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それが恋と知ってしまったなら

 夕焼けで赤く染まった空がとても綺麗な日だった。

 放課後の教室に二人。

「好きです。付き合って下さい」

 告白された。

 顔を真っ赤にさせて照れている彼女がやけに可愛く思えたからか。
 それとも彼女に好意を寄せていたのか。

「うん……いいよ」

 そう答えていた。
 ほとんど反射的に。




 彼女とはただのクラスメイトだった。
 それも挨拶を交わす程度のそんな薄い関係だ。

 年の終わりに仲の良い親友同士が恋人関係になり、そこからお互いを紹介されて、強引にダブルデートへと付き合わされるようになっていった。




 創立記念日、僕たちは遊園地に来ていた。
 コーヒーカップを楽しむ親友らを待ちながら、ベンチで休憩することに。
 まだ二月に入ったばかりで少し肌寒い。
 僕は自販機で買ったココアを彼女に手渡した。

「それにしてもさ、まいっちゃうよね。毎回のように付き合わされて。村山も嫌だったら断ったらいいのに」

 なんて、僕は親友に貸しがあったから他人事のように進言した。

「私は別に嫌じゃ……」

「え?」

「ぁ……ううん、何でもな――」

 彼女が慌てて取り下げようとしたのを、

「あ~、僕も嫌じゃない……かも」

 そう言って遮った。
 嫌じゃないのは確かだったから。


 紙コップからはまだ少し湯気が出ている。
 暖を取るかのようにさすっていたそれを、彼女はゆっくりと口へと運ぶ。
 一口すすり、

「ならさ……今度は二人だけで会う?」

 上目遣いで僕に問う。

「……いいよ。じゃあ、今度の日曜日にでも」

「……うん」

 返事をした言葉は短かったけど。

 うつむきつつも、嬉しそうにはにかんだ君が――脳裏に焼き付いて離れなかった。



 そうして。
 二人だけで話をすることも徐々に増えていき、”友達”と呼べる関係にようやくなれた気がした。




 迎えた日曜日。初デートの日だ。
 付き合っていないからデートと呼んでいいのか分からないけど。

「おまたせ」

「ううん、僕も今きたところだから。映画まで時間あるし、どこか行く?」

「あ、うん。ちょっと見たいところあるんだけど、いい?」

「おっけ~」

 軽く了承して歩き出す。
 時折、手の甲と甲が触れ合うたび恥ずかしそうに彼女は俯いていた。
 本来なら、こういう時は手を繋ぐものなのかもしれない。
 だけどそれはしない。
 僕たちは付き合ってるわけじゃないから。

「あ、ここ。可愛い雑貨が多いらしくてさ。来てみたかったんだ」

「へ~、初めてみた」

 駅前のアーケードの一角にちょこんと佇む小さな店。
 ショーウィンドウ越しからユニークな小物が覗けた。

「ねぇ見てこれ、可愛いくない?」

「可愛い……」

「でしょ! あ、これも!」

 彼女にしては珍しくテンションが上がっているようだ。
 その後ろに続きながらふと考える。

(……可愛い、か)

 思わずそう返事をしていた僕だ。
 それは小さなマグカップへの感想なのか、微笑む彼女に抱いた思いなのか。
 はたしてどちらの意味で口にしていたのか。
 僕自身でさえ分からなかった。




 映画鑑賞後、僕らは喫茶店へと足を運ぶ。

「……ぐすっ……ぅぅ」

「まだ泣いてるの? ほら、ティッシュ」

「ありがと……っ」

 彼女はち~んと、少し恥ずかしそうに鼻をかんだ。

「いい話だったね……」

 ありきたりな感想しか言えなかったけど、

「……ね」

 と彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 頼んでいたドリンクが届く。
 桃のジュースを飲みながら、僕を見つめてきた。

「最後のさ……」

「うん?」

「あの二人、どうなったのかな?」

「あ~、ね」

「私はさ……上手くいったと思うんだ……。二人ならあの後も乗り越えていけるはず、そう思った……ううん、そう思いたいだけなのかも」

 そんな自らの願望に「ふふ」と小さく笑う。
 そうして『そっちはどう思う?』というようなニュアンスの視線を送ってきた。

 少しだけ間を置いて、

「そうだな~僕は――」

 彼女とは違う見解を述べたのだった。




 通学途中。
 春の陽気に揺られていたら、バスに乗り込んで来た彼女が隣に立ち、

「なに聞いてるの?」

 と僕のイヤホンを奪う。

「……聞いてみたら?」

 片方だけ奪い返してそう促した。

「ふんふん」

 と頷いている。

「ふふっ、ごめん。全然知らない曲だわ」

 そう笑った口から八重歯が見えた。
 彼女は好きじゃないらしいが、僕は嫌いじゃない。
 八重歯が彼女のトレードマークだと、勝手に決めつけるくらいには嫌いじゃなかった。

「……はは。まぁマイナーなやつだから」

「じゃ、返して」と言って、僕は手のひらを向けた。

「……」

 聞こえていないのか、聞こえていない振りをしているのか。
 イヤホンをしたまま彼女は静かに外の景色を眺めている。

 強引に取り返すのもそれはそれで違う。
 それに同じ音楽を共有するっていうのも悪くない。

 などと考えながら、彼女の横顔を見つめたまま、

「まぁいいけど」

 独り言のように呟いた。




 夏の暑さが増してきたその日。
 学食のにぎわいの中、僕は一人で昼食を食べていた。

「おっす~」

「おー。今日はひとりなんだ?」

「そうなんよ。風邪なんだってさ」

 ボヤキながら親友は対面に座った。

「それで最近どうなん?」

 などと主語が抜けた問を向けられる。

「どうってなにが?」

「いや~、村山とだよ。なんだかお前らいい雰囲気じゃね?」

 親友のにたにた笑いが癪に障ったからか。

「別にどうもこうもないよ。ただの友達。好きとかそういうんじゃないから……そもそもタイプじゃないし」

 少しツンとした言い方をしてしまった。

「ふーん、って――っ」

 僕の後ろを見て驚く親友。

「ん?」
 
 振り返った。
 その先に、

「――え、むらや、ま」

 彼女がいた。

「あ、ごめっ。わ、私――」

 慌てたように捲し立てる彼女。
 僕の目を見ていない。

「ごめん、も、もういくから。邪魔しちゃってごめんッ」

「あっ、村山……」

 彼女は走り去っていった。

「おい!」

 バコッと頭を叩かれた。

「何してんだよ! 馬鹿、ここは追うところだろ!」

「あ、うん」

「悪い」と言って彼女の後を追った。

(これじゃ、まるで少女漫画のような展開じゃないか……)



「村山!」

 バタンッと勢いよくドアを開けた。
 外階段のいつもの定位置。そこに彼女がいた。

「……」

「ごめん」

「謝らないでいいよ……私もなんとも思ってないから」

 そう言って僕の横を通り過ぎようとした――その腕を掴んで止める。

「じゃあ……何で泣いてるの?」

「……知らない」

 彼女はぷいっと顔を背けた。

「……悪かった。あれは本心じゃないんだ。あいつに揶揄からかわれて少し恥ずかしくなって……」

 言い訳に聞こえるかもしれないが、それしか言うことが出来なかった。

「……」

「ごめん、村山を傷つけるつもりはなかったんだ……信じて欲しい」

「……本心」

「え」

「だったら、その本心って……」

 僕の目を見ながら彼女はその続きを口にする。

「本心て何……私の事、どう思ってるの?」

「どうって……」

(僕は……どう思ってるんだ?)

「……ねぇ」

 大きな目で見つめられ、思わずドキッとしてしまう。

「……え、あ。村山のこと?」

「そう言ってるじゃん」

 ぐいっと迫る顔。
 気付けば僕は仰け反るように後退していた。

「……どうしたの?」

「あ、うん。なんだろう」
 

 そこで気づいてしまった。

(……そうか。僕は、村山のことを――)

 ――自分の気持ちに。
 
 
 彼女の手が触れそうになり、咄嗟に身を引いてしまった。
 そうして、手すりにぶつかった僕はバランスを崩し、前のめりに倒れ込んだ。

「うわっ!?」
「っきゃ」

 ほとんど彼女に覆いかぶさるように。

「――んっ」
「っ……」

 気が付けば唇と唇が触れていた。

 これは事故だ。
 唇が触れてしまっただけだ。

 何てことはない。
 ただの事故だ。

「あっ、ごめん」

 咄嗟に起き上がった。

「う、ううん。私もごめんっ……あ、私……次の授業の準備しなきゃ……」

 彼女も慌てたように起き上がった。
 そのまま足早にドアの方まで歩いていき、ふと振り返った。

「……次はこんなんじゃなくて」

「ちゃんとしたキスがいい」と照れたようにはにかみながら。

 それでも僕は、

「ああ、うん」

 などという曖昧な返事をすることしかできなかった。

 この時、僕の胸の中には何か黒いものが渦巻いていた。

(ああ、ダメだ……こんなんじゃ僕は……)

 気付いてしまった”それ”に蓋をするかのように――僕は心を閉ざすのであった。




 その日の私は、机の上で頬杖をつきながら教室に入ってくるクラスメイトを眺めていた。

「……あ」

 彼がやってきた。
 見つめていたからか、目が合う私たち。

「……っ」

「……」

 ふいっと逸らされた。

 気がしたとかじゃない。
 間違いなく逸らされた。

(なんで……)

 どうしてだか、最近彼が私の事を避けている。
 事故でキスしたあの日から。

 私じゃない女の子と話をしている姿を良く見るようになった。
 私とはほとんど口も聞かないのに。

 ちくり、と胸に針が差すような痛みを感じた。

(どうしようもないじゃん……)

 たぶん嫌われたんだ。
 めんどくさい女だと思われたのかもしれない。
 間違ってはいないけど。

 もやもやした気持ちをなんとか落ち着かせて、彼へと声を掛けた。

「おはよ……」

「あ、村山……おはよ」

「ね、ねえ」

「悪い、ちょっと急いでるんだ。ごめんっ、また今度」

「あ、うん。全然いいから、気にしないで……」

 走り去っていく彼。
 その背中を見送る私。

(ほら……もうだめなのかも……)

 諦めの感情が胸に巣食う。
 どうせただのクラスメイトだったんだ。
 それが少し進展して、後退しただけ。
 元に戻っただけ。
 それだけだから。

「あ……」

 気がつけば涙が頬を伝っていた。
 それだけのはずなのに。

「うう、馬鹿っ……なによ……なんだったのよ……」

 溢れ出す感情を抑えることができなかった。

(好きだったのは私だけだったんだ……ううん、そんなのどうでもいい)

 彼に嫌われてしまった……
 
 
「おはよ~って、え? 美羽? どうしたん?」

 しばらく休んでいた親友が、驚いたように駆け寄ってきた。
 そんな親友に思わず抱き着く私。

 そうして。
 人目も憚らずに泣いたのだった。








 誰もいない放課後の教室で『話があるから教室に残っていてほしい』と頼まれていた。
 最近仲良くなった山下瞳月しづきにだ。

 向かい合う二人。
 山下はどこか潤んだ眼をしている。
 僅かに震えている唇が、この後に出てくる言葉を想像させる。

「好きです。付き合って下さい」

(やっぱりか……)

 察してはいたが、やはり告白だった。
 自慢じゃないが告白されるのには慣れていた。
 だからこの時も、いつものように断るつもりでいた。

 いたんだ。

「うん」

(――え?)

 自分でも驚いた。
 口が勝手に動いていたから。

 ただのクラスメイトの一人としか思っていなかったのに。

 夕焼け色に染まった君の顔から――、恥ずかしそうなその表情から――、返事を待つ不安げな瞳から――目が離せなかった。


(これが……恋に落ちる瞬間ってやつか……)

 

「いいよ」

「え、えぇの?」

「俺も山下の事好きみたい」

「!? ほ、ほんまに? 嘘やない?」

 山下は目を見開いて驚いている。

「ははっ、なにそのリアクション。それもなんか好きだわ」

「え、ちょ、あかんっ。嬉しすぎて泣いちゃいそうやわ……」

 口に手を当てて恥ずかしがる山下。
 その頭をぽんぽんと叩く。

「じゃあ、これからよろしくな」

「う、うんっ」

 夕日に背を向けて教室の窓辺に腰かけた。
 少しずつ会話も弾んで、お互いの事を下の名前で呼び合うまでになった。

「えへへ。これからはしーの彼氏やから! あんまり他の子と仲良くしたら嫌やから……」

(やべっ、すげぇ可愛い!)

 そう心の中で叫んだ。

「出来るだけ頑張るよ」

「出来るだけは嫌やっ」

 そこまで言って俯く瞳月。

「……ごめんな、束縛するつもりはないんやけど」

「カッコいいから」とボソっと呟いた。

「え?」

「だからね! 皆が〇〇君の事を狙ってるんよって……そういう……しーの下らない嫉妬や」

 ツンと言い放って瞳月は後ろを向いた。

「下らなくなんかないよ。そこまで思ってくれて俺は嬉しい」

 彼女を背中から抱きしめた。

「にへ。にひひ」

「瞳月?」

 顔を見ようと覗き込んだ。

「あっ。ダメや! 見んといてっ。今絶対気持ち悪い顔しとったから」

 そう言って瞳月はそっぽを向いた。
 その顔を強引に引き寄せて、

「全然気持ち悪くなんかないよ。めちゃくちゃ可愛い」

 そのまま唇を奪った。

「ぁッんむ――」
「――、ん」

「っ――。ご、強引なんやな」

 顔を真っ赤にしながら見上げてきた。

「強引なのは嫌だった?」

 少しニヒルに笑って再び口を近づけた。

「嫌やないで……んっ」

 
 
 この日を境に、彼氏彼女の関係になった俺と瞳月。

 それから約半年。
 俺たちの恋は今も上手くいっている。

 そう。

 ”俺たち”の恋――は、だ。






 少し寂れたスチール製のドアを開けた。

 夏の日差しに照らされ、やけに蒸し暑く感じる屋上を歩きながら、独り言にしては少し大きな声で俺は言った。

「うわっ!? あっちぃな、おい」

 そこにいる親友へと聞こえるように。

「よぉ? 何してんだよ、授業もサボって」

「……別に何も」

 親友は校庭を見ながら黄昏ていた。
 俺はフェンスに背中を預けながら「ふ~ん」と呟いて空を見上げる。

「いい天気じゃん」

「……」

「ただし、めちゃくちゃ暑いけど。もう本格的に夏だな」

「…………僕の事はいいから」

 ムッとした顔を向けられた。
 そんな親友へと、ほとんど被せるように、

村山、泣いてたぞほうっておいてくれよ

 そう言ってやった。

「――っ」

 ぴくりと肩が震えたのを俺は見逃さなかった。

「何があったのか瞳月が聞いてたけどさ、村山は『私が悪いの、私が悪い……』の一点張りでよ。一時間目なんてすすり泣く声でクラス中が地獄のような雰囲気だったぜ」

「……」

「数学の澤部なんて『あー、どうした村山? 大丈夫か? 保健室いくか?』ってずっとおどおどしててさ、あれは笑っちゃったわ」

「……」

「……なぁ?」

「……、……何?」

「俺はお似合いだと思うんだけど、お前たち二人」

「……僕は、そうは思わない……僕じゃだめだから」

「は? 何が?」

「僕たちはここまでだ。これ以上は無理だから」

「お前――」

 俺は咄嗟に胸倉を掴んだ。

「ふざけんなよ!! 無理ってなんだ? 村山がそういったのか?」

 むかついた。
 殴ってやろうかと思うほど。

「言ってない……言ってないよ! 村山が言ったわけじゃない! そうじゃない!」

「じゃあなんだよ! お前だって好きなんだろ? 隠すなよ! 俺が気づかないわけないんだから」

「好きだよ、ああ! 僕だって村山が好きだ!」

「なら――」

「だから!」

 ズズズッと、フェンスに背中を預けながら親友は座り込んだ。

「だから……これ以上は無理なんだ」

 荒げた呼吸を落ち着かせるように頭を抱える。

「怖いんだ。これ以上関係を進めるのが……変わっていくことが、怖いんだよ……」

(おいおい、まじか……こいつ)

 恋愛初心者か。
 呆れた。

 溜息を吐きながら俺も座り込んだ。

「――はぁ~。お前さ」

「……」

「自分だけだと思ってんの?」

「え?」

みんな、怖いんだよ」

「……皆?」

「そりゃそうだろ」

(瞳月もそんな恐怖を抱えて告白してくれたのかな?)

 そう思ったら、熱い気持ちがこみ上げてきた。
 俺だってそんなに恋愛豊富って訳じゃない。
 ただ、自分の気持ちに素直でいたいと思っている。
 だからこそ親友こいつの背中を押してやりたい。

「確かにな、友達以上、恋人未満。そんな関係が一番心地いいもんな」

 項垂れる親友を見据えて俺は続けた。

「告白することによってさ……付き合うにしろ、振られるにしろ、そこから何かが変わる。もちろん悪い方にいくかもしんねぇし、そうじゃないかもしんねぇ」

「……」

「でもさ……変わってみないとわからなくねえか? その先がどうなってんのか。……それを村山と見てみたいと思わねえの?」

「その先……」

(俺は瞳月と見ていきたい。これからもずっと……)

「お前じゃなくていいの? 村山の隣にいるのが、その先を進んでいくのが他のやつでもいいの?」

「……良くない……」

 親友はぼそっと呟く。

「っはは」と俺は軽く笑った。

「なら、簡単じゃん。ちょっとだけ、ほんのちょっと勇気を出す――それだけだろ」

「ほんのちょっと勇気を出す……」

 我ながら恥ずかしい事を言っている。
 それでも今の親友にはこのくらいがちょうどいいだろう。

「俺は信じてるぜ。何が起きても、俺と瞳月は乗り越えていける。それくらい瞳月が好きだし、瞳月も俺を好きだと思ってくれているはずだ」

 それだけは自信がある。

「だからさ、お前も信じてみろよ」

 俺じゃない。

 お前でもない。

「村山のこと。あいつもお前のこと信じてると思うぜ」

 俺には村山のことなんてそんなに分からないけど。
 瞳月の親友だ。彼女の親友を信じることならできる。

「……僕」

 立ち上がる親友。

「お?」

「……行ってくるよ」

「ははっ、おう! 行ってこい」

 そう言って、その背中を思いっきり叩いた。





 階段を駆け下りる。

「はぁっ……はぁっ」

 いつだったか、映画の感想を話していた時のことだ。

『二人ならあの後も乗り越えていけるはず』そんな彼女の考え。

(僕はなんて言ったんだっけか……)

 思い出せなかった。
 それでも、今ならこう言うだろう。

『僕も信じてる。二人ならきっと大丈夫』

 
 

 

 教室の後ろのドアを勢いよく開けた。
 その音にクラスメイトが何事かと振り返る。

 ざわつく教室。
 喧噪をかき消すかのように、

「村山っ!!」

 大声で呼びかけた。

「……っ、な、なに」

 いた。
 教室の隅に。

「むっ」と僕を睨む山下と、そんな彼女に寄り添われながらこちらを見つめる村山が、そこにいた。

 泣いていた――いや、泣かせてしまった。

 真っ赤に腫れた目。
 泣き疲れたのか、憔悴している姿が僕の胸を締め付けた。

「アンタなぁ!」

 握り拳を作って威嚇する様に僕を睨む山下。
 そんな彼女を尻目にしながら僕は村山の腕を掴んだ。

「ごめん、山下! ちょっと村山借りるよ」

「へ?」

 素っ頓狂な声を上げる山下と「ちょ、ちょっと」と戸惑う村山。

「ごめん、話があるんだ。一緒に来て欲しい」

「……分かった」

 僕のお願いに彼女は俯きながら答えた。

 皆の視線を浴びながら後ろのドアへと向かう。  
 そこに、

「お前ら――静かにしろ~授業始まるぞ~」

 土田先生がやってきた。

 それでも僕は、

「すみません! 先生、僕と村山サボります!」

 堂々とサボり宣言をかます。
 ぽかんと口を開ける土田先生だったが――

「そうか、いいぞ」

「それも青春だ」と快活に笑った。

「え!? つっち~、まじ?」

 驚くクラスメイトをよそに、

「ありがとうございます」

 感謝を述べ、村山を連れて教室を飛び出した。




「――はぁ、はぁ」

 ほとんど走るような勢いで、無言のまま屋上への階段を上る僕たち。

 その途中で、

「お?」

「あ」

 再び親友と相まみえた。

「おいおい、サボりか?」

「うん。そういうお前も」

「確かに! 俺もサボりだな」

 そう笑った親友は、すっと道を開けるように階段の端に身を寄せる。

「今なら屋上に誰もいないから、貸し切りだぜ」

「そりゃ授業中だから」

「はは、間違いない」

 僕らのやり取りの際中も、一言もしゃべらず俯いていた村山。

 そんな彼女の手を強く握る。

「じゃ、また」

「ああ」

 親友と別れて階段を登った。



 学校の屋上に戻ってきた。
 太陽がギラギラと照らす屋上の真ん中で、彼女へと向き直る。

「ごめん!」

 開口一番、頭を下げて謝った。

「避けてたわけじゃないんだ、って言ったら嘘になる。だけど、僕は……逃げてたんだ、村山から」

 そう言いながら顔をあげた。




『村山から逃げてた』

 確かに彼がそう口にした。

(やっぱりそうなんじゃん)

 私はこれから振られるんだ。
 告白もしてないのに。

「……私から?」

 もはや、考える気力もなくなってオウム返しのようにそう問いかけた。

「ああ、ごめん。違うんだ。あー、村山じゃなくて、村山の気持ち」

「私の気持ち……」

「うん。それと僕の気持ちから」

 私の気持ちと彼の気持ち。
 それから逃げる。

「つまりどういうことなの?」

「……怖かったんだ。それに気づいてしまったから」

「それって?」

「君を、村山を――好きだって気持ちに」

「ぇ……」

「それと、村山の好意に……」

「――そ、そう」

 知ってたんだ。

(そりゃそうか……)

 瞳月にも言われた言葉『ほんま美羽は、分かりやすいで』と。

「情けない話だけど、それに気づいた時から。僕たちの関係が、今の居心地のいい関係性が壊れてしまうんじゃないかって、急に怖くなって」

「……関係性」

 そうか。
 彼は怯えていただけなんだ。
 私たちの関係性が変わることに。

「僕が臆病だった、だから村山を傷つけてしまった。……ごめんね、今まで避けてて、村山を悲しませて、しまいにゃ泣かせちゃって……本当にごめん!」

(……嫌いになったわけじゃなかったんだ)

 私が一人で勝手に思い込んでいた。
 嫌われたって、そう思い込んでいたんだ。

(よかった)

 それが素直に抱いた気持だった。
 

「今更遅いかもしれない。それでも聞いてほしい」
 

「うん……」
 

「村山美羽さん」
 

 彼はすごく真剣な顔をしていた。
 

「好きです」
 

「――っ」
 

「あなたが、あなたの全てが好きです」
 

 もう涙は枯れたと思っていた。
 不思議なものだ。
 あれだけ泣いたのに、まだ流れるとは。
 ただ、今度は悲しみの涙ではない。
 ”嬉しい”という感情の涙だった。
 

「こんな情けない僕だけど、これからも村山と一緒にいたいと思ってる。だから……僕と付き合ってくださいっ」
 

「……はい、私で良ければっ」
 

 お互いポロポロと涙が止まらなかった。
 それでも笑顔で見つめ合っていた私たち。 

 きっと、この瞬間を忘れないだろう。
 私の宝物――大切な思い出の一頁いちぺーじだ。


 

 そうしてゆっくりと抱き合った。

「……無視されて悲しかった」

「ごめんね」

「でも今は嬉しいって気持ちで胸がいっぱい……」

「うん、僕も」

「……もう離さないでね」

「離さない。絶対に……」

 私の顔を見つめながら、やさしく涙を拭ってくれた。
 女の子にしては長身な私だけど、それよりも十センチくらい彼は高かった。
 そんな彼を見上げながら、私は少しだけ背伸びをした――


 



 

「よかった。上手くいったんやね」

 屋上の階段に身を潜めていた俺の脇下から瞳月が顔を出す。

「おいおいデバガメのぞきか」

「それは○○君もやろ」

 嬉しそうに呟く。

「ようやくやな。ようやく美羽の恋が実ったんやな」

「あーそうだな、長かったな」

 思い返せば、瞳月と付き合って少しの事だ。

『親友の恋を手伝ってほしいんやけど』と瞳月に頼まれた。

 その相手が俺の親友だったこともあり『いいね、面白そう』などと面白半分、応援半分で始めたダブルデート。

 そこから半年。

(なんだかんだあったけど、結果オーライだな)

「わ、あの二人チューすんで! あ――」

「これ以上は本当にデバガメのぞき魔だ」

 そう言って彼女を抱き上げて、くるりと背を向けた。

「え~、もうちょいだけ」

「はいはい、いくぞ~」

 ブツブツ言っている瞳月を抱きかかえながら階段を下る。

 もう一度だけ。

 彼女にはそう言っておきながら、俺はもう一度だけ振り返った。
 

「お幸せに……」と言い残して。





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