乃木編 1話
この作品はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
『依然戦況は……T国の……また、政府は』
――ピッ
『東北戦争が終結して、ちょうど三年を迎え』
――ピッ
『地域のニュースです。迷子の猫ちゃ』
――ピッ
『本日の天気です』
――ピッ
『昨夜未明、乃木坂市にて女性の遺体が発見されました』
男はそこでリモコンを握る手を下ろした。
乃木坂市。
男が現在住んでいる場所である。
『殺されていたのは二十代の若い女性で、腹部に数か所の刺し傷があり、殺人事件として警察は捜査本部を設置し、犯人の行方を追っております。また、遺体からは頭部が持ち去られており、現在乃木坂市を脅かしている通り魔と同一犯なのではないかと――』
通り魔。
乃木坂市に出没する殺人鬼だ。
若い女性ばかりを狙い、被害者の数はこれで六人目。
いずれの遺体も頭部を欠損しているという特徴があった。
事件発生から半年近く経つが、未だにその足取りは掴めていないようだ。
――ピッ
『全国的に朝から暖かい日となりそうです』
「って、もう時間じゃん」
男――山本洋介は慌てたように通学準備を始めた。
少し長めの前髪が顔を隠すせいで、暗めの印象を持たれがちだが、
「いってきま~す」
と、一人暮らしの部屋に元気よく呼びかけるくらいには明るい性格をしている洋介である。
朝の通学路。
「あ! 洋介くんおはようっちゃ!」
「おはよう。与田さん、今日もいい天気だね」
「ほんとだっちゃ。ん~~っ!! 暖かくて気持ちいいっちゃ」
謎の語尾をつける小柄な同級生と挨拶を交わす。
与田祐希。洋介のクラスメイトだ。
「知ってる? また通り魔が出たいみたいだよ」
「うんうん、さっきテレビで見たよ。与田さんも気を付けてね」
「大丈夫、祐希には梅ちゃんがおるしっ。それより洋介くんだよっ。君のほうが気をつけないとね」
『なよっちぃっちゃ!』と、にんまり笑う祐希。
「ひどいなぁ……これでも鍛えているんだけど……」
ランニングは毎日欠かさず行っている。
腕立ても腹筋もそれなりにこなしているのだが、彼女の目にはそう映っているようだ。
それも仕方なし、祐希の幼馴染と比較されているのだろう。
「お? おっはよ~! 梅ちゃんっ」
「お~、祐希か……」
噂をすれば、その幼馴染だ。
梅ちゃんこと、梅澤美波。
女性にしては長身で、百七十はゆうに超えているとみえる。
洋介の存在に気づいたようで、『っち』と舌打ちをする美波。
「てめぇもいんのかよ……。わりぃな祐希……先いくわ」
と言い捨てて、長い脚を大きく開きながらひとり先へと足早に去っていった。
「あらら……洋介くん嫌われちゃってるねぇ」
「あ、やっぱり? ……僕としては仲良くしたいんだけどなぁ」
洋介はがっくりと肩を落とした。
「まぁ梅ちゃんは気難しいから。じっくりいこうよ」
「ありがとう与田さん。そうだとしたら、まずは情報収集からだね。何か好きな物とかわかる?」
「ん~。最近はビールが好きって言ってたかな」
「え??」
「うん?」
「ビールって、僕たちまだ高校生だよね?」
「あー!! ちちちちがうよ。うん、祐希が言い間違えちゃっただけだよ」
一体なにと間違えたというのだ。
「喧嘩! そう喧嘩!」
それは無理がある。『喧嘩』と『ビール』。
うん、どう考えても言い間違えるはずがない。
「お酒は二十歳からだよ……」
「あう……」
項垂れる小動物が可哀想になり、それ以上は問い詰める事を止めた。
こんな世界だ。
飲酒の一つや二つ、許されてもいいだろう。
タバコに飲酒、それに暴力。
美波のイメージにそぐわないなんてこともないし。
何を隠そう彼女は乃木坂高校の番長なのだ。
『梅澤が族のたまり場を潰した』なんて、噂がたびたび聞こえてくるほど、喧嘩が強いらしい。
「喧嘩かぁ~。どっちにしろ、僕じゃ相手にならないね。殴り合いは好きじゃないし」
美波との仲を縮めるのはだいぶ遠そうだ。
などと話してるうちに、校門が見えてきた。
「おはようございます、西野先生」
「おはよう山本」
「おはようだっちゃ」
「コラ祐希! 食べながら歩くなゆうたよな?」
「あ」
いつのまにか持っていたドーナツを口の中に放り込む祐希。
先生に襟首を掴まれかけ、慌てて校舎へと駆けだした。
「洋介くん、ごめん。先にいくっちゃ!」
「祐希、待ちなさい!」
追いかける西野先生。
『あはは……』と呆れていた洋介の横に、
「おはよう山本君」
「お! おはよう山本~」
仲良く二人が並ぶ。
「おはよう、久保さん、山下さん」
クラスメイトの久保史緒里と山下美月だ。
自称情報通の祐希の話によると、この二人は”デキている”らしい。
なんでも常に一緒にいて、住んでる家も同じなのだとか。
「与田のやつまた怒られてるの? 懲りないね~」
「ふふ、元気いっぱいでいいじゃない」
優し気に微笑む史緒里。
「そういえば、どう? この町には慣れた?」
彼女の長いまつ毛から覗く、くるりと大きな瞳が洋介に向いた。
まるで雪のように繊細で、触ったら溶けてしまいそうなほど綺麗な肌をしていた。
その顔に見惚れていたからか、
「……かわいい」
と思わず口から零れた。
「ぁ、ごめん! ついっ」
「ついって、山本~、史緒里は渡さないぞ」
史緒里との間に割って入るかのように手を広げ『フシュ~フシュ~』と謎の威嚇をする美月。
まるでバスケット選手がするディフェンスのようだ。
「も、もう揶揄わないでよ~……。そ、それでね! 山本君が転校してきて半年も経つんだ――」
なんて、慌てたように話題を変える史緒里。
白い頬がピンク色に染まっていた。
洋介にはその照れたような顔がめちゃくちゃ可愛く思えた。
「っち、どこいったんや」
逃げ足が速い。祐希を昇降口まで追いかけてその姿を見失っていた。
あの小さな体でちょこまかと動かれると捕まえるのにもだいぶ労力を要する。
無論、本気で追いかけているわけではないのだが立場上はそう取り繕わないといけない。
西野七瀬は曲がりなりにも教師なのだから。
「まぁ、もうええわ」
溜息をひとつ。
続けて誰もいない廊下へと呼び掛けた。
「祐希!! 次は許さへんからな!!」
「は~い」
遠くから返事が聞こえてきた。
「はぁ……まったく」
呆れると同時、大したものだと感心した。
(うちから逃げ通せるんやから……、ほんま……大したもんやで……)
生徒、いや学校中を見回しても七瀬の追っ手を凌げるものはそうはいないだろう。
それもそのはず、七瀬はただの教師というわけではない。
とある目的があってこの乃木坂市にやってきていた。
”乃木坂高校”それは政府直轄の学校である。
通う生徒は要人の子供であったり、戦で親・住む場所を失い、孤児院で育った者であったりと、特別な事情を持っている子が多い。
七瀬と同様に、なにか目的をもって在籍している人間も少なからず存在する。
ここはそういう学校である。
「いったかな?」
祐希は柱の隙間からひょっこりと顔だけ覗かせてみた。
きょろきょろと視線をさまよわせ、安全を確認すると大きく息を吐いた。
「ふぅ~、危ない危ない」
ゴシゴシとたいして汗もかいていない額を拭う。
朝のHRまでまだ時間がある。
軽くステップしながら階段を上る祐希。
そのまま自分の教室へと向かう事なく上階へと歩みを進めた。
少し寂れた鉄製のドアを『うんしょっ』と体全体で押す様に開け、
「――うわっ!? 眩しっ」
飛び込んできた太陽の光に眼を細めながら目的の場所へと向かう。
塔屋――階段室――の横に取り付けられた鉄製の梯子に手をかけ、ギシッと音がするそれを素早く登ると、そこで眠っていた女性の横に同じように寝っ転がった。
「ん~~。祐希もこのままサボっちゃおうかな」
「…………おい」
目を閉じたまま寝ていた生徒――美波が言った。
「まるであたしがこれからサボるみたいな言い方じゃないか」
「ん~? 間違ってた?」
「……別に、間違っちゃいねぇけどよ」
軽く舌打ちをしながら祐希に背を向ける美波。
祐希はその背中に腕を回して抱き着いた。
「祐希も一緒にサボるっちゃ」
「……勝手にしろ」
「勝手にする~。……おやすみ、梅ちゃん」
「……おやすみ、祐希」
誰もいない屋上の一角。
春の暖かな日差しの下、仲良く寝そべる幼馴染二人であった。
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