私もキュ ンキュ ンする話を書きたい
僕は必死に走った――彼女から逃げるように。
「――はぁッ、――はぁ……」
気付けば知らない通りだった。
やけに薄暗く、通行人もほとんどいなかった。
どうしてこんな道に入っちゃったんだ……。
逃げた先が暗い夜道だなんて、映画やドラマであれば『この後に何か不吉な事が起きる』そんなシーンとなるのであろう。
ただし、これは現実である。
あるのだが……。
キキィー、と僕の横を通り過ぎていく自転車に、
「うわっ!?」
と思わず飛びずさった。
続いて、遠くから聞こえてきたサイレンの音に、
「ひっ!!」
びくりと肩を震わせる。
ぴちゃり、と水たまりを踏んだ音が聞こてきては、
「――ッ」
慌てて口を抑えた。
しばらくして、街灯に群がる夜の虫らを見上げていた僕の耳にそれが聞こえてきた。
ひたひたと、アスファルトに鳴る足音が。
すぐ近くまできていた。
自販機の裏に身を潜めて息を殺す。
頼む、通り過ぎてくれ……。
そう必死に願った。
「もう~こんな所にいたんだ」
そんな願いも空しく散る。
「探したんだからね!」
なんて笑う彼女。
その笑顔が怖くて、「きゅぅん」と思わず変な声がでた。
まるで弱々しい犬みたいに。
「ふふ、可愛い。……ほら、帰ろう?」
「……」
「……どうしたの?」
まずい。彼女が怒っている。
僕がすぐに返事をしなかったからだ。
「きゅぅんきゅぅん」
と犬の鳴きマネをしながら一生懸命頷いた。
「そんなに怯えないでよ、まるで私が怖いみたいじゃない」
みたいではない。怖いんだ。
「ねえ、雨がひどくなる前に帰ろうよ」
「……うん」
なんとか絞り出した「うん」に、彼女はにっこりと微笑んだ。
僕たちは同棲している。
というよりは、半分軟禁されているような状態だった。
彼女の許可なく家から出ることができない。
電話もない。何かするのに、いちいち彼女の了承が必要だった。
僕は彼女に飼われている犬なのではないかと最近思い始めている。
癖みたいに、たびたび口から零れる「きゅぅん」という犬みたいな鳴き声のせいだ。
いや、むしろ犬みたいというのが間違いなのかもしれない。
自分を人間だと思い込んでいる犬なのではないか。
そう考えた。
それが酷く恐ろしく感じて、しばらく部屋の隅で震えていた。
……
がしゃん、と何かが割れる音が聞こえた。
その音に体が跳ねた。
慌てたように彼女が飛んできた。
「ごめん~。驚かせちゃったね、よしよし」
と頭を撫でられた。
情けないことに、「きゅぅんきゅぅん」と成すがままに。
犬のように従順的であった。
……
夕食の後、「一緒に寝てもいい?」と言われた。
もちろん全力で頷いた。
本当は嫌だったけど、悟られるわけにはいかない。
彼女を怒らせるわけにはいかないから。
だからといって、目を合わせると心臓がバクバクと音を鳴らしてしまうから、僕は彼女に背を向けて寝ることにする。
この日も同じように「おやすみなさい」と呟いてベットへと潜り込む。
先に寝ていた彼女と少し離れて、端の方で横になった。
するりと抱き着かれた。
「――ッ」
思わず、口から出そうになったその言葉を必死に飲み込んだ。
……あぁ、情けない。
怖い。
彼女の全てが、僕の周りの全てが、怖いのだ。
そう、なにもかもが怖くて仕方なかった。
「……」
それでも、抱き着かれていると安心するのは何故だろうか。
背中に感じる温もり。何故か少し湿ったTシャツ。微かに聞こえてきたすすり泣くような声が、僕の心を安心させるかのように眠りへと誘うのであった。
子犬化症。
恐怖に敏感になってしまう病気。
症状は、恐怖過剰反応――疑心暗鬼になったり、些細な音にすら過度に反応してしまう精神疾患である。
「きゅぅん」と犬のような鳴き声を発するようになることから、この病名が付けられた。
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