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櫻編 20話

「――ぁ?」

鼻から何かが、ぬめりと垂れた。
 
夜空を見上げるように呆けていた九条。 
唇についたその鉄の味を舐めとるかのように味わう。

「使い過ぎたか……」

鼻血を出すほどまでに、能力を行使していたらしい。
今、自分が何をしていたのかもすぐには思い出せないほどに……

《重力使い》

文字通り重力を操る九条の”力”。
イルミナティの中でも、戦闘面においては上位に値する。

ひさしぶりに骨のある相手に出会えた喜びからか、九条が戦闘にそこまで力を浪費することは珍しかった。
溢れ出るアドレナリンが、心身に掛かる負荷を意識の外に追いやっていたのだ。
 
その代償が――脳がオーバーヒートを起こす直前である。

「おぉ? そうだそうだ……そうだった」

幽鬼のようにふらふらと覚束ない足取り、焦点が定まらない両眼。
 
「俺としたことがぁ? 危ねぇ危ねぇ」

口からだらりと涎が垂れた。

「トリップしちまってたかぁ?」

頭を掻きむしる九条。

ようやく意識がはっきりしてきたのか、そこで気が付いた。


――囲まれていることに。


「手をあげろ!」

「おい! 聞こえているのか? 手をあげるんだ!」

敷地の入り口に数台のパトカーが並ぶ。
扉を開き、それを盾にするかのように拳銃を構える数名の警察官がいた。
矛先はあきらかに九条である。

なぜこのような状況になっているのかと首を捻る、その際中、わずかに映る視界の端。
先ほど処した警官の姿がちらりと見えた。

原因はそれだ。
彼らのお仲間の見るも無残な最期。
さらには、この場所に広がる破壊の痕跡。

容疑者、第一級危険人物。
それが銃口を向けられる要因だった。

(……五、六、七、いや八か?)

余裕げに人数を確認する九条。
この日本において無抵抗な人間にいきなり発砲する警察などそうはいない。

「なぁ? 今のオレはとても機嫌がいいんだぁ。 引くなら見逃してやるぜ?」

傲慢不遜な態度でそう宣言した。

「な!? 何を言ってるのだ!! 貴様、自分がどういう状況に置かれているのか分かっているのか!」

「お前らこそわかってんのか? 誰を相手どってるのかぁ――、――なぁ? おい!! わかってんのか? って聞いてるんだよッォオ!!」

突然、激高した九条。

声を荒らげながら警察官の一団に右手を翳す。

それに反応するかのように、先頭の一人が震える手で引き金に指を掛けた。

そして――パァン!!と虚空に銃声が鳴り響いた。

「ば、馬鹿者!! まだ撃っていいと――」

言いかけて、驚きの表情を浮かべる。

九条に向けて放たれた一粒の銃弾。
それが彼の数メートル手前の地面に減り込んでいた。
 
九条の能力だ。
翳した右手の前方一定範囲に重力場が発生する。
そこに有るものは例外なく重さの概念・速度を無視して沈む。もしくは浮かぶのだ。

が、彼らが驚いたのはそこではない。


盾にしていたパトカーが、全て、なんの前触れもなく浮かび上がったのだ。

はるか上空へと消えていったそれに、口を半開きにして見上げる一同。何が起こっているのか誰一人として理解できた者はいない。


それが、影を差して再び近づいてきた時、そこでようやく慌て出した。


「よ、避けろー!!」

遅い、遅すぎる。

九条は喜々として振り上げていた腕を勢いよく振り下ろした。



「――ウッ、……ァア……ァ、ウゥ――」

白い車体に押しつぶされ、呻き声を上げるその集団にもはや興味が無くなった九条。

だらりと下げたその腕で気だるそうに髪をかき上げた。

「あー? 余計な邪魔が入っちまったぁー、なぁ? そうだよなぁ?」

廃車置き場の奥、暗闇のその先へと語りかける。

「まだいるんだろぉ? いるよなぁ? お前はそんなタマじゃねぇよなぁ? 」

答える声はない、しーんとした闇が広がるだけだ。

「っくく、いいぜぇ……。俺から出向いてやろうじゃねぇかぁ」

歩き出した九条。
先ほどまでの彼ではない。

しっかりとした足取りで奥深くへと進んでいった。

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