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日向編 2話

「えっと……ド、ドッキリですか?」

と、近づこうとする陽世を真壁は手で制した。

ドッキリではない。仄かに漂う血の香り。
ソイツ――人狼の口、爪から垂れる赤い液体。
血糊などではなかった。本物の血だ。
なによりも、目の前の人狼からどうしようもなく感じてくるのだ。

色濃い殺気が――

 

「……全員ゆっくり下がれ」

あんに自分より前に出るなという真壁。
じりじりと下がる一同。

それにつられるかのように人狼も一歩踏み出した。


「――それ以上近づくな。警告では済まなくなるぞ」

構える真壁と、その進言を無視してなおも前進を続ける人狼。

対峙する両者。

忠告は行った、もはやなにかの企画であったとしても己が仕事を全うするのみ。

 
「……排除する」
 

言葉と同時、真壁の中段蹴りが人狼の横腹にめり込――むことなく弾かれた。

(な!?)

――硬い。体毛か、はたまた皮膚なのか。
想像以上の硬さに驚く真壁。
その隙をついて人狼が大振りに腕を振り降ろした。
この鋭利な爪なら、人体を容易に切り裂くことが想像できるだろう。

されど、焦ることなくそれを冷静に裁く。

(硬いならば硬いなりにやりようはある――)

伸ばされていた人狼の腕を掴み体ごと引き寄せた。

対する人狼――大きく口を開け、引き寄せられる勢いのまま噛みつこうとしたのだ。
 
 
 
そこを――真壁の掌底が下から打ち上げた。

下顎からガチンと音を立てて牙が何本か砕け、飛び散った。
衝撃が脳まで伝わり、ぐるりと白目を剥いて力なく崩れ落ちるかのように。

その横面を再び中段蹴りが襲った。

影を残しながら嘘みたいに吹き飛ぶ人狼。

そのまま壁にぶつかると、血痕を引きながら倒れ込んだのだった。

 

残心を解く真壁。

人狼のもとに近づき、壁に備え付けられていた消防ホースで念のため縛り上げた。

(正直……殺すつもりだったが、息があるとは驚いたな)

硬いと分かってはいたが人間離れした生命力も持ち合わせているようだ。 
ただの人間という訳ではなかったと、ある意味では安心していた。

油断ではない。その心の隙間に忍び寄るものに、反応するのが遅れたのだ。その一瞬、何者かが背中に触れていた。

(ん?……森本か?)

気配で人物を察知する。
 

「どうし――」

振り返り、問いかけようとした目の前を茉莉の腕が通り過ぎた。
彼女が伸ばした腕が、示した指の先が真壁の言葉を遮ったのだ。

「ま、真壁さん!」

わなわなと震える茉莉、その先を追うように視線を向ける。

視線の先、新たに現れる三体の人狼。

そして、

「いやぁああああああああああああああああ」

後ろから聞こえてくる悲鳴。
がちがちと歯を鳴らす茉莉。

人狼の爪の先に人の頭が突き刺さっていたのだった。


怯える一同をよそに、三体の人狼が歩みを開始する。
先ほどの人狼とは違う。獲物を目の前にして興奮を抑えられない獣のように、口からだらだらと涎を垂らして走るように近づいてきた。

前へと身を投じる真壁。
三対一。油断はしない、一瞬でも気をゆるめれば持っていかれるだろう。
 
人狼が爪に刺さっていた物体を邪魔だというように振り払う。

飛んできたその物体――人の頭を受け止め、できるだけ優しく横へと放る。

(すまない。だが……敵は取る)

心の中で詫びる。彼ないし彼女のようにはならないと油断なく迎え撃つ。

その時、後方から何かが割れる音がした。

人狼の噛みつきを躱しながら、なんとか目線だけはそちらに向ける。

窓ガラスが割れ、そこから一体の人狼が飛び込んできていた。
陽子らメンバーのさらに後方に。

(ここは三階だぞ!?)

焦る気持ちとは裏腹に冷静に目の前の脅威に対処する。

伸ばされた爪をぎりぎりのところで躱す。

爪先が頬を裂いたがお構いなしに懐に潜り込んだ。

そのまま掌を腹に当て――掌底、送り込まれた衝撃が人狼の背筋を伸ばし、ピンと直立させる。

口から泡を吹いてそのまま後方へと倒れだした。

その結末を見ないまま、新たに迫る凶器をまたも紙一重で躱す。

己が被害を顧みず、できる限り迅速に――後方の大切な者たちを守るために――






「はるはるッ!!」

突如として窓ガラスが割れてそこから人狼が飛び出してきた。
一番後ろにいた葉留花のすぐ近くに。

そんな彼女を守るかのように陽子は前へと出る。

「――ッう!!」

臭い。対峙してようやく気付く。
獣の臭いか、もしくはこれが血の臭いなのか……

「よ、陽子っ」

「ダメッ!! 来ちゃダメ!!」

少し離れていたメンバーが近づこうとしたが、声を張り上げて制止する陽子。

こういう時の為に師に教えを乞うてきた訳ではないのだが、この状況で戦えるとしたら自分しかいないと判断した。

ふぅーーーと大きく息を吸い込み、構える――修練してきた武術を。

(焦るな。焦るな――)

「ショ……ショウ、ゲ……ショウゲンジ……」

「――え?」

「しゃ、喋った!?」

「ウ……ウマソウダ……」

「な!?」

名を呼ばれ、心臓が暴れ出す。

カァーッと体温が上がり、額から汗が垂れる。

その雫が瞼を伝った。

動揺していたからか、思わずその汗を拭う。

そうして視界が途切れた一瞬――

「――わっ!?」

奇跡的にその拭う動作が彼女の命を救ったのだ。

頭上すれすれを通り過ぎる人狼の腕。

そのまま、がら空きとなった胴体。

そこに構えていた陽子。

それは偶然にも訪れたチャンス。

しかし、

「ぁ……ぁあ……あ……」

一歩間違えれば死んでいた。
鋭い爪が陽子の頭を容赦なく貫いていたであろう。
その事実が、溢れ出した恐怖が彼女を蝕む。

どうにか拳に力を込めようとするが、すぐ上から見下ろされた瞳――およそ人のする眼ではない。初めて相対する獣の眼光――に顔が引きつった。

(あ……だめかもしれない)

心が折れ――



「正源司!!」

師の声だ。

その声が折れかけていた陽子の心に――一滴の雫が如く、心の水面を揺らす。
暴れていた鼓動が、動揺し震えていたはずの体が嘘みたいに静かになった。

心身だけではない。彼女の周りが静まり返っていた。
 
まるで自分だけがそこに在るかのように――スローモーションのように全てがゆっくりと――

じろりと人狼の瞳が緩慢に動く。

されど、そこにもう恐怖は存在しなかった。


「――三十度」

続けて聞こえてきたその言葉に自然と体が動いた。

約一年。短いといえば短いが、されど一年。
何千、何万と繰り返したその動き。
毎日のように修練してきた成果が流れるように彼女を動かしたのだ。

(……三十度)

三十度――師から叩き込まれたその言葉。
右半身を三十度引くように傾ける。

腹脇に携えた右拳に思いを込めて握り絞める。

(真壁流・一の型――)

溜め込んだ力を放つかのように――

「弧月ッ!!」

撃ちだした右の拳をまっすぐに――螺旋を描くように人狼の胸に叩き込んだ。

それはぎりりと音を立てめり込み始めた。

「うぉぉおおおおお」

雄たけびを上げながら全体重を前に――突きつけた拳にさらに力を込める。

その力が、衝撃が人狼の内部へと浸透する――

真壁流・一の型『弧月』
下半身から拳へと溜め込まれた力が螺旋を描くことにより標的内部へと衝撃を残す。

戦国の世に人を殺めるため生み出された武術である。
本来なら一年足らずで習得できる技ではないのだが、それこそが彼女を天才と師が評価しているところだ。

類まれなる集中力――いかなる分野においても、突出するであろう才能であった。


「――ッカハァ」

声にならない呻きを上げながら、前のめりに倒れる人狼。

接吻するかのように顔面から地面へと落ちていった。


「――っは――っは、はぁー」

荒い呼吸をする陽子。

定まらない視点でなんとか目の前の人狼を見下ろす。

残心を解くことも忘れ、一心不乱にそれを見つめていた。

「陽子っ!!」
 
「葉留花!!」

と、メンバーが心配そうに駆け寄ってきた。

されど未だ心ここにあらずの陽子。
熱に浮かされたかのような呆けた表情で、師の方へと顔を向ける。

時を同じくして三体の人狼を打倒した真壁。
彼にしては珍しく肩で息をしているようだ。

陽子の視線に気づくと、安心したような表情を見せる。

そして満足そうに頷いた。


「正源司……良くやった」

と。
その言葉に、ようやく――忘れかけていたかのように体が熱を帯びる。

無意識に封じ込めていた恐怖がぶり返し、涙が溢れ出す。

「――怖かった。……ぐすっ……怖かったよぅ」

泣き出した陽子をそっと抱きしめるように、自らの危機を救ってくれた小さき英雄に寄り添う葉留花。

「ありがとう陽子。本当にありがとう」

感謝の言葉を述べ、彼女もまたつられたかのように泣き始めた。

そんな二人をさらに抱きしめる仲間たちであった。

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