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蛹は羽化して、 壱

 私は、その試合を生涯忘れることがないだろう。
 

 中学三年生の夏休み。
 たまたま姉の応援で訪れたバドミントン関東大会。
 そこで目にしたとある試合。

 団体戦決勝。
 二勝二敗で向かえた最後のシングル。
 当時、一年生ながらレギュラーの座を勝ち取った一人の選手。
 相手は大会の優勝候補だった。

 序盤から激しい攻防が繰り広げられた。さすがは優勝候補だ。
 圧倒的な実力でじりじりと追い詰めていく。

 観客席の人らがまばらに帰り支度を始める。
 もう試合は決まる。誰もがそう思った。ベンチの仲間ですら。

 それでも――彼女は諦めなかった。

 劣勢に立たされようとも終始笑顔。疲れも、苦しさも、逆境すら跳ねのけて――最後には勝利をもぎ取った。

 凛々しくも、美しく、それでいてなんと力強い事か。

 そんな彼女の姿に、私の心は鷲掴みにされた。
 この人と同じ舞台に立ちたい。
 同じチームで私もプレイしてみたい。

 そうして私は、姉のいる高校からの推薦を蹴って彼女の高校へと入学を決めたのだった。






 八月も残すこと後三日。夏の暑さも残り僅か。
 ――と言いたいところだが、最近の夏はそんなことはなく。一体いつまで続くのだろうか、と頭を悩ませるほどの猛暑が続いていた。

 
 そんな夏のとある日。
 オカルト同好会の部室にて。

「うんうん、正解も正解、大正解だよ! これなら安心してボクらも送り出せるね」

「本当ですか! やった~!」

 喜ぶ藤嶌さんを微笑ましく思いながら、私は問題用紙を覗き込んだ。

「それにしても凄いわね。瑛紗が作った問題ってどれも相当難しかったはずよ」

「そうなんですよっ井上さん! もう、すんご~く難しかったんですけどっ、最近は勉強することが楽しくてですね」

「良い事だね、藤嶌氏。やはりボクに近い感性を持っているのだ。やる気と興味さえあれば何でも出来てしまう。ボクらはそういう人間さ」

「天才というやつなのだよっ」と瑛紗は笑う。

「いやいや、天才だなんて……全ては先生方のお陰であります! 私なんかに勉強を教えていただいて、本当にありがとうございますっ」

 そう言って藤嶌さんは立ち上がり、深々とお辞儀をした。

 『魔物』の一件以来。
 藤嶌さんはたびたび同好会の部室へと訪れるようになっていた。
 彼女を気に入っていた瑛紗が勉強を教えると言い出して、それに追従するかのように私と〇〇君も教える側へと回ったのだ。
(今作から再び○○表記)

同シリーズ『夏の魔物・続夏の魔物』参照

「天才ってのはまさしく皆さんの事ですよ! 順位見たら驚きましたもん。一位から三位まで毎回独占らしいじゃないですか!」

「フフフ。まぁ学校のテストなんてボクらにとっては簡単すぎるからね」

 威張るように瑛紗が言う。

「ボクと〇〇氏は毎回のようにほぼ満点を取ってしまうのだ。参ったね、自分が自分で恐ろしいよ」

「ええ!? 満点!? すっご……」

 確かに、瑛紗と〇〇君が常に一位と二位のデットヒートを繰り広げている。
 どうにか食らいつこうと私が必死になっている事など、彼女らは知らないであろう。

「僕は暇があればずっと勉強しているから。テレサ氏ほどではないよ」

「いやいや謙遜することはないのだよ! ボクらは天才さ! 胸を張ろうぞ!」

「瑛紗、あなたは少しくらい謙遜した方がいいわよ」

 と呟いたら、大きな目でギロリ、と睨まれた。

「やれやれ、和よ。妬みかな? テスト前になったら隈まで作って夜通し頑張っているようだが」

(うっ)

 知られていたようだ。

「無駄な努力、御苦労さまなのだよ」

「な!? ちょ、瑛紗! あなたねぇ!」

「お? やるか!?」

 立ち上がりファイティングポーズを取る。

「まぁまぁ二人共」

「止めてくれるなよ! ○○氏」

「そうね、瑛紗の言う通りよ。申し訳ないけど、私にだって引けない時があるわ!」

「わわっ、喧嘩は駄目ですよ!」

 掴み合う私たちを見てオロオロとする藤嶌さんと、

「……まぁ、いいか」

 そう言って紅茶を啜る○○君。

「え? いいんですか!? 池田さん首絞められてますけど」

「うん、いつもの事だから」

 確かにいつも通りと言えばいつも通り。
 クラスメイトからは『喧嘩するほど仲がいい』なんて言われているほどだ。
 否定出来ないのが悲しい。

「い、いつもなんだ……」

「ところで藤嶌さん」

「はい?」

「その後はどう? 順調なのかな?」

「あ、はい! 何もかも皆さんのお陰で本当に、それはもう!」

「――ほう、順調なのは何よりだよ!」

 と瑛紗。私の拘束からスルリと抜け出し、藤嶌さんの横に座る。

「彼ともかい?」

「えへへ、そうですね。実は今度のテストでお互いにいい結果が出たら、どこかに遊びに行こうって約束したんです」

「へ~、それはよかったじゃないか! うんうん! 藤島氏の恋は順風満帆そうだよ、和」

 先ほどまで取っ組み合いの喧嘩をしていた間柄とは思えない。瑛紗の変わり身の早さに若干呆れる私。
 同時に、

「……ええ、そうね。良かったわね、藤嶌さん」

 それに慣れてしまっている自分にも呆れる思いだった。

「ありがとうございます。えへ、なんだか照れますね」

 幸せそうな笑顔だ。羨ましい。



 その後もいくつか談笑をして藤嶌さんは帰宅していった。


 数分後、すれ違うようにクラスメイトが現れた。

「お! 和いた~」

「あら、凪紗。どうしたの?」

「そろそろ終わるよ~、そっちはどう? 帰れるかな?」

「私はいつでも大丈夫だけど、早いのね?」

「うん、大会前だから軽くで終わりにしようって。着替えてくるから二十分後に校門でいいかな?」

「ん、了解したわ」

「ほい。そんじゃ失礼しました~」

 と元気よくお辞儀する凪紗。トレードマークのポニーテルを揺らして去っていった。

「彼女は……小島氏だったかな? 大会? 珍しいじゃないか、もうすぐ九月だってのに」

「ええ、今年は台風やら地震の影響でね。一時は中止にしようかとなっていたんだけど、なんとか一か月遅れで開催まで漕ぎつけたそうよ。全国大会だけしないのもおかしいだろうってね」

「へ~、ん? 全国大会なんだね。うちの学校はそんなに強いのかい?」

「本当に知らないのね、坂道高校バドミントン部と言えば、新聞に載るほど有名なんだけど……」

「ほ~」

「それと! 瑛紗!」

「何だね?」

「さっき! 『小島氏だったかな?』って言ってたわよね! クラスメイトなのよ、凪紗は! いいかげんに覚えなさいよねっ」

「と言われても。興味ないことにはリソースを割きたくはないからね、ボクは」

「興味ないって……ハッキリ言うのね」

「ふん、そんなことはどうだっていいのだ!」

「それよりだね」と話を変えようとした瑛紗。

「どうだって良くないわよ! 私の友達なんだから!」

 と怒る私を無視して、

「――〇〇氏」

 〇〇君へと視線を向けた。 

「ほら、すぐそうやって……まったく……」

「まぁまぁ井上さん。テレサ氏も冗談で言ってるだけだから、あまり気にしないで」

「う、うん。それは、分かってはいるんだけど……」

「フフフ。冗談を言ったつもりはないのだがね。興味がないのは事実だし」

「な! せっかく〇〇君がフォローしてくれたのに、あなたって本当に!!」

「フン。ボクに何を言ったって無駄なのだよ。ボクはこういう人間なのだ、諦めた給え」

「……はぁ、もういいわよ」

 凪紗を待たせる訳にはいかないし、とこれ以上の言及は止めることにした。
 

「さてと、そろそろ大事な話をしようじゃないか」

「……大事な話って?」

「○○氏、気付いたかい?」

「うん。テレサ氏も気づいてたみたいだね」

「……何だか嫌な予感がするわ」

「憑いてるね、彼女」

「うん。付いてるね。左肩に」

「いちよ、聞いとくけど……何がついてるの?」

「それは」


「妖怪さ」
「虫だね」
 

「……」
 

「私、このくだりで、あなたたちの解答が一致したの聞いたことないんだけど?」

「――っく、言い返せないのが悔しい」

「でもね、井上さん。意味は一緒なんだよ」

「そうなの?」

「そうなのだよ! 虫であり妖怪である!」

「つまり?」

「虫の妖怪さ!」

「そのまんまじゃないのよ! 瑛紗、あなた本当は分かってないんじゃない?」

「何を言うか! ボクが和を馬鹿にするのはいいが、和がボクを馬鹿にするのは許せないぞっ」

「ふーん。そっ」

 と最近は受け流す術も覚えた私だ。

「――な!? なんだその『はいはい、分かりましたよ』みたいな顔は!」

 憤る瑛紗を他所に、私は〇〇君に聞いてみる。

「それで、虫の妖怪って?」

「あ、うん。虫の妖怪――思い出の思いと昆虫の虫で『思い虫』だね」

「思い虫……」

「またの名を『重い虫』というのだ」

「一緒でしょ」

「漢字が違うのさ! 体重、重量の重さから取って『重い虫』」

「そうなんだ――って瑛紗も知ってたのね」

「む、言ったじゃないかっ」

「ふふ、そうね。ごめんなさいね」

「ふふん、分かればいいのだ」

 認めてあげれば素直に喜ぶ。そういうところが可愛らしくて憎めない。

「それで、妖怪って言うからには……」

「うん。放っておくわけにはいかない類のものだね」

「危険なの?」

「……妖怪というのはね、基本的には人にとって脅威なモノばかりなんだ。『思い虫』も例に漏れず――放っておくと死を齎す」

「え? 死って……」

「小島さんの場合はまだ時間がありそうだけど、退治しないといずれは……」

「なら急がないと!」

「だね……」

 歯切れが悪い返答をする〇〇君だった。

「和よ、よく聞くのだ」

「な、何よ。改まって……」

「いいかい? 人に寄生する妖怪、それが虫。そして『思い虫』は負の感情、分かりやすく言うと人の”悩み”を吸い取って成長するのだ。そうして……蛹から始まり、やがて羽化して成虫と化す。その時に寄生主の魂を連れて行くと言われている」

「ってことは、今はまだ蛹の状態で、羽化する前に退治するって訳ね」

「うむ。だが事はそう単純でもないのだよ。悩みを養分にする虫。それがどんな悩みなのか、傍から見てたら分からないのさ」

「それって重要な事なの? 力づくて剥がしたりとか、なんか不思議な術で消滅させたりとかじゃ、駄目なのかしら?」

「そうだね、出来なくもない」

「だったらっ」

「――後遺症が残るのさ」

「こ、後遺症?」

「寄生すると言ったがね、正確には繋がってるのだよ。心の奥深くと。それを強引に剥がすと、彼女の心は壊れてしまうだろう。ほぼ間違いなくね」

「なによそれ……」

 放置すると死が――退治すると心を壊す。

「厄介すぎるじゃない!」

「そう、とても厄介なのだよ」

「ど、どうにかできないの?」

「方法はある」

 と〇〇君。

「その感情を刺激させるんだ。直接他人から言われることによって、急激な成長を促す」

「促して?」

「蛹から成虫へと羽化する直前、心の繋がりが解けるんだ。成虫となって魂が連れていかれる前に倒してしまえばいい。それが唯一のチャンスとなる」

「倒すのは簡単なのだよ。それはボクが用意しよう」

「良かった……なんとかなりそうじゃない?」

「うん。あとは井上さんが」

「私が?」

「聞いてほしいんだ。小島さんが一体何に悩んでいるのか。今はまだ刺激しないように、それとなくね。これは井上さんが適任だと思う」

 確かに、二人には難しいだろう。
 クラスメイトとすら滅多に話さないのだから。

「分かったわ。ちょうど一緒に帰る約束をしてたから、聞いてみるわね」

「フフフ。では後日に全ての準備が整い次第、妖怪退治と行こうじゃないか!」

 そうして私は凪紗の自宅まで話をしながら帰ることにした。


 しかし――


 この日、凪紗の”悩み”が分かることはなかった。

 彼女曰く、悩みなど特にはないと言うのだ。嘘をつく子ではないし、隠している様子もない。

 
 瑛紗に電話で確認してみたところ、

『なるほど。もしかしたら彼女自身が自覚していないのかもしれない。もう少し探る必要がありそうだ。頑張り給え』

 そう言われた。

(大会二日前だけど、放課後に軽く練習するって言ってたわね……)

 本番前に申し訳ないけど、これも凪紗のためだ。
 明日も話をしてみよう。


 続く

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