日向編 8話
菜緒は突っ立っていることしか出来なかった。
目の前で後輩が倒れているのに……
血だらけになった彼女――その命を、皆が必死に繋ごうとしているのに……
現実を受け入れることが出来ず、ただ小刻みに呼吸を繰り返すだけ。
『なおが守るんや』
『伊藤さんの事も気にかけていかないと』
そう決心したのに。
(なお……なにしてんやろ……ぜんぜんアカンやん……)
人狼の気配が分かる。
それが何だというのだ。
全能感に浸っていたとでもいうのか?
訳の分からない、根拠もないそれに酔いしれていたのか?
なんにも守ることができなかった小娘の分際で。
むしろ、伊藤に関しては追いつめてしまっただけじゃないか……
森本茉莉は自分でも驚いた。
山口陽世を庇ったことを。
(あ~あ。下手こいちゃったなぁ。……まぁ……でも……この子が無事でよかった)
傍らで泣いている陽世を見つめる。
(そんなに泣いちゃだめだよ。もう鼻水まで垂らしちゃって……さっきの陽世ちゃんは……あんなに格好良かったのになぁ――)
さっきの陽世。
それは、陽世が人狼に捕まった場面。
気付けば体当たりをするように陽世を突き飛ばした。
そう自然と体が動いていた。
そのまま身代わりとなるように右肩を噛まれる。
抉れたと表現した方が確かだろうか。今となっては痛みも感じない。
その後の事だ。
標的を茉莉に変えた人狼の頭を陽世のバットが打ち飛ばした――かのように強打した。
衝撃に転倒する人狼、されど陽世は止まることなくその頭を執拗に叩く。
半狂乱状態となった陽世を、後ろから抱きしめるようにひなのが止めに入る。その時まで、何度も何度も叩いていたのだ。人狼の頭が潰れてなくなるほどに。
その姿が茉莉にはえらく格好良く見えたのだった。
「――まりぃ。だ、大丈夫? ねぇ……嘘だよね……ねぇ……、……いやだよ、まりぃっ」
今や、その勇ましい姿も影を潜め、子供のように泣きじゃくる陽世。
その頬を優しく撫でる。
分かっている。
自分の事だから。
――もう助からないと。
だから死ぬ前に伝えなければならない。
大事な事を。
「すいません……皆さん……聞いてください」
「ちょ、だめだよ! 喋っちゃ」
声を荒げる未来虹に、にっこりと微笑んだ。
そうして告げるのだ。
「私はこの世界の私じゃないんです」
と。
何を言っているんだ。
そんなことを言いたげな表情の彼女たち。
目を丸まるにして、ぽかんと口を開けて固まっていた。
茉莉にはそんな彼女らがどうしてだか少し可笑しくて、思わず、ふふっと声に出して笑った。
そうして目尻に溜まる涙を拭い、ゆっくりと呼吸を整えた。
気付いたのは些細な違和感から。
ロケ番組の撮影で山奥の旅館に来ていた。
ここまでは茉莉の記憶となんら違いはない。
彼と出会ってからだ。
拭えない違和感が徐々に大きくなっていったのは。
真壁宗一郎。
初めて見た顔であった。
他のメンバーは親し気だったのに、どうしてだか自分だけが知らない。
そもそも護衛班すら聞いたことがない。
訳が分からなかったが、とりあえず周囲に合わせることにした。
それからも次々と茉莉の認識とズレが生じ始める。
人狼の出現――これにはメンバーも戸惑っていたが――
菜緒と一緒にいた伊藤マネージャー。
茉莉の知っているマネージャーの中に彼女はいなかった。
総理大臣が前任者だった。
他にもある。
”陽世ちゃん”という呼び方に怒る陽世のこと。
人狼ゲームをする約束なんて知らなかったこと。
挙げたらきりがない。
その違和感の正体がなんなのか、彼女なりに考えることにした。
そして、辿り着いた答えが……
――別世界。
丘の上で星を見ていた時。
突然、強烈な光に飲まれた。
それが茉莉を別の世界、いわゆる平行世界へと転移させた。
そう考えるのが一番しっくりきた。
(そういえば……あの時みた橙色の光って、隕石だったのかも?)
と、今にしてふと思う。
つまり、その隕石に衝突して死亡し、転移したのではないか?
突拍子もない考えだが、茉莉がそう思うのも無理はない。
人狼、そして茉莉の持っている特別な”力”。
それらが、すでに人知を超えた超常現象だったから……
人狼との闘いが終わったらしい。
茉莉の目には、真壁宗一郎が駆け足でやってくるのが見えた。
遠目で見ても分かるくらいに、焦っているようだ。
傷口を押さえていたひなのと、入れ替わるように茉莉の横に。
「ま、真壁さん! 血が、血が止まらないんです」
っと顔をくしゃくしゃにして泣いているひなの。
(泣き顔も可愛い……)
なんて、場違いな感想を抱いた。
「見るぞ」
真壁が茉莉の肩の服をめくる。
「――ッ」
彼は苦虫を噛み殺したような顔していた。
「ど、どうですか?」
傍らの未来虹が問う。
えらく真面目な顔が、どこかおかしくて、またも、ふふっと小さく笑った。
ただ、真壁はというと……無言で首を横に振るのみ。
「――そ、そんな!? う、嘘だよね?」
視界がだいぶぼやけてきていた。
それでも、陽世の顔が涙と鼻水で、凄いことになっているんだろうなと想像できる。
「……まだ、伝えなければいけないことがあります」
そう、もう一つ大事な事がある。
「いいよ、もう喋らないほうがいい」
制止の声が聞こえてきていた。
それでも茉莉は語ることを止めなかった。
「わたしはもう助からない……自分の体だから分かります……これはもう無理だって」
悲痛な顔をする彼女たちを見やる。
心配そうに茉莉を見ている皆に、伝えなければならない。
自分が犯した罪を――
「私は――、ゲームマスターなんです」
「げーむますたー? な、なにいってんの!?」
「ああ、すいません。言葉足らずでした――ッ……カハ……ケホッ」
と、むせるように吐血した。
「まりぃダメだよ! もう喋っちゃだめ!!」
慌てる陽世の手を握り、尚も喋り続ける。
「ゲーム……マスターといっても……人狼のじゃなくて……私の力のことです」
森本茉莉がいた”元の世界”には特殊な力を持つ者たちがいた。
能力者と呼ばれる存在である。
彼女もその一人。
《ゲームマスター》
森本茉莉が持つ特殊な力。
対象に触れることで任意の役職を授けることができる。
その能力は茉莉の知識と価値観によって決まる。
際限なく授けることはできない。茉莉の許容量にも限界があるのだ。
「私は……この力で……四人に役職を与えました」
と、真壁を指差した。
「騎士」
続いて菜緒を。
「占い師」
そして、伊藤が走り去った林の方向を。
「……裏切者」
《騎士》
人狼に対して有効打を与えることができる。
ただの拳足が致命的一撃に変わる。
《占い師》
人狼の気配を探知できる。
個人差はあるが、探し物を見つけたりなども可能。
《裏切者》
人狼に有利になる行動を起こす。
「う、裏切者って……茉莉、あんたどういうつもりで!?」
裏切者、それが伊藤が燃料ホースを切ることになった要因である。
「……人狼には裏切者がつきものでしょう? その方が公平ですし」
「なにそれ……」
「ま、茉莉……あんた狂ってるよ……」
(ほら、やっぱり……)
誰も茉莉を理解できない。
理解しようともしてくれない。
だから本当の自分を隠してきたのに。
”狂ってる”
ふと、幼い頃の記憶が蘇った。
それは黒いコートを着込んだ男性の言葉だった。
「んふふ。素晴らしいです! まりぃ、あなたはとても素晴らしい。えぇ、とても良い具合に――狂っています」
幼い茉莉には褒められたことが、ただただ嬉しかったのだ。
伊藤マネージャー。
まさか死んでしまうなんて思ってもいなかった。
だからこそ”犯した罪”なのだと語る。
面白いと思った。
それと同じくらいには申し訳ないとも思っていた。
この辺の感覚の欠如が、狂っているということなのだろうか……
突拍子もない話に戸惑っているであろう一同。
だけど、そんな彼女らの気持ちなどに構っていられる時間は、茉莉には残っていない。
「それと……もう一人……」
「もう一人?」
菜緒が小首を傾げた。
可愛らしい仕草、それすらもどうしてだかおかしく思えた――笑う力は残っていなかったが――
そして、すーっと虚空を見つめる茉莉。
「……」
「……茉莉?」
「……秘密です」
もはや意識も定かではない。
ぼやくように呟いていた。
何故、秘密にしたのか。
理由があった。
でも、それがなんなのかは、茉莉自身も分からなくなっていた。
考える力もほとんど残っていなかったのだ。
そんな中、
「――え!?」
突如として菜緒が驚きの声を上げる。
振り返り林の方を見ながら、
「う、うそやろ? そんな、こんな時にっ」
狼狽えだした。
「……人狼か?」
「……」
真壁の問に返すこともしない。
「あ、あかん」
わなわなと震えだしたのだ。
「どうしたんですか!」
と陽子。
どうやら、頭を打った後遺症もなさそうだ。
そんな陽子が菜緒の肩を揺すった。
「あ……ああ……来ます」
我に返ったのか、真壁の方へと視線を向ける菜緒。
口紅が剥がれ落ち、紫色と化した唇で絞り出すように紡ぐ。
「人狼です――それも、めちゃくちゃ多いです!!」
凄く焦った表情だった。
「――ッ! 小坂、皆を連れてその道をまっすぐ進め! 大通りに出たら道なりに下るんだ。麓までつくはず――」
「し、師匠は!?」
口を挟んだ陽子。
「大丈夫だ。少し時間を稼ぐ……正源司、無理はするなよ」
「……はい」
子犬のようにしゅんとしていた。
慌ただしくなってきた。
なんとか息を吐くように、茉莉が告げる。
「……行って……下さい」
「な、なに言ってるの! まりぃも行くんだよ。 ほら! ねえ! 立ってよっ」
陽世が泣き叫ぶ。
彼女がいるであろう方向を見つめた。
「陽世、未来虹、ひなの。……ありがとうね。みんなが知ってる私じゃないだろうけど、いつも一緒にいてくれて……ありがとう……」
「ばか、茉莉! お礼が言いたいのは私らのほうだよ」
と未来虹。
彼女にしては珍しく、声が震えていた。
「ぅぅぅ、茉莉ちゃん……」
心優しいひなのは最後まで茉莉の手を握っていた。
「いやだ! ハルも残る! いやだ! いやだ!」
駄々を捏ねる陽世。
帆夏と葉留花が彼女を引きずるように立ち上がらせた。
「行こう……陽世ちゃん……」
「いやだ! いやだいやだいやだいやだいやだいやだあああ!! いやああああああああああああああ――」
最後まで、泣き叫んでいた甘えん坊の声が耳に残った。
――アォオオオオーーーーン
遠吠えが聞こえる。
頭を支えていた誰かが、立ち上がった。
(……ああ、そうか。真壁さんだ)
霞む意識の中、彼がいるであろう方へと喋りかける。
「すいません……私がお願いするのもなんですが――皆をお願いします」
森本茉莉、今まで生きてきた中で一番の懇願だった。
――任せておけ。
聞き取れたわけではない。
でもそう聞こえた気がした。
感覚がなくなった腕をなんとか空へと伸ばす。
暗くて黒い世界。
見えないはずの目で空を見つめる。
色のない世界だったが、存在だけはしっかりと感じるのだ。
悠々と輝いているであろう星を――
「……ああ……やっとだ……これでようやく……私も……星に――」
それが、茉莉の最後の言葉であった。
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