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日向編 9話

真壁は茉莉の目尻を流れる涙を拭うと、彼女の瞼をそっと撫でた。
見開かれていた目を閉じる様に。

「守ると誓ったのに、すまない」

誰に聞かせるでもなく、ただ虚空にそう呟いた。




真壁宗一郎。
二年前に婚約者を交通事故で亡くす。
その場に居合わせれなかった自分を心底恨んだ。

しばらくして仕事を辞めた。
昼間はデートでよく訪れていた高台から町を眺め、夜は当てもなく街を歩いた。

ひたすら同じような毎日を送っていた時だ。

いつも通り高台へと足を運ぶ真壁。
普段なら誰もいないはずのそこに先客が一人。

その人物と少し離れた位置に腰を下ろす。

「いい眺めだね。町が一望できる」

「……」

ここには二人しかいない。
つまりその人物は真壁に話しかけているのだ。
ただ、それに応える気がないだけ。

視線を感じて、我慢ならず溜息交じりに返答する。

「はぁ……何か用ですか?」

「いや。気を悪くさせてしまったようだね。すまな――あれ? 君、ひょっとして真壁君かい?」

と、驚きの声を上げるその人物。

「……今野、さんでしたか」

今野義雄。
仕事で何度か同行したことがあった。
彼、もしくは彼の関係者の警護を担当していたのだ。

「久しぶりだね! しかし、――見違えたよ。昔の君をしっているからか、正直ガッカリした」

失礼な人だ。

「覇気がない。……良ければ話してくれないか? 何が君をそこまで変えたんだい?」

人にする話でもない。
それも、ただの知人である彼に話すはずもない。
ないのだが――それが今野という男の人柄なのか。
気付いた時には、ぽつりぽつりと話始めていた真壁だったのだ。


「なるほど。ふ~む。そうかそうか……時に真壁君。今晩暇かい?」

本当に、唐突な誘いだった。
暇だったのは確かである。
予定などあるはずもないが、何かに誘われたとしても着いていく気力もなかった。

「君に見せたいものがある」

見せたいもの。
それが何なのか気になっただけだ。

気付けば彼の用意した車に乗り込んでいた。


それが真壁の人生を変える。


歓声が鳴り響く会場――ステージで踊る一団。

傍目でみても分かる。

それがアイドルと呼ばれる者たちなのだと。

「私の生きがいだ。彼女たちだけじゃない。姉妹グループ全てが娘のようなものなんだ。ステージの上で歌って踊って、こんな大きな空間で大勢の人たちに笑顔を届けている。もちろん彼女たちの力だけじゃない」

ステージ横で今野が熱く語る。

「それでも、彼女たちがこの日のためにどれだけ練習してきたか――日々の活動にどれだけ掛けてきたのか。それをスタッフもファンの人たちもわかっているんだ。だからこそ、ここまで観客を湧かせることができる」

真壁の方を向く今野。
とても真剣な表情だった。

「今、彼女たちに悪意ある危機が迫っている。君の力が必要だ。よければ私と一緒に、彼女たちを支えてくれないだろうか? それが……きっと君の生きる道を探すことにもなると思うんだ」

返答はしなかった。
今野の方を見てもいなかった。
ただ黙ってステージを見ていただけ。

「返事はゆっくりでいい」

そう言うと真壁の肩をぽんと叩いて、ステージ裏へと消えていった。



『見て見て宗ちゃん! これが京子ちゃん。可愛いよね~。あ、可愛いだけじゃなくてね、歌も凄く上手でね。さらにね――』

齊藤京子。日向坂46のメンバーの一人。
今このライブのステージ上で歌っている人物。
偶然にもそれが婚約者だった彼女の”推し”であった。

『私の好きな曲はこれとこれでね! それと――』

耳に蛸ができるくらい聞かされた曲だ。



『この子はとっても面白くて! この子はめちゃくちゃ可愛いの!! 京子ちゃんの次にだけどっ』

いつのまにか、メンバーの顔と名前が一致するようになっていた。

『今度のライブ一緒にいこうよ! 絶対宗ちゃんも好きになるから! いや、させてみせる!』

約束はしたが、結局仕事の都合で果たせなかった。


時にメンバーの卒業に涙する彼女。新しい曲の発売に歓喜する彼女。
ドキュメンタリー映像を見ては、思いにつられたのか一緒になって泣いていた彼女。

そんな彼女が好きだったグループが目の前にいた。

ステージの上では明るく元気にパフォーマンスをしている。
だが、裏にもどった姿は想像以上に満身創痍であった。

テーピングで足をギチギチに固定する者、酸素ボンベを必死に吸い込む者、過呼吸になってしまった者、中には泣き出す子すら。

それでも、ひとたびステージ上に舞い戻れば、そんな姿も想像できないくらい輝いていたのだ――


頬を何かが伝う。
真壁自身、気づかない内に涙していた。

ライブの熱にあてられたのか。
灰色だった彼の心に何かが色を加えたのか。
本人にも分からなかったが、彼の心を動かすのにそれ以上いらなかった。


彼女が好きだったもの。
それを守り抜くことをこの時に誓ったのだ。






遠吠えが聞こえる。
木々がざわめきだち、バサバサと逃げ出すかのように鳥が飛び去っていく。

ふーっと深く息を吐く。

暗闇を見据える真壁。
何かが蠢いてるのが見えた。

――波と表現しても間違いではないだろう。

木々の合間を縫って灰色の獣たちが向かってくる。
その数、十や二十などではない。
視界一面を埋め尽くすほどの人狼の群れが迫っていた。


腰を落とし、重心低く構える。
真壁流の基本姿勢を――

「――!!」

一体がまず飛び出した。
無防備に空中へと浮いたその獣へと、高速の一撃が放たれる。

「っふ、ッ――」

続いて現れた二体を纏めて薙ぎ払う――渾身の廻し蹴りを受けて、ボールのように転がっていった。

さらに、真壁を取り囲むように開いた人狼たちへと自ら飛び込んだ。
迫る凶器を右手で払い、喉元に手刀を食い込ませた。

そのまま流れる様に横の個体へと肉薄する。
反応できずに、真壁の正拳をわき腹にもらい、泡を吹いて倒れ込んだ。

「――ぐぁ!?」

鋭利な爪が背中を抉った。
暗闇に紛れて飛んできたようで、上段蹴りで迎え撃つが一拍遅かった。

ズブリと、別の爪が太ももに突き刺さる。
代わりに拳骨を横面にお見舞いした。

木の上から飛んできた大きな口を、下から繰り出した掌底で無理やり閉じさせた。
その首を掴み、

「がぁああああああ――ッ」

と雄たけびを上げながら、反対側から回り込んできた集団に投げつけた。
ボーリングのピンのように吹き飛ぶ人狼たち。

これも騎士の力なのだろうか。もはや人の戦い方ではなかった。

咄嗟に顔を背ける。

頬に三本線が刻まれた。
その腕を掴み、一本背負いで別の個体へと叩きつける。

それだけでは致命傷にならなかったのか、下敷きとなりじばたばするその顔を左足が踏み抜いた。

鈍く砕ける感触を感じながら、その足を軸に回転蹴りを繰り出す。

左横の死角から近づいていた太い首を、真壁の蹴りが強引に圧し折った。

背後から聞こえてきた雄たけびが、その音をかき消――して、新たにボキッと骨を砕く音に塗りつぶされる。
回転蹴りが勢いを殺すなく、二体目の頭蓋を砕いたのだ。

独楽のように一回転して、一息つく間もなく数歩下がる。

元いた位置に降ってきた灰色。
――もとい、真っ赤な人狼。
返り血だろうか、もはや体半分以上が赤色に染まっている。

(どれだけの人を殺めてきたんだ……)

ソイツが目尻を吊り上げて大きな牙を剥いた。
まるで、獰猛な獣が嗤っているかのようだ。

その顔がくしゃりと――歪む。

目にもとまらぬ右の拳が撃ち抜いていた。
限界までのけ反った首が、みちみちと音を立てて、ありえない方向へと折れ曲がると、そのまま力なく崩れ落ちた。


「――っはぁ――はぁ、――っふー」

第一波を耐えた。
何体倒したかなど数えてはいない。
休む暇もなく、新手が押し寄せてきていた。

少しずつ後退しながらも、終わりの見えない戦いに真壁の意識は深く沈んでいくのであった。



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