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日向編 4話

この日の小坂菜緒は雑誌の取材から撮影と朝から忙しい一日を送っていた。

「菜緒~、明日のお仕事なんだけど」

お昼を食べていた時の事だ。

「あちらの監督さん、体調壊しちゃったみたいで撮影を一週間見送らせてほしいんだって」

明日の仕事がバラシになったというマネージャー。
降って湧いた久方ぶりのオフ日になる。
一日まるごと休みになることは早々なかった菜緒だ。

明日は何をしよう? 
溜まっていた漫画を読むか? 
新しい小説を買おうか? 
楽しみにしていたあのシリーズの映画を見に行くか?

と翌日の予定を頭の中で組み立てていた。

休日の事を考えてウキウキしていた。
自分でもわかるくらいニヤニヤしていたからか、目の前に座るマネージャーの伊藤が微笑ましく見ていたことに気づき、コホン、と咳払いをひとつ。

「……なんなん?」

と、尚も微笑を浮かべている相手をじろりと睨んだ。

「ん~ん。別に~。……明日はあれかな? コナンでも見に行くのかな?」

見透かされている。
陰キャだと思っているのか、この歳でアニメが趣味なのを笑っているのか。

こうやって揶揄ってくるこのマネージャーが、菜緒はあまり好きではなかった。



「小坂さん。もうちょっと違う表情できる?」

「あ、はい」

午後は雑誌の撮影。
ちょび髭のカメラマンの指示に応えようと目線を下げ憂いのある仕草をしてみせる。

「……あー違うんだよなぁ~。わかんないのかなぁ」

カメラマンが何やら大きな声でブツブツと文句を垂れている。
聞こえる距離だ。いや、むしろわざと聞かせているようだった。

「違う違う! もっとこうさぁ? 気持ちいれてほしいんだよね」

「はい。すみません……」

できる限り要望に応えようとするものの、

「はぁ、違うんだよ。ぜんぜんなってないなぁ」

「……」

普段は『可愛い』『綺麗だね!』『それ最高だよ!』と褒めて下さる方が大半だった。

どうにか表情を作るが思うように決められない。
菜緒自身、頑張ろうと思えば思うほど固くなっていくのが分かってはいたのだが……

「もういいや。これでいいか」

「ぁ、あの! まだ出来ます。やらせて下さい」

「いやいや。大丈夫! 大丈夫! これで終わりにしよう」

と強引に撮影を切り上げるカメラマン。

撤収しながらポツリと、

「……ま、アイドルなんてこんなもんか」

そう呟いた。



タクシーにて帰路につくマネージャーと二人。
窓にこてん、と額を当てて外を眺める菜緒。

仕事が終わった。
後は帰ってそのまま休日を迎えるだけ――なのだが……撮影前までは上がっていたテンションも今では消沈し、つきたくもない溜息が零れる。

悔しかった。
 
『アイドルなんてこんなもんか』

そう言われたからではない。

何もいい返せなかった自分が悔しかったのだ。

アイドルだから――モデルは本職じゃないから――なんてただの言い訳にしかならない。

グループの一員としてお仕事を貰っている身だ。
自分が頑張って成果を出さないといけない。

応援してくれる先輩、支えてくれる同期、可愛い後輩、新しい仲間も増えた。
こんな自分に憧れて、その背中を追ってくれる存在がいる。
それに応えるためにも、与えられた仕事を全力でやってきたつもりだった。
道を切り開いてきたつもりだった。

 
「あんまり気にしないほうがいいよ。あのちょび髭カメラマン評判悪いから! 小娘だと思って舐めてるだけ。菜緒はしっかり出来てたよ」

人の心にズケズケと入りこんでくるくせに、時折そんなやさしさを見せる伊藤。
彼女を憎めない理由でもある。

「ありがとうございます」

他人行儀に返事をしてしまった。

(あかんな……自分が情けない。みんなに会いたいなぁ)

『菜緒がんばってるよ。私は分かってる』

『何かあったら言ってね。飛んでいくから』

『これあげる。甘いの食べたら元気になんで~』

『……ごめんね。気づいてあげれなくて。ほら、おいで――」

『菜緒がいるから私はここまで来れたんだ。まだまだ前にいてもらわないと困るからね――それでも、疲れたらちゃんと休むんだよ。……その間、私が頑張るから』

メンバーの顔を次々と思い浮かべる菜緒。

気づくと涙が零れていた。

「大丈夫? もしなんだったら、文句の一つでも」

「いえ、大丈夫です。ホンマに……大丈夫やから」

「そう? うーん」

そんな菜緒の様子になにか思いついたのか、

「あ! もしもし――」

と、どこかへと電話を掛ける伊藤であった。
 


 
 
山道を走る一台の車。
傾斜は大したことないが、だいぶ凸凹とした道である。

なんとか座席につかまり体を支える菜緒。

「ごめんね。できるだけ揺らさないようにはしてるんだけど」

運転手――南城が後部座席の二人へと話しかけた。

「大丈夫です。――ッ! わわわっ!」

ガタンと、大きな揺れに菜緒のお尻が浮いて、思わず変な声が出た。

「そ、それに、し、してもすんっごい道だ、だね」

横に座る伊藤。
必死に助手席の背もたれにしがみつきながら、運転席の方へと視線を送る。

そんな伊藤をミラー越しに見て、申し訳なさそうに、

「すまないね、近隣の人がいうには工事をする予定ではあるらしいのだが――」

予算がないらしい。
都会からだいぶ離れているせいもあって、訪れる人も多くはない。
ましてや、この道だ。
名所のひとつやふたつないと利用する気も起きないほど荒れているといっていい。

それもあって安く旅館を借り入れることができてるとの事なのだが。
メンバーにまでおりてくることのない情報に、なるほどな~と頷く菜緒。

そんな風に仲良さげに話す二人に視線を向ける。
南城。護衛班の主任を務める物腰柔らかな男性。
メンバーにも気さくに話しかけてくれる人だ。

ふと、正源司陽子が師として懐いている真壁の事を思い出す。
南城とは正反対で滅多にメンバーと交流をすることがない人物。
寡黙な人という印象だ。

そんな真壁だったが、歳が近いからなのか南城と良く一緒にいるのを見かける。
正反対な二人でも相性というのはいいのだろう。

かくゆう伊藤マネージャーもやけに南城と仲がいい。

(この二人って……もしかしてそういう関係? 確か同い年やったよな……)

なんて邪推な思考を振り払うように自らの頬を叩く。

このマネージャー、
 
『皆に会いに行こうか! 私たちも旅館に前乗りできるか聞いてみるよ!」

そう提案してくれたのだ。
本来なら休日を潰してまで仕事をするなど『ありえへん!』と憤る菜緒なのだが……

この時ばかりはそんな対応に感謝したいと思っていた。
”会いたい”とは一言も言っていないのに、気持ちを察してくれた訳だ。
菜緒はこのマネージャーのことをずっと誤解していたのかもしれない……

(なおが子供やったんやな……)

そう自覚したのであった。
 
 



そこまで話して菜緒は口を噤む。
言いずらそうに伊藤の方へ視線を送り、逡巡して、再び話し出した。

「そうして、旅館に到着してエレベーターで三階に向かおうとした時の事です。当然、南城さんが苦しそうに胸を押さえ出して――」


――豹変し始めたらしい。
灰色の毛が全身を覆い始め、手で押さえた顔から牙が伸びる。
全身から骨が軋む音が聞こえ、見る見るうちに怪物へと姿を変えたと……

(人狼化か。聞いてはいたが……)

経緯まで聞いて初めて実感が湧いた真壁だ。

「通りかかった旅館の方だった思います」

苦しみだした南城を遠巻きに確認して近寄ってきた従業員。

『お客様どうなさいま――』

その首筋に南城の牙が食い込んだ。

苦しそうに目を見開いたその人物。

助けようと手を伸ばしたのも束の間――ボキリと首があらぬ方向へと曲がる。

伊藤と二人、声も出ず固まっていたのだ。

そんな二人には目もくれず、雄たけびを上げると奥の方へと駆けて行った。

その後、あちこちから聞こえ始めた悲鳴と獣のような咆哮に、なんとか逃げるようにこの部屋に隠れ込んだ――との事だった。

(南城……惜しい男を亡くした)

たとえ人に戻れたとしても……罪のない一般人を手にかけた。
優しい彼のことだ。もはや今まで通りの日常には戻ることが出来ないだろう。
そう同僚への思いを馳せる真壁であった。





旅館の一部屋、大きな二つのベットの周りにてそれぞれ思い思いの形で休憩を取ることにした。

入口付近で真壁と伊藤が話をしている。今後の相談でもしているのだろうか。

それをぼーっと見つめていた菜緒の横に、茉莉が腰を降ろすと、そのまま手を握ってきた。

「ん? どうしたん茉――」

と横を向いたのだが、同じくこちらを向いていた茉莉の顔を見て、口を半開きにしたまま言葉を止める。

「小坂さんも大変でしたねって、思いまして……どうしました?? 私の顔になにかついてます?」

「茉莉……あんた―― 、――なんで笑ってんの?」

「え? ええ? 私、笑ってます? へ、変だなぁ」

確かめるように自らの顔に手を当てる茉莉。
両手でむにむにと頬をつまみながらおかしいな~と呟いている。

(確かに今……笑っとったよな……でも、こんな状況やし……皆だって気持ちが不安定になっとるはずやんな)

そう思い、茉莉らと合流後に抱き着いてきたひなのの事を思い浮かべた。
彼女にしては珍しく、菜緒の胸に顔を埋めて泣いていたのだ。
よほど精神的に参っていたのだろう。

茉莉が笑っていたのだって、この非現実的な場にあてられておかしくなってしまっていると考えた。

(なおが一番先輩なんや。真壁さんと伊藤さんだけに頼っていられへん。うちが皆を守るんや。しっかりしなきゃ――)

そう一人、強く決心する菜緒だった。



「そろそろ行こう」

真壁の提案で移動を開始した一同。

エレベーターを迂回して、通路端の階段に辿り着く。
狭い箱の中で人狼に襲われることを避けて階段での降下を選んだのだ。

先頭を真壁が務めそのすぐ後を菜緒、未来虹と続き最後尾に陽子と伊藤と列をなす。

 
(……ん? んん?)

二階へと降りた時だ。

菜緒はもぞもぞと何かが背中をはいずり回るような感覚に襲われた。

(なんや?)

――悪寒と表現するのが的確だろうか。
全身の毛が逆立つようなそれに思わず腕を摩る。

(ぁ、鳥肌……それに、なんか)

胸がざわついた。

足を止めて後ろを振り返り未来虹をじ~っと見つめてみる。

「どうしました?」

と小声で話しかける未来虹。
彼女の問いに首を横に振りなんでもないと返すと、先で待ってくれていた真壁に小さく頭を下げて小走りで駆け寄った。

そんな菜緒だったのだが……

 

再び感じる違和感にまたしても足を止めた。

「どうした? 何か気づいたことがあればどんなことでもいい。話してみてくれ」

菜緒の内情を察してか真壁がそう促した。

(――うん、やっぱり気のせいやない)

「真壁さん……います」

「いる? とは……まさか、人狼がか?」

「はい。たぶん……いえ、間違いないと思います」

そう答えると菜緒は地面を見つめ指を差す。

その先、一階――旅館のロビーを……

その言葉を真に信じたのかどうか定かではないが、ゆっくりと警戒しながら階段を下る真壁。

右手を上げ、それを腰の辺りまで下げて待機の合図を出す。

階段際から顔を出し、ロビーを確認するとこちらに向き直り小さく頷いた。

片手を掲げ皆に見えるように、指を立てる。

(四……四体ってことやな)

先に四体の人狼を確認したという事らしい。
菜緒が感じ取った人狼の気配、それが間違いではなかったという訳だ。
本人も困惑する事象だったが、そんな事を考えている時間はない。

どうするのかと、真壁に視線を向ける。

しばし考えていた真壁であったが、

「 し ょ う げ ん じ 」

後ろまで見えるように、分かりやすく口を開けてその名前を呼んだ。
ただ、声を発した訳ではなかった。
それでも、ハッキリと意味が感じ取れたのは彼が積んできた技術なのかもしれない。

「 せ ん と う に き て み な を ま も れ 」

『先頭に来て、皆を守れ』
陽子が一体の人狼を相手したとは聞いていた。
菜緒には到底信じられなかったが、このやり取りが、それを現実だと証明するかのように感じとれるのだった。

唇を噛み締め、力強く頷く陽子。
するすると前へ移動し、菜緒の横に並ぶ。

腰を屈める真壁、陽子の顔を見つめ菜緒がぎりぎり聞き取れるくらいの声量で囁いた。

「大丈夫だ。一体も漏らしはしない。たが、良く見ておくように。……もしも私に何かあったら皆を守るのはお前になる。それだけは忘れるな」

ゴクリと、唾を飲み込む陽子。
師の言葉に再び力強く頷いたのだった。




真壁宗一郎。
陽子が師として尊敬している男性だ。

来年には二十八を迎える彼だが、一年半と少しの付き合いになる陽子にはどのような経歴の持ち主なのか、何処に住んでいるのか等という情報は年齢以外ほとんど知らなかった。

面と向かって本人に聞いたことはないし、もちろん調べたこともない。
今野さんの紹介で入社してきた信用たる人物、というのが第一印象だった。

実際にその戦闘を見たのもこの日が初めてである。
護衛班と称しているが、メンバーに直接危険が及んだことなど今まで一度としてなかった。
そこまで物騒な日本ではないというのももちろんだが、彼ら護衛班が危害になりそうな事柄を事前に排除してくれていたのだろうと、今にしてふと考えた。

そんな考えがよぎるほどその戦闘は一方的だったのだ。

一人、姿を現した真壁に気づくと、影から、中には受付を飛び越えて彼の前に立ちはだかる四体の人狼。

もはや、人だった面影は見当たらず。
獰猛な獣が大きな口を開けて、獲物へとじりじりと距離を詰める。

刹那同時に襲い掛かる。

真正面から飛び掛かった一体を――垂直に伸ばした足が下顎から蹴り上げる。

続けざま、その横をすり抜けた二体目に振り上げた足が再び蠢く。
踵落とし――脳天直撃の一刀が噛みつこうと近づいてきた頭上へと落ちていった。

そのまま地面へと叩きつけると慌てることなく三体目の攻撃をいなし、空いた胴体へと左拳を打ち込んだ。
なんのひねりもないその一撃に声もなく崩れ落ちる人狼。

最後に残った一体も流れるような動作で処理して見せた。

これが護衛班、これが真壁宗一郎なのか。
圧倒的な強さを見せつけられた。

(――すごい! す、凄すぎない?)

隣で顔だけ覗かせて見ていた菜緒も目をまん丸くしているようだ。

そんな菜緒の手をぎゅっと握る。
握るのだが、陽子自身握っているつもりはなかった。
それは無意識の行動であったから……
 

戦う技を授けてくれた師。
真面目で優しくて、わがままだって受け入れてくれる。
頼りになる存在。
だけど、あまりにも強すぎた。
それが陽子には、ほんの少しだけ恐ろしく感じたのだった。

この時だけは――


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