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蛹は羽化して、 参(終)  

 凪紗たち坂道高校バドミントン部は、エース凪紗の活躍もあり、団体戦二回戦を接戦の末、見事に突破したのであった。
 

「本当に強いんだね。うちの高校って」

「うむ……しかしだ、○○氏」

「うん?」

「これを見て欲しい」

 トーナメント表を広げる瑛紗。

「ほうほう――こ、これはっ……まずいね」

「そうなのだよ。……残念ながらここまでのようだ」

 なにやら深刻そうな二人。

「どうしたの?」

「和も見たまえ」

 促されて覗き込んだ。

「ここ――」

 と示された箇所を凝視する。

「三風高校……ってあなたたちがさっき言ってた」

「『昨年の覇者』さ」

「覇者、優勝校ってことよね」

「そうなのだ。そして今年の優勝候補筆頭チームなのだよっ」

「僕も少ししか分からないけど、三風高校と言ったら界隈じゃ知らない人はいないらしい。愛知の名門、全国大会常連で優勝回数は歴代最多。去年のメンバーこそほとんど卒業してしまったけど、まだ佐藤選手が残っている」

「佐藤選手?」

「佐藤楓。三年生。エースであり主将。一年から団体戦レギュラーに抜擢され、その年で一躍有名になったみたいだね。翌年には個人戦で全国一位、今年も取るだろうってもっぱらの噂みたい」

「凄い選手なのね……」

「ボクの見立てでは今大会で一番強いね」

「な、凪紗よりも?」

「なのだよ。間違いなくね。一段……いや下手したら三段は上だね」

「そんなに……」

「その三風高校が準決勝の対戦相手なんだ」

「そして……次の三回戦を突破できれば、その準決勝なのさ」

「そうみたいね……」

「……」

 僅かな静寂。

「……ということで。残念ながら小島氏たちの戦いも終わりが近いね」

「何よそれ! やってみないと分からないでしょ!」

「もちろんそうだとも! 何事も蓋を開けるまでは分からない! ただ自ずと導かれる答えは……」

「……坂道高校は小島さんのワンマンチームって言われてるんだ。贔屓目に見ても、その通りだと僕も思う」

「う、うん……」

 〇〇君が言ってることは私にも分かる。
 いくらルール上有りだとしても、団体戦でシングルスとダブルスの両方を出ている選手なんて凪紗くらいだし。

「去年今年と全国出場を果たしたのは大変素晴らしいことさ。ボクもそこは認めよう。だが、それは小島氏という逸材が居たからこそなのだよ」

「そう……全国大会を勝ち進むには選手層が薄いんだ。小島さんが崩れてしまったら、そこで終わりと言ってもいい」

「そんな小島氏も一試合で二回出ているからね。疲れも乳酸も二倍溜まっているだろうさ……果たしてどこまで持つか……」

「……凪紗」

 言われて心配になる。
 『思い虫』こそもういないが、知らず知らずのうちにプレッシャーを感じていた凪紗。
 私なんかじゃ想像できないほどの重荷だったのだろう。





 

「凪紗先輩? どうかしたんですか?」

「――え? 何が?」

「あ……いえ、何でもないです」

 足を摩っていたように見えたけど……

「良ければマッサージでもしましょうか?」

 姉からせがまれては「腕はプロ級だ」などと褒められていた私だ。マッサージだけは自信があった。

「え〜、そんなことしなくていいよ。それよりさ、このまま行くと理子の出番もきっとくる。だからね! 私の事はいいから、ウォーミングアップして体を温めておきなよ」

「わ、分かりました」

『試合に出る』そう考えたら緊張してきた。

「私、走ってきます!」

「ふふ、無理はしないようにね!」

「はい――」






 元気に走り去っていく理子を見送った。

「よし! 私もっ」

 そう立ち上がろうとした直後。

「――痛っ!?」

 ――ズキッ、と右足に鈍い痛みが走る。

「……うっ」

 恐る恐る立ち上がり、トントン、とつま先で地面を叩いてみた。

「……うん。大丈夫……きっと気のせいだ」

 監督だけには伝えておくべきか。

「いや、止そう……」

 余計な気苦労を掛けたくない。
 心配症な監督のことだ。オーダーを変更するなんて言い出されたら私が困る。
 自惚れではない。決して。客観的に見て、私抜きで勝ち進むことは厳しい。もちろん他の皆が頑張っているのは知っている。

「……いや、でも理子なら……」

 よぎった可能性をかぶりを振って否定する。

「駄目……」

 彼女にはまだ早い。この大舞台にはまだ……

「――っふう……」

(気張りな凪紗……ここが正念場だよ)

 やるしかない。先輩たちに誓った全国制覇の夢は、すぐそこなのだから……

 

 




「なぎ!」

「任せて!」

 凪紗先輩の鋭いスマッシュがコートに突き刺さった。

『ゲーム、マッチワンバイ 坂道高校』

「やった~!!」

 盛り上がる私たちベンチ。今にも泣きそうな監督と喜び合う仲間たち。
 第二ダブルスを2−0で下し、私たち坂道高校は三回戦突破へと王手をかけたのだった。

「やったね! なぎ! ――っえ……なぎ?」

(――ん?)

 石森先輩の声に皆が視線を移した。

「凪紗? どうしたの?」

 視線の先で蹲る凪紗先輩。

「……ごめん、みんな……」

 目に涙を溜めながら、抱えていた足をゆっくりと皆の前に晒した――

「――っ」

 思わず息を飲んだ。
 凪紗先輩の右足が腫れていた。それもパンパンにだ。
 赤紫に変色した足を見て、隣の子が目を逸らした。

(これは……)

 私でも分かる。無理だ――と。とてもではないが、試合どころではない。

「――い、伊藤! 岩井先生を呼んできて! あと誰でもいい、氷を大量に!」

「は、はい!」

 慌ただしい私たちの様子に、何事かと人が集まり出す。

「すいません、通してください! 小島、肩を貸す。歩けるか?」

「な、なんとか……」

「私も!」

 監督と二人、凪紗先輩を支える。

「……ごめんね、理子」

 弱々しいその声に小さく首を振った。
 なんて返していいか分からなくて、無言のまま唇を噛み締めることしか出来なかった。

 

 ……

 

『第一シングルスも勝利した』と三回戦突破の報を受けてから十数分後。
 私たちの元に皆が集まってきた。

「全員集合!」

 監督の号令に、凪紗先輩の傍からすっと離れて、陣へと加わった。

「小島、話せるか?」

「はい……ごめんね。皆、折れてはいないんだけど、これ以上は無理だろうって」

「はは……」と凪紗先輩は力なく笑った。

「……私は出れなくなったけど、皆なら出来るよ! 頑張って!」

「は、はい!」
「……うん」

「それでだ。オーダーを伝える」

 監督と目が合った――気がした。

「第一ダブルスは予定通り、伊藤と室井。第一シングルスと第二シングルスも予定通り。第二ダブルスは……石森と村井」

「え、あ、はい!」

 私と同じ、控えの村井先輩が元気よく手を挙げた。

「が、頑張ります!」

「うむ、村井ならやれる。自信を持て。そして、第三シングルスだが――遠藤、お前に任せる」

「――はい」

 予想していなかった――なんてことはない。
 凪紗先輩が離脱してしまった時には覚悟は出来ていた……はずだ。

 どくん、と心臓が脈を打つ。

「……優も理子も、大丈夫。練習してきたんだから、ね!」

「うん!」
「はい……」

 凪紗先輩が激励をくれたんだ。期待に応えたい。

(……佐藤、楓……)

 第三シングルス。相手は間違いなく佐藤楓選手だろう。
 三風高校は王者だ。相手によってオーダーを変えてくることはない。
 それが監督の考えだ。

(私には無理? 可能性はない?)

 もちろん勝つための策であることは分かっている。
 経験が一番浅い私を捨て駒にするのが正解だ。

(……それでも、もし……私まで回ってきたら……)

 勝てるのか――そう考えた時、不安と緊張で何かが込みあげた。

「――っ」

「理子?」

「だ、大丈夫です。か、監督! 私ちょっとお手洗いに!」

「あ、ああ。分かった、行ってこい」

「すいません――」

 私は逃げるようにその場を後にした。


 




「本当に一人で大丈夫?」

「うん、ちょっと顔を洗いたいだけだから」

「そっか、何かあったら呼んでね! すぐそこで優のストレッチ手伝ってるから」

「うん、ありがと!」

 出ていく背中を見送った。
 松葉杖を脇に挟んで鏡の前に立つ。
 折れてはいなかったが杖なしでは歩くことも出来ない。
 それでも――誰も来ないであろう、と少し離れたトイレまで歩いてきた。

 予想通り、ここには私一人だ。

  
 ――ジャーーー、と蛇口から流れる水。

「……何してんのよ、馬鹿っ」

 その音に重ねるように――独りごちた。

「せっかく、ここまできたのにっ。皆で頑張ってきたのに、私の馬鹿っ――」

「……」こつん、と額を鏡に当てる。

「田村先輩……ごめんなさいっ……先輩たちとの約束、果たせなくなっちゃいました……」

「――ッ」っと噛み締めた唇から血が滴った――

「なんで! なんでよ! なんで……」

 抑えられなくなった心の内。

 それに比例するかのように、私は蛇口を全快まで捻った――




「――――――!!――――ッ!! ――、――!!」


 





「ん、小島さんが出てきたね」

「凪紗……」

「残念ながら彼女を気に掛けてる余裕などないのだよ」

「分かってるわ」

 怪我をした凪紗に何かを言ってあげたかった。寄り添ってあげたかった。
 だけど、私たちには時間がない。

「出てこないね」

「うむ、仕方ない。行くとしようか、和よ」

「そうね――」

 瑛紗と二人、凪紗の出てきたトイレへと向かう。


 ――少し前の事。

 凪紗が怪我をしたと聞いた私たちは、様子を見にバドミントン部が集まっていた場所へと駆け寄った。
 遠巻きに見ながら状況を察する。
 どうやら怪我をしてしまったのは本当らしく。凪紗が出場できないことを悟った。

「やれやれ戦わずして決してしまったか」

 などと口にした瑛紗の脇腹を軽く抓りながら、その様子を見守っていた。

 ほどなくして凪紗の代わりにシングルスに抜擢された遠藤さん。そんな彼女が口元を抑えて走り去っていくのが見えた。

「フフフ。遠藤氏め、強気に見せておいてプレッシャーに弱いと見たぞ」

 なんて小馬鹿にした瑛紗の頬を抓る。
 
「痛いのだよ! さっきから何をするのさ!」

 と憤る彼女を無視して「大丈夫かしら?」と〇〇君に尋ねてみると――

「やっぱり……」

 なにか深刻そうな様子の〇〇君だった。

「どうしたの?」

「気のせいだと思っていたんだ……」

「んん? 何のことだい?」

 と赤くなった頬をさする瑛紗。

「遠藤さん……彼女にもついていたんだ。右手首の所……」

「え、それって」

「ほう、まさか――『思い虫』かい?」

「うん、間違いないよテレサ氏」

「いや、フフフ。本当に? 『思い虫』が?」

「な、何よ? 可笑しい事なの?」

「僕もあり得ないと思ったんだけどね、まだ小さかったけど……間違いなく見えたんだ」

「あり得ないって、どうして?」

「珍しいのだよ。『思い虫』自体がそうそう現れることがない妖怪さ。それも同時期に、同じ場所で似た境遇の二人に……」

「うん。だからね、どうしても確信を持てなかった」

「でも……見えたのよね?」

「うん」

「なら凪紗の時みたいに!」

「――残念ながら、もう札はないぞ。……あれは特殊な札なのだ。作るのに時間が掛かる。一枚用意するのにも二日必要としたのだよ」

「……テレサ氏が気付かなかったくらいだから、まだまだ時間はあると思っていたんだ。だけど小島さんの件もある……遠藤さんの”悩み”もプレッシャーだとすると――」

「なるほど! この大一番だ! 遠藤氏に掛かる重圧は相当なモノだろうね! フフフ。そうなると本当に時間がないかもしれないのだよっ」

「『ないのだよっ』って笑い事じゃないわよ! どうするのよ!」

「とりあえず、確認してみないことにはどうしようもないね」

「なら――」

「行ってみよう。もしかしたら拉致してでも、遠藤さんの出場を止めなければ」

「――最悪、死んでしまうかも」と〇〇君が焦りを見せた。

 その様子に、

「――急ごうか」
「う、うん」

 真剣な眼差しで答える瑛紗と私であった――


 そして、現在。

 遠藤さんの様子を確かめようとトイレのドアを開けた。

 その時だ。


 ――ドゴッ、


 と何かを叩く音が聞こえてきた。

「む!?」

「なにかしら? 今の音」

「……もしかしたら……既に遅かったか」

「――はぁ!? な、何を言って」

「――あ」

 二人して言葉を失った。

 ゆっくりと個室の扉が開き、中から一人の少女が現れたからだ。
 固まる私たちに、軽く会釈をしてすれ違うその人物――遠藤さん。

 

 彼女の顔を見て、声を発することを忘れてしまっていたのだった。

「――ほぅ」

 と瑛紗から感嘆の息が漏れた。

「……あ! い、行っちゃたじゃない! 私たちも!」

「いや、大丈夫さ。和よ。遠藤氏の顔を見ただろう?」

「み、見たけど……」

 遠藤さんは私たちがたじろぐほど、真剣な顔をしていた。

「決意に満ちた目。やってやるぞ! という気概に溢れた――とても良い顔付きをしていたのだ。いやはや、驚いたね……」

 うんうん、と満足そうに頷く瑛紗。
 踵を返して「出ようか」と歩き出した。

 

「あ、お帰り。凄い音がしたけど……」

「フフフ。〇〇氏にも聞こえていたのか」

「どうやったかは分からないけど、出てきた遠藤さんの腕にはもう『虫』の姿はなかったよ。流石はテレサ氏だね!」

「んー。せっかく○○氏に褒めてもらったのだが――」

「私たちは何もしてないわ」

「え?」

「そうなのだ。入った時にはもう終わっていたのだよ」

「……んん?」

「恐らく、先ほどの音は右腕を叩きつけた音だ。……そう推測するのだよ、ボクは」

「なるほど……」

「私にも分かるように言ってもらっていい?」

「ボクは遠藤氏が『とても良い顔付きをしていた』と言っていただろう、和よ」

「ええ、言ってたわね」

「フフフ。つまりだ! 覚悟が決まり、思わず高ぶって右腕を壁か何かに叩きつけたのだろうね」

「右腕――って確かっ」

「うむ。〇〇氏が見た『思い虫』も右手首だったね。フフフ……笑わずにはいられないのだよ。まさか――憑かれた本人が、知らぬ間に気迫で妖怪を退治しただなんて」

「僕も聞いたことがない。それほどのことを彼女はしたんだ」

「へえ、凄いのね……」

「凄いなんてもんじゃないぞ! ボクと〇〇氏が感心するほどだ! 恐れいったのだよ!」

 瑛紗は捲し立てるように続けた。

「試合も絶望的かと思ったが、面白い事になってきたのだよ。くぅ~……遠藤氏まで回ってほしいなぁ。彼女が圧倒的な相手を前にしてどう戦うのか! ボクは知りたいぞ!」

 興奮した様子だ。

「相手に呪いでもかけようか? いやもっと物理的な手段を――」

「ちょっと! 瑛紗あなた!」

「――なんてね。冗談だよ、冗談」

「もう、そうやって直ぐふざけるんだから……」

「まぁまあ、とりあえず僕らは見守ろう。ここからは彼女たちの見せ場だ」

「そうね」

「よし! ボクも応援をしようじゃないか!」

「うん、僕も」

 珍しくやる気な二人だった。


 そうして――
 

 準決勝が始まった。

 
 
 



  
 

「フフフ。願いは叶うものなのだな~」

 ボクはえらくご機嫌だった。体を揺らしながら「がんばるのだ~」と声をあげている。滅多に見せない姿だ。
 ボクを知っているであろう学校の人間は、驚いた様子でボクを見ていた。

「いやしかし、まさか本当に……こうなるとは……ボクは神に感謝したい思いだよ」

「そうだね、本当に……」

 大波乱の準決勝。

 小島凪紗を欠いて絶望的かと思われた坂道高校だったが、各選手が全力を尽くし、最後の最後まで諦めずに戦い抜いた。

 初戦の第一ダブルスは粘るも惜敗。
 続く第二ダブルス。石森・村井ペアが気迫のこもったプレーを見せ、個人ダブルスベストフォーを相手取り、ストレート勝ちの大金星を挙げたのだ。

 それに触発されたのか、各シングルスの選手も奮闘し、第二シングルスの選手が接戦の末に勝利を収めた。
 二勝二敗で大将戦、第三シングルスへと繋いだのであった……






「驚いたな……小島凪紗以外たいしたことないと思ってはいたのだが……」

「ですね……」

 監督の呟きに同意する私。

「楓、分かってると思うが」

「大丈夫ですよ。有象無象を相手に私が負けるとお思いですか?」

「そうだな、いらぬ心配か」

 坂道高校のベンチ見やる。
 お目当ての小島凪紗の姿はなかったが、彼女へと向けるように私は囁いた。

「……小島さん……あなたとの闘いを楽しみにしていたけど、次の機会にとっておくわね……」

 この世界に居る限りは、彼女との邂逅はそう遠くないだろう。私は待つ。彼女へと突き立てる刃を研ぎ澄ませて。

 いずれ死合うその時まで――

 



 

 

 ――ワァーーーッ!! と会場から歓声が聞こえてきた。

「終わったのかな……」

 準決勝が開始して暫く立つ。

「……ごめんね、皆……」

 仲間の応援もせず、会場の外に一人。
 私は日陰に座り泣いていた。

 自分でも驚いた。私はこんなにも弱かったのか、と。私の心を繋いでいた何かが――プツリ、と切れてしまっていたのだった。

 ……痛い。


(痛い……)

 


「こんな所にいたのね」

「――ッ」

 突然呼びかけられて顔を上げた。


「な、和……」

「凪紗、大丈夫?」

「……」

 私の隣にそっと腰を下ろす和。

「応援しないの?」

「……皆に、合わせる顔がないし」

「どうして?」

「だって、私のせいで」

「試合見てないでしょ?」

「……うん」

「……負けたわよ」

「――ッ」

 そう言われ思わず足を強く掴んでいた。

「第一ダブルスと第一シングルスはね」

「え……」

「第二ダブルスの石森さんと村井さん凄かったわよ。私、感動しちゃったもの」

「え、それって」

「勝ったわよ、二人がね」

 璃花と優が――

「第二シングルスも勝ったわ」

「嘘!? 本当に?」

「ええ、今は遠藤さんが戦ってるわね」

 理子が……

「どうする? 私はそろそろ戻るけど……」

 理子が戦っている。
 私を慕ってくれていた後輩が――

「……私は――」



 


 


『セカンドゲーム、ワンバイ 坂道高校』

 主審のコールに会場中がどよめいた。
 地鳴りのような大歓声の中、私は監督の元へと。

「どうした?」

「……思ったよりも粘られまして」

「楓、お前――嗤っているぞ」

 言われて口元を触る。

(……ふふ、本当だ……笑っているのか、私は……)

 遠藤理子。正直侮っていた。プレー自体は大したことない。技術もスピードも私のほうが格段に上だった。
 ただ遠藤理子には特筆すべき点が一つある。
 そう、一つだけ。

 驚異的な粘り――常人とは比べ物にならないほどの体力を持っていたのだ。

「……冷静になれよ。そうすれば大したことない相手だ」

「ええ、分かってます」

 監督の言う通り。粘られて、苛立った私のミスが原因で落とした第二セットだ。
 最終セットはそんなことにはならない。
 認めよう遠藤理子。あなたを私の対戦相手として。もう驕りはしない。冷静に全ての力を以て、私はあなたを下す――



 





『15 ― 5』

 

「――っはぁ、ふう」

(……強い。強すぎる)

 第二セットまでとは明らかに違う。
 手を抜かれていたのか、そう考えるほどに別人だった。

 佐藤楓――私が今まで出会ってきた中で、間違いなく最強の相手だ。悔しいけど、凪紗先輩よりも――強い……

『頑張れー!!』

 皆の声援が聞こえる。

(りー、諦めちゃだめ……)



『16 ― 5』


「――ああっ!?」



『17 ― 5』

 

「っく、速すぎ――くぁっ」


『18 ― 5』


「……ふう、――ふぅ」


 駄目か――と、ベンチから諦めの声が聞こえてきた。

(……嫌だ。負けたくない……凪紗先輩のためにも、絶対に!)

 キッ、と相手を睨む。

「――ッフ」

 それを受けてか薄っすらと笑みを浮かべる佐藤選手。

「――ッハ!!」

「ッ――」

 コート隅へと飛んできたシャトルへと、必死に飛び込んだ。


 刹那、観衆の声援に紛れて――確かに聞こえてきた。


「――理子ッ!!」

 と私の名を叫ぶ声が――


 




 


『18 ― 5』


 和に肩を貸してもらい、ようやく観客席へと辿り着いた。
 彼女の手からスッと離れて、手すりを掴む。

 セット数、1―1。

 第三セット、18―5。

 負けていた。残り三点取られたらゲームセットだ。もう終わりだと、諦める周囲の人たち。
 だけど、そんなことはどうでもいい。


「――理子ッ!!」


 考えるより先に口が動いていた。
 私の叫びに気付いたのか、こちらを見上げる理子。そんな彼女に見えるように、私は――


 






「――理子ッ!!」

 
 
 聞こえてきた声に、倒れていた体を起こした。
 ちょうど正面の二階席にその姿があった。

(凪紗先輩――)

 いつのまにか戻ってきていた。
 試合前にいなくなって皆が心配していた彼女が――

『凪紗のためにも頑張ろう』と円陣を組んだ時、私が勝利を持って帰ると心に決めた、その凪紗先輩が――


「――あ、あれって……」

 凪紗先輩が天井に向かって腕を突き上げていた。
 私に見えるように、右腕を――私があげたリストバントを付けて。


 その時、思い出した。

 凪紗先輩から頂いた言葉を。

 

『理子なら出来る! 私が言うんだから間違いない!』

 

 途端、私の中で何かが爆発した。

 

『19 ― 5』


「あと二点……」

 と佐藤選手が呟いた。

「――まだ二点あります!」

「っふ――言ってなさい!!」

 言葉と同時、佐藤選手がサーブを上げた。
 高く、天井に突き刺さるのではないかと思うほど高く。

「――あ?」

 ――気が付けば体が勝手に動いていた。
 高く上がったシャトルと一緒に、私は跳び上がっていた。
 


 

「嘘……」

 転がるシャトルを佐藤選手は呆然と見つめていた。

 スマッシュと見せかけて放った私のカットが、斜めに飛んでいき、ネットを掠め――コテン、と彼女のコートへと落ちたのだった。
 
 一拍置いて、爆発的な歓声が会場を包んだ。

『19 ― 6』
 

「あと十五点……」

「――はは、ほざくのも大概になさい……」







『19 ― 11』



 


『19 ― 13』




『アウ――い、いや! インッ! インです!!』

『19 ― 15』




19オールナイティーンオール


「す、すごい! 追いついたわよ! 凪紗!」

 興奮する和に肩を揺すられる。

「――うん、追いついた。……理子、あなたって人は……本当に」

 私を熱くさせる――


『19 ― 20』
 

 会場が揺れた――そんな錯覚を起こすほどの、この日一番の歓声が鳴り響いた。

 
 
 

「……」

 傍らの和が言葉を失くす。

 和だけじゃない、私の周りが――いや、会場中がしん――と静まり返る。

 パァン、とシャトルを打ち合う音だけが響いていた――


「せ、正確なのね」

「ね。気付いたんだね、和も」

「ええ……」

 私も初めて気づいた。
 一緒にプレーをしていたのに知らなかったのだ。
 理子の長所。それは努力の末、身についた体力だけではなかった。

 本当の長所は――



 私の思考を遮るように、それは聞こえてきた。この日一番を早々に塗り替えた、とてつもない歓声が――



『ゲーム、ワンバイ 坂道高校』


 試合終了のコールに崩れ落ちる佐藤さん。
 彼女のコートに転がるシャトルを見据えながら、

「おめでとう、理子」

 そう呟いた。
 聞こえた訳ではないだろう。
 それでも私の呟きに応えるかのように。

 こちらを見上げて、

「凪紗先輩!」



 と笑顔で右腕を突き上げた後輩の姿に、思わずこみ上げてきた何かを必死に堪え――

 どうにか笑顔を作って返したのだった。

 


「お疲れ様!」









 

  終わり



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