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日向編 7話

旅館を出発して二十分も経っていないだろう。
ほどなくして、菜緒たちは駐車場へと辿り着いた。

「ありましたね!」

未来虹がバスを見つけて、嬉しそうに菜緒の手を握る。

「うん、気配も……ない。うん、大丈夫やな」

「それは何よりだ」

独り言だったが、その呟きに真壁が同調する。
彼はバスの中を確認すると皆に乗るようにと指示を出した。

すぐには乗らず、ぐるりと辺りを見回す菜緒。

二十台以上は置けるであろう広々とした駐車場も、いくつか散り散りに車が見えるだけで、だいぶ閑散としているようだ。
搭乗中に人狼の襲撃に合ったとか、人が倒れているなどということもなく、そこ一体が何事もなかったような、まるで切り取られているかのように感じた。

「小坂さん!」

陽子に呼ばれて、

「今行く」

と返事をした。

ロケ用の大型バス。
後ろのスペースは機材などで埋まっており、定員数は二十人ほど。
それでもこの人数ならかなり広いスペースを確保できる。

のだが、皆して前の席へと詰める様に座っていたからか、自然と身を寄せ合うように固まっていた彼女たちだ。
そんな姿を愛しく思う菜緒。

二人分開けられた席に腰を下ろす。

「――あれ?」

(伊藤さんおらへん)

マネージャーの姿がなかった。
降ろしたはずの腰を再び上げて、

「すいません、ちょっと待ってて下さい」

運転席の真壁に一言つげて降車した。

(どこやろ~)

バス付近を一周し、ちょうどドアと対角となる後部にて、しゃがみ込んでいた伊藤が見えた。

「伊藤さん、どうしたんですか?」

「――あ、菜緒か。うぅん、なんでもないよ。ただガソリンあるのかな? って気になっただけだから」

慌ててポケットに何かをしまい込んだ伊藤。

「大丈夫! ガソリン満タンだったよ」

そう言いながら菜緒の横を通り過ぎようとした。

――ガシッ


と、その腕を掴んだ。

「な、菜緒? どうしたの?」

驚く伊藤。
そんな彼女の顔をキッと睨む。

「待ちなよ!」

怒気を含んだ声を添えて。


ぽたり、と水滴が落ちる音。

微かに匂うガソリンの香。

伊藤が何かをしていたのが見えていた。
彼女がいじっていた小さな扉を開く。

切断されていた――鋭利な刃物で綺麗にスパンと。
その断面、燃料ホースからガソリンが漏れ出ていたのだ。

「伊藤さん……なにしてん!!」

菜緒の怒声に何事かと降りてくる一同。

状況を把握すると、言葉なく伊藤に視線を注ぎだした。


「だめだな……」

配線を確認し、溜息をつく真壁。

「どいうことなん? なんで黙っとるんよ!!」

口をぎゅっと結び、尚も押し黙る伊藤にしびれを切らす。
詰め寄ろうとした菜緒。

それに反応する伊藤。
ポケットから何かを取り出した。

小型のナイフだ。
菜緒の方へとそれを向けた。

「っ来ないで!! ……来ないで」

嗚咽交じりの声で威嚇するように叫ぶ伊藤。
目は血走り、どこか焦点があってないようにすら見えた。

――ッフゥ――フゥと息を荒らげ、ナイフの刃を自らの首に当てた。

「よせ!」

「来ないでッ!!」

頑なに接近を拒否していた。
真壁と距離を取るように後ずさる伊藤。

そして、背を向けて走り出した。


林の方へと――


「――、――え!? あ、あかん!! そっちは」

「あ、こら! 逃げるな!」

走り去る伊藤を追おうとし、陽世がバットを掲げる。

「――ダメッ! 陽世っ」

陽世に抱き着いて追走を阻止する菜緒。

真壁が追おうと彼女らの前に飛び出た。



そのすぐ後だった。


胸を裂くような女性の絶叫が冷たい夜空に鳴り響いたのは……


「そ、そんな……」

「伊藤さん……」

「あっ――」

一同の見つめる先。林の奥から人狼らが姿を現す。

笑っているかのように口角が吊り上がり、ぎらりと光る眼が菜緒らを捉えた。
狂暴な口を大きく開け、鋭利な牙が闇夜に輝く。
そこから滴る赤い液体は、はたして伊藤のものなのだろうか……

「多いな……皆、下がれ」

少なく見ても十体。
さらに、その後方から近づく気配。

バットを握り絞め、自らも参戦しようとする陽世をなんとか下がらせる。

「気を付けてください。まだ何体かやってきます!」

菜緒の進言に頷く真壁。

そうして真壁は力を抜くかのように、だらんと腕を下げた。
右足を引き、下げていた腕を再び構える。

破裂したかのような音が聞こえた――気がした。
場に漂う張り詰めた空気が、真壁の始動とともに弾け飛んだ。
まるで、そう感じるような感覚に見舞われたのだ。

ほどなくして、開いが始まった。
人狼の群れに単身飛び込んでいく真壁。
いくら彼であろうと、あの数の人狼を相手取るのは簡単な事ではないだろう。

菜緒らの生命線である――、もちろん彼自身の無事を祈るようにその行く末を見守る。

「大丈夫です、師匠を信じましょう」

凛とした瞳で真壁の戦いを見据える陽子。
不安の色など見えない。師の勝利を信じて止まない弟子の顔がそこにはあった。



突然、そんな陽子の横顔に影が差し――

「あぶないっ!!」

と咄嗟に彼女の腕を引いた。

「わわっ!?」

菜緒の胸へと倒れ込む陽子。
勢いよく引っ張った為、その重さに耐えきれず、二人は重なり合うように地面へと……

そこに、どしんっと音を立てて一体の人狼が舞い降りた。

(――な!? 近すぎたんか!?)

確かに、近くにいる気配はあった。
だけどそれは真壁と戦っている人狼だと勝手に思い込んでいたのだ。
しかし、そいつはバスの屋根へと登り、そこから菜緒らの前へと飛び降りてきたのだった。

車体を背にした菜緒たちと一体の人狼。
真壁との距離はだいぶ開けていた。
そもそも、激しい戦闘を繰り広げている彼だ。
直ぐにはこの場に戻ってこれそうにもないだろう。

それでも、もう一人だけ。
人狼を相手できるかもしれない人物がいた。

頼みの綱の陽子だ。

だったのだが、

「う、う~ん」

と、倒れた拍子に頭を打ったようで意識がはっきりとしていない。

そうなると、

当然のように彼女が人狼の前へと出ることに。
震えながらも金属バットを構える小柄な彼女。
思えば、この子は随分前から浮足立っていた。

「陽世っ、無茶だよ!」

そんな仲間の声も聞こえたのかどうか、興奮気味の陽世。

「――シャァッ!!」

と、威嚇にもとれる声を上げて大振りにバットを振るう。

横線を引くように、鋭いスイングが人狼のわき腹へと――

「ッァガ!?」

呻き声を上げる人狼。だが、その眼は死んでおらず。

「え!?」

呆けたような声を上げる陽世。

その金属バッドを掴む人狼。

――否、掴み上げた。
強く握りしめていたのであろう陽世を引っさげたまま。
固く握られた手は、恐怖も相まってか開くことができないようだった。

そのまま人狼の目の前へと持ち上げられ、表情が強張る陽世。
さながら吊り上げられた魚のように……

対照的に愉悦交じりに嗤う灰色の獣。
獲物を目の前にし、涎が滴る下品な顎を大きく開き、そのままがぶりと噛みついたのだ。

血飛沫が舞い――

――肉が裂けた。

悲鳴を上げることも忘れ、その光景に飲まれてしまっていた。

直後、――ゴリッと何かが砕ける音が聞こえてきたのだった。




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