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雨音


教室の窓際の一番後ろ、そこが僕の席。
授業中にぼ~っと外を見るのが最近の日課になっていた。

六月に入って雨の日が多くなってくるこの時期だ。
地方によっては梅雨入りし始めているところもある。この辺りもそろそろだろうか……
 
 

(降ってきそうだな……)

空に大きな黒雲が押し寄せてきている。一時間もしないうちに雨が降ってくるだろうと予測ができた。
天気に比例するように僕の心もどんよりと沈みだしていた。
 

雨は好きではない。
 

むしろ嫌いだ。

 
ジメジメとしていて蒸し暑いし、徒歩通学だと靴がびしょびしょになるわ、癖毛だから髪の毛をセットしないといけないわ、と挙げたらキリがない。

なによりも体育が中止になるのが嫌なのだ。
今日みたいに男子は外でサッカーの予定だったのに、それが潰れるのがたまらなく嫌だった。

 

 
「はい。これプリント」

前の席の五百城が振り返る。
用紙を受け取るときに彼女と目が合った。


 
(よく見たら、五百城って可愛いんだな……)

と、見とれていたら『ん?』と困ったように眉を下げる五百城。
慌てて窓の外に視線を移して、誤魔化すように呟いた。

「雨……。降りそうだよ」

「そやな~……サッカー残念やったね?」

「……よく分かったね。残念だって」

「うん。いつも楽しそうにしてんのここから見えるから」

なんて言うから思わずドキッとしてしまう。

「へぇ~」

頬杖をついて相槌を打つ。

……そうやって平静を装うのが精一杯だった。


 
 



雨が嫌いだ。
 
滑ってコケてしまったから――放課後の廊下は雨で滑りやすくなっている。
そのせいだ。断じて僕のせいなどではない。
 
幸い、そんな恰好悪い姿を誰にも見られていなかったのが唯一の救いだろうか。
 
 
 

昇降口で立ち尽くす五百城を発見した。

「どうしたの? 帰らないの?」

「……傘忘れてもうた」

「え!? マジで?」

こんな時期に忘れるなんて信じられない。

「うん。玄関に干しといて……そのまま……」

意外とおまぬけさんなのかもしれない。

「折り畳みもあるから貸そうか?」

「ホンマに!? 助かるわ~」
 

「――あ!!」

「ごめんっ! これ……」

「あちゃ~。壊れちゃってるね……」

先ほどコケた時に折れてしまったのか。
期待だけさせてしまったのが申し訳なかったからか、口が勝手に動いていた。
 

「五百城さえ良ければ一緒に入る? 送ってくけど」

「ぇ!?……ええの?」

「うん」

「じゃぁ……お願いしようかな」

って上目遣いに見上げてくる。
ほんのりと頬に赤みが差し、はにかんだような顔をする五百城。


(なんだよ! めちゃくちゃ可愛いじゃないか!!)

僕はまたしても見とれてしまっていた。


 



いつもの帰り道。

だけど、いつもと少し違う。

それは横に君がいること。
 

「肩濡れちゃうよ」

と言ってちょっとだけ密着した。

心臓が大きく鳴っている。

隣の君に聞こえてしまうんじゃないかと思うほど。

歩いていると何度か手の甲と甲が触れ合った。

その度に――ドクン、と鼓動が跳ね上がる。
 

雨の日の帰り道。

見慣れた景色のはずが、見慣れない景色へと変わる。

濡れたアスファルトに混じる紫陽花の香り。

そこにちょこんと顔を出す蝸牛。

雨、なんだかちょっと――好きになってきたかも。

 

  
 



この日、僕は学校を休んだ。

頭が痛い。体が怠い。喉が痛い。咳が酷い。鼻水がつらい。まるで風邪のフルコースだ。
きっと昨日の雨のせいだろう。

だから雨は嫌いなんだ。



ぼやけた視界の中で誰かが動く。

母親かと思ったけど、違う――


「……五百城? なんでいんの?」

「ぁ、おはようさん。お見舞いに来たらおばさんがいれてくれて。その、仕事だからと看病をお願いされちゃいました」

と、私服姿のクラスメイトが困ったように笑う。

 
「そう……ごめんね。僕は大丈夫だから、もう帰っていいよ」

「いやいやいや! そういう訳にもいかないから」

そう言ってコートを脱ぐと、寝ている僕に近づいて来てそっと髪をかき上げた。

「熱はどう? ――ってあっつ!? た、体温計体温計!!」

慌てたように机に置いてあった体温計を掴む五百城。
自分でやると言う間もなく体温を測られた。


「うわぁ~!? さ、三十九度もあるで!!」

「通りで……」

朝より高くなっていた。

「茉央が看病したるから、温かくして寝よな」

「いや、悪――」

「気にせんと! 病人は寝んとあかんで」

首まですっぽり布団を被せられた。反抗しようと思ったんだけど、思うように体が動かない。

意識も朦朧としてきた。

申し訳ないけど、彼女に甘えるとしよう。

「……じゃあ、お願いしようかな」

  
 
最近になって可愛いんじゃないかと気になっていた五百城茉央。
そんな子が僕の部屋にいて、看病までしてくれようとしているなんて。

それもこれも、昨日の雨のおかげなのだろうか……
 
熱に浮かされて少しだけセンチメンタルになっていた僕だった。

(今日だけは考えを改めよう。嫌いなんて言ってごめん。雨よ、どうやら僕は、ほんのちょっとだけ――)




 
 



「好きかもしれない……」

「え――!?」

(寝とる……寝言やったんかな?)

ぬるま湯を用意して戻ってきたら聞こえてきたその言葉。

(……好きって言うたよな? 聞き間違いじゃないはずや……。――あかん! 顔が熱い……)

きっとマグロの赤身くらい顔が赤くなっていることだろう。

ベッドに近づいてまじまじと顔を見つめる。
額に滲む汗を良く絞ったおしぼりで拭いてあげた。
 
「君は、茉央の事どう思っとるん?」

そう言って寝ている君の頬をつんつんと突く。
にぷにとしていて柔らかい。
ちょっとだけ彼の眉間に皺が寄る。

「ふふ、可愛いなぁ」

体育の時間。
女子が座学をしている時に、窓から覗くとサッカーをしている男子たちが見えた。
その中で、一際楽しそうにしている君に、いつしか心を奪われていた。

サッカーをしている時の笑顔と、たまに見せる凛々しい表情。

窓の外を見つめる憂鬱な君も、真剣に黒板を写す君も、子供のような可愛い寝顔をしている君も、

「やっぱり好きやなぁ~」
 
聞こえないと思って独り言を呟く。

――その独り言に鼓動が跳ねた。

途端に顔を凝視できなくなって窓の外見つめる。


どうやら降ってきたようだった。

 

空は晴れているけど。
 
 
 

音が聞こえる。

 

 

私の――恋の雨音が――



fin



食運さんの企画作品になります。
お読みいただきありがとうございました。

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