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櫻編 21話

数分前のことだ。
ものすごい衝撃音がした。

 ……それに聞き間違いではないはずだ。

あれはたしかに発砲音だった。
春樹は昔に一度だけ聞いたことがあった。

何者かがあの男と争ったのか、発砲するとなれば警察の類か、もしくはそれに近い何か……
焦る気持ちを抑え、春樹は車から車へと歩みを進める。

月明かりに紛れ、隠れるように進んでいった。

(……ん――近い)

不意に聞こえた足音。明らかにこちらに聞こえるように鳴らしている。
そして、一瞬だけちらりと見えた金色の髪。

(奴だ……)

どうやら逃げた込んだ春樹を探してここまで来たようだ。
チャンスはよくて一度、そう考えて気配を殺す春樹であった。






九条は笑う。
山なりに飛んできた小さな石ころが足元に転がってきたことではない。

藤崎春樹が逃げていなかったことにである。

(お~、やっぱりなぁ? いるじゃねぇか)

逃げれるだけの時間はあったはずだ。
それでもまだここに居るという事は……

(戦う意志があるってぇことだろぉ?)

目を開き、声高かに宣言する。

「始めようぜぇ? 次は、終わらせてやるからよぉ?」

漆黒の闇に九条の声が木霊する。


……返答はない。

その代わり、

再び飛んできた石礫が開戦の合図であった。

――ジャリッ

「そこかぁ!?」

足音のするほうへと手を向けた九条は、狙いを定めて車を浮かせ上がらせた。

「んぁあ?」

感覚が鈍ったわけではない。むしろ研ぎ澄まされている。
先ほどの春樹との闘いで、身の隠し方、回避するであろう方向まで予測した九条だ。
 
いないはずがないのだ。
 
なのに、

姿が見えない。
 

――ッザ

「そっちかぁあ!!」

本来の重力が戻り、落下音をさせた車――その数台隣、そこら周辺を対象に力を使った。

今度はどこに逃げようが関係ない。四方まとめて暴き出す。

……しかし蓋を開けてみれば、月明かりが何もない地面を照らすのみ。


理解が追い付かない九条は素っ頓狂な声をあげる。

「はぁ? ……くそがぁッ!? どういうことだぁ」

そんな九条に三度、石ころが飛んできた。

我慢ならず腕を振るうように力を使う。
小石は空中でピタッと止まり、物理法則を無視して元来た軌道をなぞる様に跳ね返った。

ズキリとこめかみに鋭い疼痛、ぐらぁと頭が揺れる九条。
すでに蓄積された負荷が警告を訴えるかのように。

(まだだぁ、いいところだろぉ……、――俺はまだやれる)

「――ッ! 舐めんじゃ、ねぇ――!!」

手のひらを上にして両腕を広げるように掲げた。


瞬間、浮かび出す。


正面にある数十台の廃車――それが――全て空中へと。

その真下、露わになる標的の姿。

お目当ての――

「くくっ、――ぁ? ……はぁ!? こ、こいつら……報告書の?」

否、九条の探していた標的ではない。

隠れる物がなくなり戸惑っていたのは……、

藤吉夏鈴と守屋麗奈の二人だったのだ。


呆気に取られ固まる九条。

二人が逃げるように走っていくのを、ただ呆然と見ているだけだった。


仲間がいる――その可能性を頭から消し去っていたのだ。

同類だと思っていたから。
藤崎春樹は自分と同じ種類の生き物だと、そう思い込んでいた。
誰に頼ることもない、信じる物は己のみ。

事実、九条という男はそうやって生きてきた。

立ち尽くす九条。

――刹那、その背後に踊り出る大きな影。

「ぁあん!?」

思わぬ傷心に反応が遅れた九条であったが、それに気づくと振り向きざまに力を使う。
寸前のところで地面に埋まるように叩きつけた。

「――ッ!?」


もはや驚くことに疲れ、声が出ない九条は足元のそれに目線が釘付けになった。

足は真っ二つに折れ曲がり、胴体は陥没したように潰れているそれ――全長二メートルほどの大きなドローンに。

 
そこでようやく気付く……上空から近づく存在に。






これ以上ないチャンスだった。
夏鈴たちが作ってくれたこの状況。

春樹は車体を踏みつけるようにして、高く飛び上がった。

金髪の男が振り返る様に見上げてきた。

目と目とが合う。驚愕の色を見せるその顔へと踵を落とす――

意表を突いた。


だが、それでも届かない。

半身を反る様にして春樹の踵落としを避けた金髪の男。
再びまみえた標的へと獰猛な笑みを浮かべていた。

「オラァッ!!」

着地と同時、飛んでくる前蹴りを両腕を交差させるようにしてガードする春樹。
 
(っち……だが、想定内ッ!!)

蹴りの威力に押し戻されないよう四肢に力を込める。
距離を取られることを拒んだ。

対する金髪の男。
半歩下がりながら右手を前に――


『先読み』 

それは幾多の喧嘩の経験からか、はたまた天性の才能か。

春樹は右足を軸にして背を向けるように体を回転させた――予測される”力”の軌道上から避けるように。

「なにぃ!?」

男が手を突き出した時には春樹の姿は既になかった。

さらに左足を軸に変え、大きく弧を描くように左側面から急接近する春樹。

 
(……この野郎)

死角から接近してなお――ギュルリと動いた瞳が春樹を捉える。

(だが関係ない――)

重心を低く右肩を少しだけ引いた春樹。
構える右ストレート。

”力”を使わせる暇も与えない――超接近戦、春樹の間合いである。


咄嗟に左腕で防御の構えを見せるこの相手。

やはり油断ならない男だ。

それでも、

春樹は放つ――

「――ッうぐ!? ――ーゴェッ」

渾身の左フックが男の腹を打った。

鳩尾――人体の急所の一つ。鍛えることの出来ないその部位、到底耐えられる痛みなどではない。

男は激痛に顔を歪ませる。
すべての空気を吐き出したのかカハッ、という声にならない声を漏らした。
だらしなく舌を出し、吐き出した空気を求めるかのように顎が上がる。

その無防備な顔面へと、春樹の右ストレートが――着弾する。

止めることなく振り抜かれた拳骨が男の鼻をひしゃげ、粉砕した。

まるで風車のように、金髪の男は一回転し地面へと叩きつけられた。

うつ伏せに倒れ、僅かに見えるその横顔は白目を剥いている。

ピクピクと痙攣を繰り返していた。

もはや立ち上がることなど出来ない。

文字通り粉砕されたのである。






「……春樹。終わったの?」

「あぁ……」

少しの間ぼーっとしていたのか、隣まで近づいていた夏鈴にようやく気が付いた春樹。

ウゥーーー、とすぐ近くでサイレンの音が鳴っている。

「……行こう。大丈夫、ちゃんと救急車も呼んだから」

「分かった。なら、あとは警察に任せるか」

「うん。私たちは見つかる訳にもいかないしね」

状況を説明することも出来ないだろう。
もしかしたら、政府の研究機関か何かに囚われて実験動物にされる可能性だって無くはないのだから。
春樹たちには何が味方で、何が敵なのか、まだ分からなかった。


そして、もう一度だけ打ち倒した男を一瞥した春樹は、少し離れて待っていた保乃たちとこの場を後にするのであった。
 
こうして《重力使い》九条との戦闘は、春樹たちの勝利で幕を閉じた。


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