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櫻編 5話

藤吉夏鈴はその眩しさに思わず目を瞑る。
先ほどまで休憩室にて寝ていた彼女には、イベント会場のその光がよほど眩しく感じられたのだ。

(……うん)

ドアノブから手を離し、光にも慣れてきた夏鈴は会場全体を見渡す。

(……うん……大丈夫)

ひとつ深呼吸すると、一歩ずつ歩き始めた。






足早く準備を進めるスタッフたち。
それを見回しながらゆっくりと彼女が現れた。

(……来たか)
 
藤吉夏鈴。
お目当ての人物の登場に春樹は気を引き締める。
彼もまた、準備をしているスタッフを見回した。
そして会場全体を――

(……ん? なんだあれ? 撮影用か?)

夏鈴の数メートル上空に滞空している一機のドローンを発見した。
いつのまに現れたのだろうか、少し気になった春樹。

だが今はそれを気にしていられる状況ではなかった。

(……まだか)

犯人の男。
覚えているのはいくつかの風船の束を持っていたことだ。
人垣の頭をこえるその風船を見つけるのは簡単だろう。

そう、今もまたブースの端に括りつけられた風船を見つけたばかり――

(――っ!! クソ! 俺は阿保か!? 前とは違うってのに……時間だって三時間近くずれている)

自分の間抜けさに舌打ちをする。

犯人の男はスタッフにまぎれていた。作業をしながら犯行の機会を伺っていたわけだ。

(いつまでも風船もってるわけじゃねえわな! クソッ)

メンバー用の休憩スペースからさほど離れていなかった場所に待機していた春樹。

夏鈴との距離はそう離れていなかった。

再び夏鈴の方へと顔を戻す。

その視界に映った一台の台車。
ブースの準備しているスタッフらの合間からダンボールをいくつか載せた台車が通り抜けてくる。

一人の男がそれと共に夏鈴に近づいていた。
その風貌、身長から体格まで記憶の中のそれと一致する。

――突如、スタッフの装いをした男が走り出す。

同じくして、春樹も走り出した。

そしておもいっきり声を上げる。

「藤吉――、夏鈴ッ――うしろだ!!!」

突然の大声にビクッと、する夏鈴。

声の主である春樹の顔を見るや驚いたような表情をする。
それも一瞬、何かを察したのだろう。

すぐさま身を翻し横に飛び退く。

その直後、夏鈴のいた場所に銀色のナイフが振りかざされた。

「な!? なんだと!」

奇襲がまさかの不発に終わり、驚いた顔するナイフを持った男。

そんな男の驚きも束の間、

「――おい!」

声の聞こえた方へと向けたその顔へと春樹の剛腕が炸裂する。

間一髪。
彼女を危険に晒さすことなく終わらす予定だった――今度はもっと上手くやれるはずだった――のに、と自らを罵る春樹であった。







 
大きな打撃音と共に豪快に殴り飛ばされた男。
一撃で昏倒したそれには目もくれず、すぐさま夏鈴に駆け寄る一人の男性。

彼と一瞬だけ視線を交わし、油断なく周囲を見回す。

(たしか……もう一人)

と夏鈴は記憶の中の小柄な女性を思い浮かべた。

彼女の視線の先、何が起こったのか未だ理解できていない周囲の中、女性が一人静かにその中から抜け出していた……

ちょうど見ていた方向である。

傍らに寄り添う男性に見えるように、ゆっくりと指をさした。

「……あの人」

「ああ、あいつだな」

百五十くらいだろうか、二人の横手からその女性が近づいてきた。

人垣を隠れ蓑にゆっくりと夏鈴の背後へと。

そして、カバンの中に手を入れる女性。

同じくして距離を詰めていた男性がその手を掴んだ。

「そこまでだ」

そう言って、ゆっくりとカバンから彼女の手ごと握られたナイフを取り出した。 

「……どうして? わかったの?」

「さぁな? 勘かな?」

悔しそうな顔をする女性と曖昧な返答をする彼。
そんな彼は女性の捕縛を警備員に任せながら、なおも警戒の姿勢を崩さないでいた。

(……)

周囲の人間が我に返り、場が動くまでその一部始終をじーっと見つめる夏鈴であった。




春樹が署を出た時、すでに日は落ちかけていた。
馬鹿正直にすべて応えるわけにもいかないため、事情聴取にだいぶ時間が掛かったのだ。

「……ふうーっ」

深いため息を吐く春樹。
タクシーを待つ間、先ほどの警察とのやりとりを思い出す。

適当な理由で殺意に気が付いたとか、ナイフがちらっと見えたとか、その場限りの嘘でごまかした。

その話は置いておこう。

犯人について。
警察から得た情報によると犯人の男女はネットで知り合い、計画を重ねていたらしい。

動機もありきたりである。

男は誰でもよかった。大勢の前で誰かを殺したかった。たまたまテレビに映る夏鈴を対象にした。

女は彼氏と分かれた原因がアイドルだったらしく、ただの逆恨みだったわけだ。

(くだらねえ)

蓋を開けてみたらどうでもいい理由。

(そんなんで殺される藤吉夏鈴があまりにも可哀想だろ)




可哀想だ。寝覚めが悪い。
これだけの理由で命の危険も顧みず、己が一日をささげた春樹。
ただの喧嘩好きではないのだろう。

藤崎春樹という男は、存外に、正義感が強い青年であるのかもしれない。



「おかえりなさいませ。春樹様」

帰宅した春樹を出迎えたのは侍女の静江である。

「ただいま、静江さん。……帰ってたんだね……お疲れ様」

「半刻ほど前に戻りました。春樹様も大変だったようで、お疲れ様でございます」

「……ん? どうしてそれを?」

「はい、そのことで春樹様にお客様がお見えでございます」

ドタドタ、と長い廊下を足早に歩く春樹。

静江の話によると、藤崎家の門前にて一人の女性が待っていたそうだ。
春樹に助けられた経緯を聞き招き入れたとの事。

――バタンッ、と勢いよくドアが開く。

開かれた部屋、客間に座っていた女性が立ち上がり、

「……お邪魔してます」

ペコリ、と頭を下げた。来訪者、藤吉夏鈴である。

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