続・夏の魔物 肆(終)
〇〇がいると陽子に教えられて、私は日向モールへと来ていた。
「……懐かしいなぁ」
離れて一か月と少ししか経っていないのに、どこか感慨深いものがあった。
「〇〇どこかな……」
とりあえず駐車場に来てはみたけど、彼がどこにいるかは分からない。
(どうしよう……電話してみようかな?)
そう迷っていたら、
「――で、……だったの……」
「……ん――はは……だな……」
仲良さそうに話す一組のカップルが視界に映った。
綺麗なメイク、茶色に染めてウェーブがかかったロングに、お洒落なアクセサリー。スタイルが良くてまるでモデルさんみたいな女の人。
その後ろを両手いっぱいに荷物を持った男性が続く。
一目見てすぐに気付いた。
(○○だ……少し日に焼けた?)
夏の露出も相まって、ちょっとだけ男らしくなっている。
それでも変わっていない。私の好きな〇〇がそこにいた。
チクリ、と胸に針が差す。
(その人は誰? 新しい彼女さん?)
そりゃそうだろう。〇〇はモテる。
何を期待していたのか。振った女が図々しい。
「――帰ろう」
幸せそうだ。
私なんかが邪魔をしてはいけない。
「……ばいばいっ――〇〇」
あの時返せなかった言葉を呟いて、私は二人に背を向けた。
「――え?」
振り返って思わず固まった。
「い、井上さん……」
「うん、こんにちは」
「……池田さんに●●君も……」
「やぁ」
「どうも」
「どうしてここに……」
「ごめんなさいね。実はね……ずっと見てたの」
「悪気はないのだよ! ボクらも依頼を受けたからには、ちゃんと行く末を見守らないといけないからねっ」
「もう、いいじゃない。素直に心配だったって言えば」
「それより、いいのかな? 彼だよね? 急がないと行っちゃうよ」
そう言って●●君が促した先では、車に荷物を積む〇〇が見えた。
「そうなんですけど……」
「どうしたの?」
「――っも、もう彼女さんがいるみたいだし」
そう。
どうしようもない。もう遅いんだ。
「ん~……彼女さんねぇ……」
「瑛紗?」
「……二人の距離感、雰囲気、女性の大人び方、男性への接する態度。あれは――彼氏彼女ではないね。ボクの見立てでは」
「姉弟」
「そう! 正解だ! ●●氏」
「……僕にも姉がいるから分かるんだ。あの二人は間違いなく姉弟だよ。ぶつぶつと文句たれる弟に躊躇なく蹴りを入れる姉。うん、随分と仲がいい」
「確かに、言われてみるとそんな感じね」
「……姉弟。そういえば、少し歳の離れたお姉さんが東京にいるって……」
「ビンゴだねっ。藤嶌氏、大丈夫。まだチャンスはあるよ」
「は、はい」
「ボクが人の応援をすることなんて滅多にないのだ」
「威張ることじゃないでしょ」
「はは……」
「――むっ! 行くなら急いだほうがいい。女性が車に乗ったよ」
「私、時間を稼いでくるわ」
「あ、井上さんっ」
止める間もなく井上さんが〇〇の所へ走っていった。
「藤嶌氏」
池田さんが私の両肩を掴んだ。
(か、顔が近い。それに可愛い……)
「駅からずっと後を付けさせてもらっててね」
「――実は」と真面目な顔で私を見つめた。
「先ほどのご友人とのやり取りの最中に、君の中の”魔物”は消え去ったのだよ」
「そうなんですか?」
(そういえば、陽子も羊がどうたら言ってたっけ――)
「……本来ならそこで終わりでも良かったんだ。それでもボクは藤嶌氏を気に入ってしまったからね」
「こ、光栄で――す?」
「いらぬお節介かもしれないけど、なにかしら出来ることはないかとここまで来たのだ」
「確かに……皆さんがいなかったら諦めて帰ってました」
「お? ということは?」
「――私、やれるだけやってみます!」
「フフフ。いい! 実にいい! 頑張り給え。骨は拾ってあげるのだよ」
「……藤嶌さん、ご武運を――」
「はい、ありがとうございますっ」
二人に頭を下げた。
皆さんが作ってくれた時間だ。無駄にはしたくない。
ぶつけてみよう、私の気持ちを――
……
「○○!」
「――え、藤嶌!?」
「あっ、来た……では、呼び止めてすみませんでした。私はこれにて――」
「え? はぁ……」
井上さんは◯◯に会釈し、すれ違いざま私の肩を叩いた。
「……頑張って」
と、エールまで。
(井上さん……ありがとうございます)
〇〇と対面する。
「……久しぶりだね」
「ん、久しぶり。帰って来てたんだな」
「うん、そうなの。……ちょっと話したいことがあってさ、時間いいかな?」
ちらり、彼の背後で待つお姉さんらしき人を見やる。
「ああ」
後ろを振り返る〇〇。
「悪ぃ、姉ちゃんっ。先帰っててくんね?」
池田さんたちが言った通り、お姉さんだった。
「俺、ちょっと用事できたわ」
「ふーん……」
とお姉さんは運転席から顔を覗かせる。
私のつま先から頭の先まで、じろりと観察するかのように一瞥すると、
「おっけ~。そういうことね!」
軽く了承してあっけらかんと笑った。
「君!」
「は、はい」
「青春だね!」
「おい、何言ってんだよ姉ちゃん!」
「ははっ照れない照れない」
「いいから、早く帰れよ!」
「はいはい~。じゃ君も~またね~」
「はいっ、また」
慌ててお辞儀して、駐車場から走り去るお姉さんを見送った。
振り返ると既に池田さんたちの姿はなかった。
「そんで……どうした? 何かあった?」
「あ、えとね」
「――あっ! 藤嶌っ」
咄嗟に〇〇に腕を引っ張られて彼の胸へと飛び込んだ。
そのすぐ横をバイクが通り過ぎていく。
「あっぶねぇな……まぁ、駐車場で立ち話してる俺らも悪いか」
「そ、そうだね」
はたして、聞こえくるこの胸の高鳴りは、いったいどちらのものなのだろう。
「とりあえず移動しよう」
「……うん」
手を引かれて歩き出す。
彼の手は緊張しているのか、じんわりと汗ばんでいた。
というか、緊張してるのは私も同じで――
むしろ私の方がひどい。
滝のような汗をかいているのが自分でもわかる。鼓動は速いし、顔だってすごく、熱い……
「『今日は涼しいでしょう』って言ってたのに、天気予報の嘘つき……」
「ん? なんか言った?」
「な、何でもないっ」
誤魔化す様に小走りで〇〇の横に並んだ。
「お茶で良かった?」
「大丈夫、ありがとっ」
ペットボトルを受け取り、二人でベンチに腰を掛けた。
スマートに奢られた。
(そういうところがモテるんだよ……)
「……藤嶌が転校して結構たったよな。どうよ? 新しい学校には慣れた?」
「あ、うん――」
――嘘。まともに友達だって出来てないくせに。
(心配させたくないだけ? それとも、見栄を張っているの?)
自分に問いかけても答えは出ない。
ふと、井上さんから貰った言葉を思い出した。
『思いを伝え合うってのは……ものすごく大変で難しい事だけど、それだけ素晴らしい事でもあるの』
(思いを伝え合う――か……うんっ)
私の小さなプライドなんか捨ててしまおう。
聞いてもらえばいい。
○○に、私が思ってることを全部――
「って言うのは嘘なの……」
「へ? 嘘って――」
「本当はね、まだ一人も友達できてないんだ。そもそもまともに喋ってすらいないし」
私は自嘲気味に笑う。
「仕方ないよね。皆、勉強やらなんやらで手一杯だもん。私のことなんて構ってる暇ないんだよ……」
決して嫌われているわけではない。ただ興味がないだけなんだ。
あと半年そこらのクラスメイトと関係を構築するなんて、そりゃ誰だって面倒くさいだろう。
「それでね、お父さんに文句言っちゃったんだ――『なんでこんな時に引っ越しなんてするの!!』って。……馬鹿だよね、お仕事の都合で仕方ない事なのに」
「……」
「……皆と、陽子と離れ離れになってね。独りぼっちは寂しいんだって思ったらさ、なんだか泣けてきて」
「○○にも会えなくなるし……」と小さく零す。
「その時に……あぁ、私ってこんなに弱かったんだなぁって。……思えば昔からそうだった。なんだかんだ理由を付けて、自分から声を掛ける勇気もなかった。本当に仲のいい友達も陽子しかいないし」
きゅっと唇を結ぶ。
「……せ、席を交換してもらう時だって嘘をついて友達にお願い聞いてもらってさ」
「――え?」
「ま、〇〇の隣になりたくて必死なくせにっ! 自分から告白する勇気はなくてっ。それでも好意は引きたくて――」
握ったペットボトルが音を立ててへこんだ。
「それって……」
「うん……○○言ってくれたよね『ずっと好きだった』って。あれね、すごく嬉しかったんだよ。……私もずっと好きだったから」
あの時は舞い上がるくらい嬉しかった。
「一目惚れだったんだよ……、だけど陽子も〇〇を好きになっちゃってさ……私はあの子と争いたくないから――――っ……いや違うか、そうじゃないんだ」
陽子のせいにしてたけど、
「陽子のせいじゃない……本当は告白しても振られるかもしれない。そう思うと怖かったんだ」
だから二年もの間ひた隠しにして来た恋心が、魔物なんてものを呼び寄せたのかもしれない。
「○○から告白されてね、ようやく両思いだって分かったのに。今度はね、いなくなる私をいつまでも好きでいてくれる訳ないって……それで振られたら立ち直れないって、そう思っちゃって」
弱い私は傷つくことを恐れた。
「だから告白を断った。……なのに、諦めきれずにこうして会いに来てる……本当に私って自分勝手で嫌な奴だよね」
恐る恐る○○の目を見る。
「……幻滅、したでしょ」
「ん~」
○○は少しだけ間を置いて、
「幻滅というか、ガッカリした」
と視線を逸らしながら言った。
『ガッカリした』
その一言が、必死に言葉を紡いできた私の心をポキリと圧し折った。
「――だ、だよね……はは……」
今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
もしかしたら酷く醜い顔を晒しているのかもしれない。
「ご、ごめんねっ。こんな話しちゃって――」
居たたまれなくなり、立ち上がる。
「本当にごめん、〇〇にとっては二度と見たくない顔だったよねっ。ごめん、私帰――」
「待って」
「えっ――」
立ち去ろうとした私は、後ろから抱きしめられて足を止めた。
「ま、〇〇?」
「やっと藤嶌の気持ちを聞けたのにこれで終わりなんて、俺は嫌だ」
「……でも、さっきガッカリしたって」
「――あ、いや違う。そうじゃないんだ」
慌てたように訂正する〇〇。
「ガッカリしたのは俺にだよ。……俺って信用ないんだなって」
「それは私が弱いからでっ」
「弱くなんかないよ。今の話をするのにどれだけ勇気が必要だったか俺にはわからない。それでもさ、震えながらも話し続ける藤嶌は弱くなんかないよ」
ぎゅっと腕に力を込める○○。先ほどより強く抱きしめられた。
「○○……」
「俺さ、本気で人を好きになったことがなかったんだ」
「前、言ってたね……」
「うん……音聞こえる? 俺の、心臓の音」
「え? う、うん。聞こえる」
「なんでこんなに鳴ってると思う?」
「そ、その……ドキドキしてるとか?」
「……何に?」
「それは……わ、私に――きゃっ!?」
強引に○○の方に向きを変えられて、正面から見つめ合った。
「正解。俺の心の中にいるのは藤嶌だけだ――転校してからもずっと藤嶌一人……」
「ほ、本気で言ってる?」
「めちゃくちゃ本気」
「私、弱いからすぐ不安になっちゃうよ」
「頑張るよ、藤嶌に信用してもらえる男になれるように」
「遠距離になっちゃうけどいいの? 寂しくて毎日電話するかも」
「いいよ、毎朝でも毎晩でも」
「私、嫉妬深いかもしれない! し、知らないけど」
「ふ、俺も嫉妬深いかもしれないな。こんなに人を好きになった事がないから」
「――っ、さ、さっきからずっとキザなことばっか言ってる……」
照れすぎておかしくなりそうだった私は、恥ずかしさを誤魔化す様にそう茶化した。
「あー……確かに(笑)――これが恋をするってやつかな?」
「ほ、ほらまた言った!」
「あはは」と笑う○○。
「なぁ、藤嶌」
真面目なトーンで呼びかけられ、思わずドキッとした。
「な、何?」
「もう一度、真剣に聞いてほしい」
「――う、うん」
自然と離れる二人。
「俺は、藤嶌果歩が好きなんだ」
途端、やさしい風が私の頬を撫でた。
「藤嶌が思ってる以上に俺は君が好きだ」
真剣な瞳が嘘じゃないと物語る。
「他の子に目移り何て絶対にしないし、不安な思いもさせないように努力する」
だけど。
「だから、俺と――」
悪いと思いつつ、
「――私!!」
と、その言葉を遮った。
「え? 藤島?」
「……こ、今度は私から言いたいっ」
「は? おい! 今カッコよく決めるつもりだったのに」
「前は〇〇から告白してもらったからっ、今日は私が勇気を出す番なの!」
今日はその為に会いに来たのだから。
「……そっか。じゃあ」
「うん……」
すーっと大きく息を吸った。
「私――っ」
そこで気付いた――見られていることに。
遠巻きに何人かの人垣が出来ていた。
その中には見知った元クラスメイトの顔もあった。
「――っ、わ、私は」
急に気恥ずかしくなってしまい、声が上擦った。
「――藤嶌! 大丈夫、他は関係ない。俺と藤嶌だけだから」
「う、うん……」
もはや公開告白だ。
後でいじられるのは彼なのに、言ってることが訳が分からないくらいかっこよかった。
(私、〇〇が思っている以上に惚れているんだからね……)
そう思ったら、気恥ずかしさはどこかへと消えていた。
顔を上げて〇〇をまっすぐ見据え、大きく息を吸った。
「――〇〇が好きです! こんな私ですが彼女にして下さいっ」
精一杯の告白の返事は、言葉より先に再び抱きしめられて返ってきた。
「もちろん、こちらこそよろしくお願いします」
――途端、ワーッと大きな歓声が聞こえてきた。
「俺には藤嶌しかいない。大切にするよ」
「うん、私も――」
拍手と歓声の中、人目も憚らず、しばらくの間抱き合っていた私達だった――
が、ふと我に返ると、恥ずかしさのあまり逃げ出すようにその場を後にしたのであった。
……
「――はぁ……ははは……これは学校でめちゃくちゃいじられるな」
「ふふ、だね」
冷静になって考えると、頭から湯気が出るんじゃないかというくらい恥ずかしい事をしていた。
「でも、後悔はしてない。ようやく好きな人と一緒になれたからな」
「うん……私も」
二人して微笑み合う。
そこに、
プルルル、と○○の携帯に着信が入った。
「もしもし……姉ちゃんか、どうした?」
お姉さんからだ。
「え? ――はぁあ? 嘘だろ? 俺は?」
(んん? 何かあったのかな?)
「……ああ、そっ。ん……余計なお世話だっ――ああ、分かってる。うん……それじゃ、そっちも気を付けてな」
通話が終わり、疲れたように溜息を吐く○○。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ん、大したことじゃない。……姉ちゃんが親父たち連れて温泉に向かってるんだって」
「あ、そうなんだ」
そういえば、〇〇のお姉さんは東京に住んでるという話だった。
ご両親を温泉に誘うなんて、よく出来た娘だ。
「それで……俺だけ除け者」
〇〇は呆れたように肩を竦めた。
「え、あはは……」
なんて声を掛けてあげればいいのか。
「藤嶌さ……」
「ん?」
「いつ帰るの?」
「――えっ……あ、明日だけど。今日は陽子の家にでも泊まらせてもらおうかなって」
「そうなんだ……。えっと、それじゃさ」
やけに歯切れが悪い。
それが何を意味するのか、なんとなくだけど察してしまう。
「つまりさ、俺――今日ひとりなんだよね」
「だ、だよね。うん……」
ごくりと唾を飲み込む私。
「藤嶌さえ、良ければ……ウチに泊まってかね?」
「――うひっ」
(げ、変な声が出ちゃった……)
「うひって……っぷ、ぷははっ」
「だ、だって――」
「くくっ、ぷっふふ……」
「もう~、そんなに笑わないでよ」
「ごめん、ついっ……っくく……――っ……」
最悪。今日は恥ずかしがってばかりだ。
「ん゛ん゛。あー……でさ、別に無理にとは言わないんだけどさ……もう少し一緒にいたいなって」
「う、うん。私も一緒にいたい」
「あ、藤嶌が嫌がることはしないから! そこは信じてほしい」
「信じてるよ。……でもね。〇〇にだったらどんなことされても私は大丈夫だよっ」
そう言って、にやりと笑って見せた。
「――っな――お、おい、それはっ」
珍しく動揺する○○に、
「ふふっ。私だってやられっぱなしじゃないんだからねっ」
と、ここ最近で一番の笑顔を向ける私なのであった。
「良かったわね……藤嶌さん……💤」
(フフフ、一体何の夢を見ているのか)
寝言を漏らす和のブランケットを掛け直してあげる。
そんな和の向こう側には、同じように眠る●●の姿が見えた。
(仲良さそうに寝ているじゃないか)
微笑ましい二人の姿を一瞥して、ボクはノートパソコンへと視線を戻した。
「さてさて、こんなところかな~」
書き上げた文章を見て満足気に頷き、パソコンを閉じる。
「ふぁあ~、ボクも寝させてもらおう」
新幹線が目的地に着くまで、まだしばらく時間がある。
二人と同じように自分も寝てしまおう。
そう考えてボクは目を閉じた。
(フフフ。……しかし我ながらいい一文を書いたものだ)
睡魔へと誘われながらも、出来上がった”それ”に再び満足げに頷くボクであった。
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