセントンネルでは、高度を稼ぐために馬蹄型カーブ(180度旋回するカーブ)が存在する。
山肌に張り付くように走り、その景観は素晴らしく、
ハイシーズンではチケットが取り難いと言われている。

出発から10分程、駅とも思えぬ場所(ちいさな駅だった)で、止まった。
まわりは山々に囲まれ、木々の緑で溢れていた。
観光客がゾロゾロと降りていった。
訳もわからずに、一緒に降りた。
降りると広いホームだった。
どこからか大音量の歌が、流れてきた。
皆が、上にむけてカメラを構えていた。
そこには山頂から流れ落ちる、大きな滝があった。
 

ゴーゴーと音を鳴らしながら、水しぶきを浴びせていた。
その滝のすぐ下に、大岩石があった。
そこに青いドレスを着た若き女性が、音楽にあわせて歌っていた。
ガイドブックの説明書を、ようやく思い出した。
この滝はショース滝だった。
海抜630メートルの滝は大迫力で、猛烈な水煙をあげていた。
民話に出てくる美しい山の妖精フルドレに扮した演劇学校の女学生が、
アルバイトで歌っていた。

ここに来る途中から粉雪が降り出していた。
フロム鉄道のアトラクションとしてあったのだが、
妖精フルドレが寒い凍える中で歌っていた。
この場所での大音量の音楽や歌を見ても感動するより、行き過ぎの感があった。
民話は良いとしても、現在、この場所で再現する必要は感じられず、逆に興ざめした。
この大自然の風景だけで、充分なはずでなかろうか?

フロム駅の旧駅舎は、現在フロム線の博物館として使用されている。
フロムは、人口約500人の小さなノルウェーの村で、
ソグネ・フィヨルドの分岐のひとつであるアウルランドフィヨルド の最奥部に位置している。
「フロム」という言葉は、「険しい山の間の小さい平坦な領域」を意味しているが、
その命名どおりの村だった。
山あいに川が流れ、素朴な雰囲気のなかに、
田舎らしい穏やかさやしっとりした風景がマッチしていた。
 

このフロムは、19世紀後半以来のポピュラーな観光地で、
現在、1年あたりおよそ45万人の観光客がフロムを訪れる。
フロム港には、年間にクイーン・メリー2など約115隻のクルーズ客船が入港し、
そのときにも豪華客船が停泊していた。
フロムは通過ポイントである。
昼は観光客で賑わっても、夜になると静かになった。

フロムの宿泊先は、ユースホステルだった。
有名観光地であるので、少し期待した。
広い敷地はキャンプ場になっており、バンガローの一つがそうであった。
設備は整っており、清潔で落ち着いた空間だった。
予約は4人部屋だった。
部屋に入ると、2段ベッドが2つあった。
奥の下のベッドには先客がいた。
その姿はなく、ベッドには荷物の他に
キティーちゃんとハートの図柄のピンクのバスタオルがあった。
その様子から女子学生のようだと推測し、どこの国の人だろうかと、話が弾んだ。

ユースホステルでは自炊が中心だ。
駅の横にスーパーがあったので、買出しにいった。
明日のバス停の確認もあったので、案内所にも行った。
案内係りとして、若い女性たちがいた。
応対してくれた初めの若い女性は、英語が得意でなかった。
質問に答えられなかった。
少し年齢が上の女性に、変わった。
彼女に聞いても、要領が得られなかった。
わたしたちはローカルバスに乗って、アイフィヨルドへと行きたかった。
しかし何度聞いても、時刻表もなく、バス停さえも教えて貰えなかった。
最後には逆ギレされて、
この案内所は、フロム周辺であるアウルランドフィヨルドのみの案内だ、と言われてしまった。
それでも諦めきれずに再度、聞こうとしたら完全に無視された。
他の国では、自分がわからなかった時など
誰かに問い合わせる、とかしてくれるものだ。
その気配もまったくなかった。
しょうがないので、自力で探すことにした。
バス停がいくつかあった。
そのバス停に行き、行き先と時刻表をみた。
日本にいるときに、ネットを使って時刻は調べておいたのだが、確認する必要があった。
地元の人にも聞いた。
バス停で待っている人にも聞いた。
何人かのバスドライバーにも聞き、
3人目のドライバーから、ようやく時間とバス停を教えてもらうことができた。

夕食の材料も買い、キッチンに行った。
そこには20~30人の団体がいた。
中年の中国人たちが、大きな声で夕食の準備をしていた。
まるで怒鳴りあっているような、けたたましさであった。
様子をみていると、きっちりとした序列があるようだった。
テーブルに準備が出来上がると、数人の幹部らしい人たちが来て、
当然のように席についていた。
最近では、世界のどこに旅しても、中国人が闊歩している。
中国人は団体客が多く、その騒音は耳を覆うほどだ。

夕食も終わり、部屋に引き上げた。
部屋に入ると、床がびしょぬれだった。
半裸の若い男性がそこにいた。
わたしたちも、その男性もびっくりしていた。
先客は男性だったのだ。
でもあのピンクのバスタオルは?
台湾の大学生だった。
すでに彼とは、ユースホステルの案内所で逢っていた。
お互い聞きたいことを聞くためにそこにいて、顔は覚えていた。
友人の一人が、見知らぬ男性と同室なんて、今晩は眠れないとぼやいた。
日本での打ち合わせのときに、
4人部屋なので、混雑時には同室になる可能性があるとは伝えていた。
だが、男性とはおもわなかった。
わたしは、ドミトリーに泊まることが多々ある。
外国のドミトリーは、男女同室が普通だ。
カナダでは6人部屋だった。
そのときは男性4人と同室だったし、
次に行くベルゲンでも、わたしだけが予約の関係でドミトリーだった。
だが、ユースホステル初体験で、
このシュツエーションは、厳しいだろうと同情したがあとの祭りだ。
やはり、彼女は眠れなかったようだ。
これも個人旅行のお楽しみだ。
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