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日向編 1話

しんと静まり返る道内。

四十畳ほどの――例えると少し大きめな教室といったところ――こぢんまりとした場所故か、時刻は夜の八時ということもあってか、蛍光もやや弱めで薄暗く、寂しさすら感じられた。

そこに座禅をする一組の男女。
細身ながらも鍛えられ引き締まった肉体が男の職業を裏付ける。
護衛・警護を担当するチームの一員であった。

その男、真壁宗一郎は横目でちらりと隣の少女を見やる。
 
短く肩口で切り揃えられ黒髪、外はねがトレードマークでもある小柄な少女。
名を正源司陽子という。アイドルグループ『日向坂46』の四期生が一人。
彼女たちこそが真壁が属する護衛チーム(通称・護衛班)の護衛対象になる。
 
『護衛班』
一年半ほど前に設立された日向坂が運営する組織。
メンバーやスタッフの護衛・警護、イベント周辺の安全の確認、設備等の準備、送迎から雑用までと幅広い業務を担当する。
人数にして十二名。
若い者で二十二、高齢の者で四十八と年齢も前職もバラバラではあるが、いずれも戦闘・警備のプロであった。

この日はとあるテレビ番組の企画で、メンバーや運営スタッフらと共に彼ら護衛班も山奥にある旅館へと訪れていた。

三階建ての綺麗な白塗りの本館と、そこから渡り廊下で繋がられている少し寂れた別館。
どちらも日向坂の貸し切りとなっている。
別館の三階にある一部屋、そこが真壁が利用させてもらっている道場となる。

 
「師匠……」

師匠――そう呼ばれて真壁は隣に座る少女へと体を向ける。

「始めよう」

「はいっ!」

快活に返事をする彼女。
二人はゆっくりと立ち上がると姿勢を正して一礼する。

そして、同じ動作で同様の構えを見せる。

右足を引き半身を傾け中腰に落とす。

右手は胸の前、左手は顔の前で構える。

これが真壁流古武術の基本の構えとなる。


虫の囀りだけがわずかに聞こえた静けさの中、先に仕掛けるは正源司陽子。

ハッ! という掛け声と共に右腕を突き出した。

螺旋の如き回転を加えた正拳突き。

真壁流・一の型『弧――
 

「あまい」

真壁はそれを造作もなく打ち払う。

間を置かず返した掌を陽子の顔面へと伸ばす。
 
掌底――迫るそれにぎゅっと目を瞑る陽子。

ペチン、と子気味いい音が鳴り、続いてアイタッ!と自らのおでこに触れた。
でこぴんの跡がついたそこを摩りながら恨めしそうに真壁を見つめる。

「……素直すぎる。素人相手ならまだしたも、なんの仕掛けもなしに先に手を出すと――こういう痛い目に合うことになる。覚えておけ」

「あう――っ。……ぁい」

ちぇっ、と口をすぼめる陽子。
口ではそう言っときながらも、この少女のことは高く評価していた真壁だった。





真壁が護衛班として日向坂に入社した同時期に、陽子たち四期生もオーディションを突破し日向坂の一員となった。

『私たちって同期ですよね!!』などと口走る彼女。

その出会いは早朝。
朝靄もはれきっていない事務所の真下。
裏手の敷地にて己が流派の一連の型をなぞる真壁に声を掛けてきたのが始まりだった。

『すごい! なんて綺麗な動きなんですか! 私にも教えて下さい!!』 

飛び跳ねるように近づいてきた少女。
みるからに元気そうな、例えるなら子犬のような人懐っこさに元婚約者の面影を見た。
それもあってか、逡巡することもなく『いいだろう』と返事をしていた。

真壁流古武術。
真壁宗一郎が現在の当主となるその流派は古く江戸の時代から現在まで継がれてきた実践的格闘術である。
一子相伝――などということもなく、来るもの拒まず去る者追わずと窓口は比較的広かった――のだが、

若くして先代が無くなり、他に門下生もおらず、自ら弟子を募集することもなかった真壁。
かくして、この正源司陽子が弟子一号となるのであった。

初弟子ということもあり教えることにも慣れておらず、どうせすぐ飽きるだろうから形だけでいいかなどと考えていたが……

どうにもこの少女、筋がいい。
覚えが早く、若さゆえか吸収速度が人並外れていた。
性格も真面目で――指導中に関してだが――育ちがいいのか、何事にも真剣に取り組んでいた。

その才能に僅かながらも気持ちが高ぶった真壁は熱心に教え始めることになる。

彼が弟子に技を授けるのもそう時間がかからなかった。




「あれ? 誰か来ますね?」

「そうだな……随分と大所帯のようだ」

組手を交わしていた二人、動きを止めて入口に視線を向けた。

わいわいと仲良さそうなその一団が姿を見せる。

「勇者はひらほーでしょ! 私が任命する!」

「わぁ~! やったぁ~! ありがとうございますっ」

勇者に任命されて喜んだ平尾帆夏は、任命者である森本茉莉に抱き着いた。

「えー! じゃあ、ハルは? ハルだって勇者がいいんだけどっ」

と、不満げに口を尖らせる山口陽世。
集団の中でも特に小柄な彼女が見せるその表現が、より一層自分を子供っぽく見させるなどと考えないのだろうか。

「は、陽世はね~」

詰め寄る同期にあたふたとする茉莉。
視線を斜め上に泳がせて、どうやって宥めようかと考えているようだ。

そんな彼女らを気にも留めることなく背の高い女性が声を出す。

「あ! 陽子いた。ほら~、やっぱりここじゃん」

無用な口論をしている仲間をおいて陽子に駆け寄る髙橋未来虹。

陽子と一緒にいた真壁に軽く会釈をする。

「お疲れ様です。真壁さん」

「お疲れ様。何の集まりだ?」

「人狼やる約束してまして、陽子呼びに来ました!」

と陽子に向き直りそのほっぺをつねる。

「あんた電話かけても出ないし、みんなで探したんだよ」

「うげ! スイマセン……。忘れてました。あとスマフォ……鞄の中でした」

両手を合わせて謝罪する陽子。

早くとって来なと言われ、小走りに更衣室へと向かっていった。

約束があるのなら修練に参加せずともいい。
次回行う時にそう告げようと真壁は思ったのだった。

「真壁さんもやります?人狼ゲーム」

にゅるっと未来虹の背後から顔を出しゲームへの参加を促してきた。
笑顔が可愛らしい上村ひなの。
髙橋未来虹、森本茉莉、山口陽世の三人と同じく日向坂の三期生の一人。
真壁にして一番掴めない人物でもある。
 
「……私がいると皆が楽しめないだろう。残念だが遠慮さ――」

「全然そんなことないですよ。せっかくの機会ですし一緒にやりましょうー。あっ! ルールはわかります?」

「まぁ、学生時代に仲間内で何度か……」

未来虹の問にそう答えた。

『人狼ゲーム』
日向坂のメンバー内でもたまに行ってるというテーブルトークゲーム。
話し合いをしながら村に隠れた人狼を見つけていき、嘘をついている人物を探すという流れになる。
 
「……ならば、進行役を務めようか」

それくらいなら彼女らの憩いの邪魔をせず、かつ交流を深めるにはちょうどいいだろうと真壁は考え、提案する。

「本当ですか! ありがとうございます」

「やったね! 皆~~!! 真壁さんがゲームマスターやってくれるって~!!」

振り返り残りの仲間に大声で告げる未来虹。

「え!?」

と茉莉。驚いた表情で真壁を見つめ固まっていた。

そんな茉莉に平岡海月と山下葉留花が不思議そうに尋ねる。

「どうしたんですか?」

 
 

「あれ? 真壁さん苦手でした?」


正源司陽子、平尾帆夏、平岡海月、山下葉留花。
彼女らと、ここにはいない他数名が四期生となる。

(苦手でした? ……本人を前にして聞く質問でもないだろう)

葉留花の発言に苦笑する真壁。
天然なのか、悪意なき悪意――そんな質問を平然と行うのだ。
ひなのと並びこの山下葉留花も真壁にとって未知数な存在であった。

「ぁ……いや。その真壁、さんっ! 忙しんじゃないかな~って思っただけだから!! 苦手とかそんなんじゃないんですぅ!! 本っ当にそんなことないので!! ゲームマスターありがとうございますっ」

と慌てたように捲し立てる茉莉に、気にしていないと手を挙げて返事をする真壁。

そこにちょうどよく陽子が戻ってきたので人狼ゲームを開始する流れとなった。

その時だった。

 
 
 

――――きゃぁあああああああああああああああああ


おそらく本館だろうか。
別館にまで聞こえてくる金切り声に近い大きな悲鳴に、ビクッと肩をすくめて驚く少女たち。

「な、何今の?」

「ひ、悲鳴でしたよね?」

「え? なになに??」

「……なんだか怖いね」

(悲鳴だ。間違いない)

 
テレビ番組、芸能人という側面から見ればドッキリ企画ととらえることもできるだろう。

しかし、職業柄ゆえ真壁には確信をもってそう断言できた。

「ちょっと様子を見てくる。髙橋たちはここにいてくれ。何かあったら電話を頼む」

と真壁が切り出した直後。


 
――アオォオオーーン

今度は獣の様な遠吠えが聞こえてきた。

「……」

もはや声が出ない。

無言のままお互いの顔を見渡す一同。



ふいに、バチバチと照明が点滅を繰り返し始めた。


一瞬だけ暗闇に染まる道内。

窓から照らす月明かりが”ソイツ”を際立たせた。

 

「――ッ」

誰かが思わず息を飲む。
きっと声を押し殺すように縮こまっているのだろう。
無理はない。真壁をもってしてもその存在に飲まれていたのだから。
 
 

道場の入り口に現れた”ソイツ”
灰色の体毛、猫背に曲がる胴体。だらんとぶら下げた両腕。
その先端に鋭く伸びた爪――というには恐ろしく鋭利なそれは、月光により怪しく輝いて見えた。

見開いた両眼はひどく血走っており、毛で覆われた頭の先端にそびえ立つ二つの三角の形をした何か。
一番目を引いたのは大きく開かれた口だ。

鼻先から口が犬のように前に突き出ていて、頬の先まで裂けたかのように口角が大きく吊り上がる。
開かれた口から見える二本の大きな歯。もとい牙と表現した方が確かだろう。


灰色をした毛むくじゃら、二足歩行の獣。

まるで映画のスクリーンからまんま飛び出してきたような――名をつけるとしたら、まさしく

「……人狼」

と誰かが呟いた。
そう、その通り。
 
まさしく人狼だったのだ――

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