もしも戻れるとしたら『何歳の頃に、戻りたいのか?』(改)
「めっちゃ馬鹿じゃん」
後ろから答案用紙を覗き込まれた。
何故だか無性に腹が立ったから、
「天より頭いいから」
そう言い返した。
”山﨑 天”
小中高と同じ学校で同じクラスの女子。いわゆる幼馴染。
十一年間ずっと僕の後ろの席。
くじ引きなのに偶然にしては出来過ぎている。
「へっへ~ん」
自慢げに胸を張って点数を見せてきた。
負けた……。
それに成長している。どこがとは言わないけど、あきらかに成長している。
「〇〇? ……どこ見てんの?」
「ば、な、何が? どこも見てねーし!」
慌てる僕。
「動揺しすぎでしょ」
楽しそうに笑う天。
「……ちょっと、五月蠅いから」
不機嫌な横の人。
机に突っ伏して寝ていたから顔に跡がついている。ちょっとだけ涎も見えたけど、言わないでおこう。
「夏鈴はどうだった?」
天はこれ見よがしに点数を見せつける。
ドヤ顔がウザかったのは僕だけなのか。
「……ん、これ」
瞼を擦りながら夏鈴が解答用紙を手渡した。
”藤吉 夏鈴”
もう一人の幼馴染。
理由は分からない、本当に分からない。彼女もずっと隣の席だ。
「……すごっ」
え?
思わず天から奪い取った。
「66点……」
「私は勉強してたから……」
いやいや、あなた授業中――
「嘘嘘!! 夏鈴ずっと寝てるじゃん」
うんうん、起きてる時の方が少ないくらいだ
「今回は本当に勉強したの。……私たち今年は受験生でしょ?」
「っう……」
「○○軍曹、む、胸が、胸が苦しい。衛生兵を……」
「奇遇だな、僕もだ。山﨑一等兵……ガクッ」
「む、○○二等兵……。死ぬなー! ――ガクッ」
ガララと扉を開ける音が聞こえた。
「馬鹿なことやってないで帰るよ……」
怖いくらい冷めた目をしていた。
慌てて追いかける天。
机に足をひっかけた僕。
振り返る君。
「○○って、本当に馬鹿だね」
――そう言って笑った君の顔が、頭から離れなかった。
「先輩って、付き合ってるんだって」
廊下で男子と楽しそうに話している”先輩”を見て、天が呟いた。
先輩こと”守屋 麗奈”
この学校で、いやこの街で一番の有名人だ。
知らない人はいない。彼女が歩けば皆が振り返る。
色白で芸能人顔負けの整った容姿。
僕も密かに憧れていた。
相手はサッカー部のキャプテンか。お似合いだ。
「……○○?」
「ん、なに?」
目が合う。
「んーん。別に、……何でもない」
たぶんバレているんだろう。告白も出来ずに振られた愚かな僕のこと。
だけど僕にもバレている。
君が僕をずっと見てること。
授業中も、友人と会話してる時も。
嫌な訳じゃない。
でも、この関係性を壊したくなかった。
だから気づかないフリをするんだ。
いつかくるその時まで。
「でさー。駅前のさ、……がね――」
ほら、今も見てる……。
横目でちらちらと。
僕がそっちを向くと、慌てたように視線を逸らされる。
何故だろうか、胸がぎゅっと締め付けられた。
この日は朝からずっと動悸が激しかった。
「大丈夫? 顔色悪いようだけど」
隣の席から心配そうにこっちを見ている。
めずらしく今日は寝ていないんだね。
「大丈夫。たぶん寝たら治る。……おやすみ」
そういって机に突っ伏した。
日差しが心地よい。深呼吸を繰り返していたら、だいぶ良くなってきた。
ふと、誰かが僕の背中に文字を書きはじめる。
後ろの席にいるのは天だったから、彼女が書いているのだろうと僕は思った。
【 か り ん 】
夏鈴? どういうことだろ?
天じゃなくて夏鈴だったのかな?
でも、自分の名前を? 何のために?
訳が分からなかった。
また少し動悸が激しくなってきた。
ゆっくり息を吸って、呼吸を整える。
どうしてだか、これ以上考えるのが怖くなった僕は、逃げるように眠りへと落ちていった――
「……であるからにして」
……ん。
目が覚めた。
どうやらまだ授業中のようだ。
古典の土田先生は寝てる人に寛容だから、寝ていても何も言われない――いい意味で捉えたらだけど。
横の席の夏鈴も寝ているようだ。
天はというと、頬杖をついて窓の外を見ている。
あ――
その横顔から――その表情から目が離せない。
僕の知っている天じゃないような。
初めて見る。
そんな真面目な顔もするんだね。
「……ん? ふっ」
僕に気づいたようで、不適な笑みを浮かべる天。
そんな彼女がやけに遠くに感じられたのだった。
夏鈴と二人きりの帰り道。天は用事があるからと走って帰っていった。
僕はというと、
「○○、大丈夫?」
収まったはずの動機がよりいっそう激しくなっていた。
脂汗が止まらない。胸が苦しい。
心配そうに僕を見ている夏鈴。
そんな夏鈴の顔を見るのが何だか怖かったから、目を合わせないように地面を見つめた。
「大丈夫。……大丈夫だから」
大丈夫。
そこの角を曲がった先はもう家だから。
大丈夫。
――大丈夫? 本当に?
その曲がり角、
「大丈夫?」
僕は胸を押さえて蹲った。
「ちょ、○○!? わ、私、先に行っておばさん呼んでくるから……」
ダメだ。
苦しい、息ができない。
違う……
そうじゃない。
ダメだ。
かり――
――車のブレーキ音がした。
そのすぐ後に、何かがぶつかる鈍い音がした。
夏鈴が死んだ。僕の目の前で即死だったらしい。
そこからの記憶があんまりない。
おばさんが崩れるように泣いていた。
たぶん、あれは告別式だったのかな……。
三人でよく遊んだ公園で空を見上げる。
雲がかかって星一つ見えない。
まるで僕の心のようだった。
雨が降ってきた。
「何してるの?」
気が付いたら天がすぐ横にいた。
「天か……ってずぶ濡れじゃん!?」
――ぁ。
こんな時にって思ったけど、仕方がない。
思春期の男子だから……
天のブラウスが透けて下着が見えている。
黒か……っていけない、いけない!
釘付けになっていた視線を天の顔へと戻す。
――え?
「それは○○もでしょ?」
「え?」
「だから、ずぶ濡れじゃん! ○○も! ……何? どうしたの?」
「て……ん……?」
「はぁ? どっからどう見ても天ちゃんでしょ!?」
そうなんだけど……
そうじゃない。
目の前にいる天が、僕の知ってる天じゃないような気がしたんだ。
雨の中、唾を飲み込む音だけが、やけに大きく聞こえていた。
「……○○さ」
「ひょっとして、――思い出した?」
そう言って、僕の額の上に手を置いてく天。
「思い出したって、……なにを?」
心臓が五月蠅い。
雨の音が五月蠅い。
それでも、なんとか聞き取れた。
――その言葉を。
『 、 ?』
その瞬間、僕の中を何かが駆け抜けた。そうして、目の前が真っ白になった――
それは五回目の夏鈴の命日。
ひさしぶりに天と出会った。
夏鈴が亡くなってから、逃げるようにしてこの町を去った俺。
「久しぶり……」
「綺麗になったな」なんて、気のきいたセリフも言えなかった。
「この花、毎年添えてくれてたでしょ? 夏鈴の好きだった花だよね」
気づいていたのか。
「きっと喜んでると思うよ」
そう言って笑った顔がとても悲しそうだった。
「久しぶりに話さない?」
「……そうだな」
俺の顔もたぶん同じだったんだろう。
子供の頃は入れなかった近所の居酒屋。
「どこに住んでるの?」
「仕事はどう?」
なんて取り留めのない話を酒の肴にしていた。
「……あれから、何してた?」
その質問をされた時の俺は、露骨に嫌な顔をしてたんだろう。気まずそうな顔をさせてしまった。
「何も……。何もしてない。ただ起きて、飯食って、寝て、また起きて。死んでるようなも――ぁ、……ごめん」
口を滑らせた。
「そっか。……わたしも、何もしてない」
「そうか……」
残っていた酒を一気飲みする天。
おもむろに立ち上がると、思いつめた顔をして、
「もしも、もしもね。やり直せるとしたら……、過去に戻れるとしたら……どうする?」
なんて聞いてきた。
やり直せる? 戻れる?
そんな事ができるなら、
「そりゃあ、やり直したいよ」
「うん……。そう言うと思った」
何の質問だったんだ?
不思議に思った俺。
「天?」
しばらく見つめあっていた。
「今から、質問をするから答えてほしい」
「いいけど、な――」
人差し指が唇に触れる。
「あー、口には出さなくていいから」
じゃあ、どうやって答えるんだ。
なんて質問も、真剣な顔に負けて取り下げた。
「頭でよく考えて答えを出してほしい」
そのまま俺の額の上に手を置いてきて、
「○○……」
悲しそうな、それでいて力強い目で天は告げた。
「もしも戻れるとしたら何歳の頃に、戻りたいのか?」
と。
何歳? そんなの決まってるだろ。
俺は――
「――ッ!」
気が付いたら勢いよく立ち上がっていた。
何事かとクラスメイトが振り返る。
「おい~○○~。騒ぐんだったら廊下に立たせるぞ~」
授業を妨害する行為には厳しい土田先生。
「すいません、なんでもないです」
皆にも謝りながら、俺は席に座り直した。
ふと、背中に当たる指の感触。
振り返って伸ばされていた――天の腕を掴む。
「やっぱり天だったか」
「……○○」
理由を聞いてみようと思ったけど、隣から感じる視線に居たたまれなくなってその手を放した。
高二の終わり。
新しい季節の始まり。
やり直すなら、今日しかない。
夏鈴と二人きりの帰り道。
今回は、脈拍が落ち着いている。
”分かってる”
だからだろう。
「ぇ? ちょっと、○○?」
夏鈴の手を引いて脇道に入る。
「ちょっと遠回りしていこう。喫茶店見つけてさ」
なんて嘘だ。
ごめんな、でも埋め合わせはするから。
「うん。……へへ」
手が繋がったままだからか。ポーカーフェイスを気取っているけど、俺にはわかる。
この顔はめちゃくちゃ照れてる。
俺まで顔が熱くなった。
「あ、すいません」
細い道だから避け合うようにすれ違う。
謝罪もなしか……。
「――え?」
なんだ……。
お腹が熱い。
「痛ぇ……」
添えた手が真っ赤に染まる。
あ、ダメだ……。
立っていられなくなり、俺は膝から崩れ落ちた。
倒れる俺を夏鈴が支えてくれたんだと思う。
「――? ――ッ!! ……、――〇……!!」
何て言ってるのかわからなかったけど、泣いているのだけは分かった。
ごめん、夏鈴。埋め合わせはできそうにな――
「――夏鈴!!」
自分の声に驚いて目が覚めた。
ここは、俺の部屋だ。
「おはよ。大丈夫?」
「――て、ん?」
「そうだよ、天ちゃんだよ」
それは分かってる。知りたいのはそういう事じゃない。
どうして俺の部屋にいるんだ?
何てこともどうでもいい。
「天……、お前、どうしてブレザーなんてきてるんだよ」
暑いからって、最近は着てなかったのに。
それにその顔だ。
なんで、そんな悲しそうな顔をするんだよ……
「どうしてって、今日は――――お通夜だから」
通夜? 誰の?
「……俺の? 確かに、刺されたんだけど……」
「はぁ!?」
あ、違うのか。
「なに馬鹿な事言ってるの!! ――って、あーーーーーーー!!」
と、突然どうした?
「そういう事か!! だから……! もうッ――」
おい、頭を掻きむしるな。
長い髪を整える夏鈴の役目にもなってみろ。
……あれ? そういえば。
「夏鈴はどこにいるんだ?」
天の動きが止まった。
「……〇〇の記憶では刺されるのは○○なんだね?」
俺の記憶では?
「ど、どういうこと?」
「……○○、よく聞いてほしい」
夏鈴が刺されて死んだらしい。
それも、俺を庇って。
「なんで? そんなことになってるんだよ……」
「……いや、でも――そんなこと……」
ブツブツと一人で考え込み始めた天。
どうした? 何に気づいた?
「……○○さ」
「な、何?」
「思い出してるよね?」
――ああ、そうだ。
俺は思い出していた。
何もかもを――
「……思い出してるよ……天に過去に送られたってことも、夏鈴を助けるために戻ってきたってこともな」
そう、助けるはずだった……。
「――そっか。……やっぱり、思い出してたんだね」
力なく笑う天。
それも一瞬。
すぐに、真面目な顔に切り替わる。
「○○さ、また過去に戻れるかもしれないって言ったらどうする?」
な!?
「出来るの?」
「……うん。で、でも……」
「でも?」
どうした? 何が問題なんだ?
「もしもしたら、○○が……」
「俺が?」
「死んじゃうかもしれない」
――は?
……なんだよ。
そんなことか。
この五年間。
夏鈴を失ってから毎日が灰色だった。
正直、何度も死のうとした。
だから、
「夏鈴が助かるのなら、――俺の命くらいくれてやるよ」
それが、俺の本心だった。
だから……そんな悲しそうな顔しなくていい。笑って送り出してくれ。
そうして、再び過去に戻る。
あの日へと――
「――ッ!!」
肩を揺すられて目が覚めた。
また俺の部屋だ。
「あ、起きた?」
……天か。
心なしか目が赤い。
……。
またここに戻ってきたということは……
「どうなった?」
「どうなったの?」
シンクロした。
「……」
「……」
「……私から言うね」
夏鈴が看板の下敷きになって死んだらしい。
しかも、俺を庇って。
「なんでそうなるんだよ!!」
思わず大きな声が出た。
「あ、ごめん……」
驚かせてしまった。
「……ま、○○の方は?」
「俺は……事故に合わないように道を変えた。もちろん、刺されないように駅前の方へ。そこで……」
「そこで?」
「……」
「落ちてきた看板から夏鈴を庇ったの?」
「……正解だ」
思案顔の天。
やはり、何かに気付いているようだ。
「聞かせてくれ。何が起きてるんだ?」
「……夏鈴はさ、――その未来を拒否したんだよ。というより過去に戻って○○を庇ったんだと思う」
「ん??」
「私には見ることができないけど――夏鈴ならきっとそうする」
「待ってくれ、え? 夏鈴が? 過去に?」
「……私にはね、分かるんだ」
「それって――」
「夏鈴も私と似たような能力を持ってるんだよ。というより、○○が死んで能力に目覚めたんだと思う。それがトリガーだからね」
「……」
理解が追い付かない俺だったが、とりあえずは天の言ってる事をそのまま受け止めることにした。
実際、天の力で過去に戻ってきた訳であるし――と。
「……トリガーか」
「……○○を失うなら、自分が死んだほうがいいって思ったんだろうね」
「……」
「たぶん、あの子さ。……何回助けたとしても、何度過去に戻ったとしても、最後には自分が――」
言葉に詰まる天。
だから代わりに答えた。
「自分が犠牲になって、俺を救う……か」
助けたとしても助けなかったとしても、どちらにしろ夏鈴が死んでしまう。
なにをしても夏鈴がいない未来に……
ふと夏鈴の笑った顔が思い浮かんだ。
仲良く泥だらけになって、馬鹿笑いしてる顔。
天とふざけている俺を見て、苦笑いしてる顔。
欲しかった本をようやく見つけて、すごく嬉しそうに笑った顔。
ふいに目が合って、恥ずかしげに、はにかむ顔。
ちくしょう……。
もう見れないと思ったら、涙が止まらなかった。
「後ね。○○は事故の後から酷く憔悴してて、部屋について泥のように眠るんだ」
「それで今起きたってこと?」
「うん。目が覚めた○○は、夏鈴が過去に行く前の記憶のままになってるんだよ」
「なんで?」
「たぶん私のせい。……説明すると長くなるんだけど――」
天曰く、
一
天一人では過去に戻れないが、対象と一緒なら戻ることができる。
二
戻るには、対象の強い思いの力がいる。後悔や失敗。
その一瞬をやり直すという強い覚悟が。
三
天自身は、そのやり直したい事象に立ち会うことができない。
それが制約――万全な力ではない。
四
対象はそれまでの記憶を保存する。
脳ではない、別のどこかへ。
「記憶の保存……。夏鈴に庇われて生き残った俺の記憶が、保存した記憶に塗りつぶされたってことだな?」
「そうだね。それは絶対なんだと思う」
「そうか……」
逆に良かったかもしれない。そう何度も夏鈴が死ぬ所なんて、耐えられそうにない。
想像しただけで、
――ああ。
動悸だ。
「大丈夫?」
「ごめん、ちょっとだけ、――っふう」
収まれ……収ま――あれ?
「天さ……」
「え? なに?」
そもそもの話だ。
「どうして、救った先々で死ぬことになるんだ?」
「それは……」
天の顔が強張った。
「二人で生き残る方法が――」
なにか――
「ないの!!」
めずらしく大声を出す天。
「……ないの……誰かがあそこで必ず死なないといけない。……運命なんて言いたくないけど、それだけは覆せない」
は? 運命?
「なんだよそれ……」
「ごめんね、どう説明したらいいか分からないんだけど……、わたしは、観測者だから……。そういうのだけ分かるんだ……」
天の目に涙が溜まる。
「戻ってくる前はそんな事知らなかった……。○○か夏鈴どっちか失わないといけないなんて……、知らなかったからッ!!」
ああ、なにやってんだ……俺の馬鹿野郎が……。
目の前の天を、今の天を見てあげれていなかった。
「――天」
思わず抱きしめていた。
これ以上、天の悲しそうな顔を見たくなかったから。
どんな能力を持っていたって、こんなにか細い女の子だ。
俺の大切な幼馴染だ。
「俺もごめん。……背負わせちゃってたんだな」
「――ッ!! ぅ、ぅう――」
泣かせてしまった。
ああ、やっぱり俺は馬鹿だ。
通夜が終わった。
まるで眠っているようだった。
今度はしっかり記憶に焼き付ける。思い出す必要もないくらいに。
二人であの公園に来た。
今日は晴れているけど、夜はまだちょっと寒かった。
ベンチに腰を掛ける。
俺たち――僕たちはずっと一緒だった。小学校の入学式からずっと。
ここまで仲良くなれた友達なんて他にはいない。
たぶん、これからもできないだろう。
そう思ってた。
「……」
二人して空を見上げる。
あぁ、ダメだ……やっぱり……星が見えない。
「はい。暖かいやつにしたよ」
「ぁりがと……」
手を温める天。
そういえば、三人でよく一つの缶で温め合うなんてこともした。
学生の少ないお小遣いを出し合って、一つの缶を取りあった。
子供の頃の懐かしい記憶だ。
それが……三人だったのが二人になっちまったな……。
ん? 三人が? 二人に……。
そうだ。そうだよ……夏鈴を助けられるかもしれない。
まだ可能性がある。
「天……。たぶんだけど、一つだけある」
「え?」
そう一つだけ。
俺は、天に説明してみた。肝心な部分は濁して。
「た、確かに。でも待って、それじゃあ!!」
「大丈夫、覚悟は出来てる。……夏鈴は救う、それだけは絶対に」
目を見開く天。
大丈夫。悲しませることはしない。
「そっか。……うん。ちょっとまってね。覚悟がいるから」
「覚悟? 天にも?」
「そりゃそうよ! 簡単に過去に戻せるわけじゃないんだから!」
「そ、そうか」
「ふぅーー……よし!」
「……俺はいつでも大丈夫」
「本当にいいの?」
「うん」
「また明日とかでも」
「明日になって、覚悟が揺らいだら困る」
揺らがないけど。
「そっか……」
納得してくれたかな?
俺の目を見つめる天。
俺も見つめ返す。その顔を忘れないように。
「じゃあ、いくよ」
天が手を伸ばしてきた。
「○○、考えてみて。……もしも戻れるとしたら」
そして、俺の額に触れる。
『何歳の頃に、戻りたいのか?』
考えろ。あの頃の事を。そして、今日まで事を。
どこかに保存されるなんて関係ない。
この記憶を忘れずに、保持したまま――
薄れゆく意識の中、天の頬に触れる。
「ありがとう、天」
「――さようなら」
――そうだ。
今日は、小学校の入学式だ。三人が出会った日。
俺はこの日に戻ってきた。
そして、仮病を使って学校を休む。
天と、
夏鈴と、
出会うはずだったあの入学式。
俺たちが仲良くなるきっかけを、
”なかったこと”にする。
これで一人だ。
これでいい。
小学一年生。
おとなしい夏鈴は一人でいることが多かった。
子供の頃から天真爛漫な天はすぐにクラスの人気者になる。
俺は地味なただのクラスメイト。
小学二年生。
天が夏鈴を誘ってグループの仲間にした。
二人が仲良く遊んでる姿を見て、涙が出そうになった。
小学三年生。
天が木から落ちて怪我をした。
一緒になって夏鈴が泣いていた。
ああ、似たようなことがあったな、繰り返すんだな。
小学四年生。
ずっと席順が同じ俺たち。
天が「運命じゃない?」て、話しかけてくれたけど。
俺は無視をした。
悪かった。子供のお前にそんな顔をさせたくなかったのに。
小学五年生。
夏鈴の顔をちらちらと盗み見してた。
偶然、視線が合い、慌てて逸らす。
夏鈴は不思議そうな顔をしてた。
ははは、今度は俺の方だったか。
小学六年生。
名前順ではない、くじびきのはずなのに。
また同じ席順だった。
こればっかりは、謎が解けないままなのか。
中学一年。
女子のグループ分け。仲のいい子、部活が同じ子で次第に別れ始める。
運動部に入った天と文化部の夏鈴。
いつのまにか二人が話すことも少なくなっていた。
どうしようもないことだけど、俺の方が寂しい気持ちになった。
中学二年。
体育祭で活躍する天。クラスのヒーローになる。
実行委員になった夏鈴。淡々と実況してる姿が新鮮だった。
俺は、肉離れを起こした。体は子供のはずなのに。
中学三年。
修学旅行は沖縄に行った。
三人で海で泳いだ記憶がよぎる。部屋で一人泣いた。
高校一年。
こんなに、可愛かったっけ?
二人の学生服姿に見惚れていた。
もちろん、影からこっそり。我ながら気持ち悪い。
高校二年。
驚いた。
天が授業をしっかり聞いている。
夏鈴が寝ずに授業を受けている。
大学受験するらしい。
まるで親になったような気持だった。二人が誇らしかった。
「――藤吉!!」
放課後、夏鈴を呼び止めた。
「担任が呼んでる。職員室に来て欲しいって」
仕向けたのは俺だけど。
「……そう。ありがとう」
すれ違うとき、まじまじと見てしまった。
だからか、不思議そうに見返しくる夏鈴に慌てて、
「じゃ、バイバイ」
と逃げるように廊下を曲がった。
その後ろから「バイバイ」って、聞こえてきた気がした。
校門から出る時にグランドで走ってる天を見つけた。
「大会がんばれよ」
そう小さく呟いた。
応援にはいけないけど。
活躍を願ってる。
思えばこの十一年は長かった。
それでも、一日一日を大切に生きた。
話す機会はほとんどなかったけど、
元気に遊んで。
楽しそうに笑って。
そして、綺麗になって。
そんな姿を見せてくれて、ありがとう。
今の二人に伝えてもしょうがないけど、昔の俺と一緒にいてくれてありがとう。
感謝しかなかった。
後悔もなかった。
楽しかった。
本当に。
そろそろだ。
あの角を曲がったら俺は死ぬだろう。
でもいいんだ。
これでいい。
走行音が聞こえてきた。
予想以上に心が落ち着いている。
よかった……覚悟がぶれなくて。
そうして、一歩踏み出した。
――え。
後ろから――
誰かに襟首を掴まれ、そのまま引き倒された。
そして、すれ違うように飛び出す彼女。
その見慣れた後ろ姿に、思わず手が伸びた。
ポニーテールに指が触れる。
ただ、それだけ。
ああ、そんな――
嘘だ。
そんなわけない。
やめろ!
やめてくれ!
どうして――
「――天!!」
俺の声に振り返る天。
「○○ってさ、やっぱり馬鹿だよね――」
って。
それが――最後に見た、君の笑った顔だった。
そう。
俺はやっぱり馬鹿だ。
天も記憶を持って過去に来た可能性を――忘れていたんだ。
本当に、馬鹿だ。
十一年、天がどんな思いで生きてきたのか。
全て分かった上で俺の行動に付き合ってくれていたのだろうか。
そして、初めからこうするつもりだったのか。
もう一度戻れるとしたら……俺はどうするのか?
何度、考えても答えは出なかった……
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